第6話 はじめてのファンレター
――二日後の朝。
(昨日も丹原先輩、なんかおかしかったなあ)
ピッと会社の通行証をタッチしながら、何も知らない庭野はひとり首を傾げていた。
いつもの喫茶店で昼食と書き溜めを終え、オフィスに戻る道すがら。会社の通用口前、丹原と偶然会ったのはつい先日のこと。
庭野としては軽い気持ちで声を掛けたのだが、なぜか丹原に逃げられてしまった。
(昨日は昨日で、定時になったらものすごい勢いで会社を出てったし……。やっぱ俺、あのひとに避けられてるのかな)
わき目も降らずオフィスを後にした丹原の姿を思い出し、庭野は苦笑をする。本当は、よかったら飲みに行きませんかと丹原を誘うつもりだったのに、声を掛ける隙もなかった。
丹原……下の名前はなんだっけ。
誰とでもすぐ仲良くなる庭野にしては珍しく、下の名前も思い出せない。それほど希薄な付き合いしかしてこなかった、同じ部署の先輩だ。
頭脳明晰、容姿端麗。真面目で几帳面な、女子社員が密かに憧れる黒王子。誰もが認める部のエースである丹原は、同時にどこか近寄りがたい雰囲気を纏っている。
本人も会社の人間と深く関わることを望んでいないのか、大抵は一人でいる。
仕事面での面倒見はいいらしく同じグループの後輩をよくフォローしてやっているが、あくまでそれだけ。接待以外の飲み会にも滅多に顔を出さない、プライベートが見えてこない人物だ。
そんな丹原と、偶然会社の外で会った。
本屋で。しかも、まさか自分の本を買ってくれたところで。
正直、ひどく浮かれた。まさか同じ会社のひと、それも丹原が自分の本を買ってくれるとは思わなかったし、思わず喜び勇んで声を掛けてしまった。まあ詳しく事情を聞けば、彼は姉の代理で本を買っただけだったが。
丹原本人が読む機会がなさそうなのは残念だったが、それでも手を伸ばしてくれて、本を手に取ってもらって嬉しかった。
しかも話してみると、丹原はこれまで思っていた印象とは全く違って、とても話しやすかった。好きな小説や映画の趣味も合うし、興味を抱くツボも近いのか意外と話も弾む。しかも丹原は創作にも理解があって、庭野の話に興味深そうに耳を傾けてくれた。
庭野は、自他ともに認める人付き合いが得意な部類ではあるけれど、小説のことも含めて丸ごと打ち明けられる友人は実は少ない。
だから自然と受け入れてもらえたのが嬉しくて、丹原ともっと仲良くなりたいと、なんとなく追いかけまわしてしまったのだけれども。
(やっぱり先輩は、会社の人間とはプライベートでは付き合わない主義なのかな)
楽しかったのは自分だけで、丹原にとっては迷惑だったのかもしれない。その可能性にちょっぴり胸を痛めつつ、庭野はしょんぼりとエレベーターに乗り込む。
自動で扉が閉まりかける。そのときだった。
「ま、待て!」
ガッと、閉まりかけた扉を手が差し入れられる。
ぎょっとした庭野は、扉の先にいた人物にますます目を丸くした。
「丹原先輩!?」
「あ、ああ。おはよう、庭野」
今日も今日とてカチッと上品に決まったスーツスタイルで、挨拶をして乗り込んできた丹原に、庭野はぽかんと口を開けた。
この登場で「おはよう」って。朝だし間違っちゃいないんだけど、そうじゃなくて。
「どうしたんですか? まだ始業ぎりぎりって時間でもないですけど」
「まあな。……お前がひとりでいるのが見えたから、ちょうどいいかと追いかけたというか」
目を逸らしてごにょごにょと答える丹原に、庭野は首を傾げる。
いまの言い方だと、まるで丹原が、庭野に二人きりで話したい用があって追いかけてきたように聞こえる。
(先輩、俺のこと避けてたんじゃないの?)
疑問に思いつつ、庭野は焦れた。このまま待っていては、あっという間に自分たちのフロアについてしまう。だから彼は、助け舟をだすことにした。
「先輩、何か俺に話したいことがあるんじゃないの?」
「……そうだ。その。お前に、言わなきゃいけないことがあって」
一瞬怯んだように目を泳がせた丹原だが、すぐに神妙な顔で頷く。
「お前の、『転生聖女の恋わずらい』。あれ、俺も読んだんだ」
「へ!?」
予想もしなかった方面に話がふられて、思わず変な声が出た。若干丹原をたじろかせてしまうが、それでも庭野は身を乗り出してしまう。
「先輩が、俺の本を?」
「ああ」
「でもでも。本はお姉さんに渡したんじゃ……?」
「っ、それは」
ポロっとこぼれた何気ない質問だったが、なぜか丹原は目を泳がせた。こほんと咳ばらいをした彼は、不思議と取り繕うように続ける。
「俺も買ったんだ。お前が書いたっていうから気になって」
それはつまり、お姉さんに渡すのとは別に、自分用にも一冊買ってくれたということか。嬉しいけれども、それはそれで申し訳ない気になる。
「言ってくれれば一冊プレゼントしたのに!」
「いや、いいんだ! 作者が心血注いで作ったものには、しっかり金を払いたいし……なにより、俺が買いたかったんだから」
その言葉に、庭野は思わずうっと声を詰まらせた。
(なにそれ。すっげー嬉しいんですけど)
うっかり惚れてしまうところだった。惚れないけど。もしも相手が女の子だったら、確実に落ちていたと思う。
同時に、違う意味でも鼓動が早くなっていって。
「どう、でした?」
からからと喉の中が渇く。
SNSで感想を検索するときとはまるで違う。生身の人間の、先輩の、感想を聞くことが、こんなにも緊張することだなんて。
ごくりと生唾を飲み込んでから、庭野は思い切って訊ねた。
「俺の本、読んでみてどうでした?」
「良かった」
間髪入れず返ってきた答え。一拍遅れて、庭野は実感を持ってその言葉が聞こえた。
良かった。丹原は、そう言ってくれたんだ。
「主人公の聖女が好感を持てたし、ヒーローとの関係も良かった」
「え、あ、ええ?」
「ストーリーも、ふたりの恋愛を中心にすごく引き込まれたし、ふたりが結ばれた時にはガッツポーズをした。欲を言うならハッピーエンド後のふたりをもっと見たい。続編の構想があるなら、ぜひ読みたい! もちろん無理に書けとは言うつもりはないけど、いち読者としてこの想いは知っといて欲しいというか、期待しているというか……」
喜びに胸が震えたのも束の間、丹原の口から堰を切ったように言葉が溢れ出し、庭野は軽く混乱した。というか、後半に至ってはかなり早口で、ほぼ聞き取れなかった。
(先輩、かなり真面目に読んでくれたんだな!?)
さすがは弊社が誇る、取引先信頼度ナンバーワンのエース。プライベートで小説を読み込むときも、実直にとことん向き合う主義らしい。
ある意味、丹原らしいと言えば丹原らしいが、つくづく真面目だ。気圧されつつもそんなことを感心していると、ふいに丹原が何かを差し出してきた。
「とにかく! 一言じゃ伝えられないから、これに全部書いてきた」
「へ??」
「感想!」
その時、エレベーターが最寄りのフロアに到着する。
たぶん照れ隠しだ。ちょっぴり怒ったような顔で、丹原は薄い水色の封筒を押し付けた。
「家で読めよ。……会社で読まれると、なんか恥ずい」
一足先にエレベーターを降りて、丹原はスタスタと歩き去っていく。残された庭野は呆然としながらも、改めて手の中のものを見つめた。
薄水色の封書を選んだのは単に丹原の趣味か、「てんこい」のカバーイラストのメインカラーだからか。なぜだか後者のような気がしてしまうのは、さすがに浮かれすぎだろうか。
小説の感想をしたためた手紙。世間一般にはそれを、ファンレターと呼ぶ。
たぶんだけど、昨日丹原が慌てて会社を飛び出して行ったのは、押し付けていったコレを用意するためで。
「あー……。やばい」
ぷしゅーと風船の空気が抜けるように、庭野は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
生まれて初めてファンレターをもらったという事実も。それを、あの律儀な生真面目な先輩が、一生懸命に用意してくれたということも。
(……心臓、すっごいうるさいんだけど)
「そんで、俺の嫁さんが……って、うわあ!?」
「庭野!? なんでエレベーターの床に座ってんだ!?」
いつのまにかエレベーターは、再びエントランスに降りてしまったらしい。ちょうど乗り込もうとした同僚ふたりが、ぎょっとしてたたらを踏んだ。
赤く染まった顔を隠すためうずくまったまま、丹原はふるふると頭を振った。
「俺、もうダメかも」
「なにが?」
「新しい扉、こじあけられちゃったかも……」
「「どゆこと!?」」
同僚二人の素っ頓狂な声がこだまする。
――その日の夜。言われた通り家に帰ってから手紙を開いた庭野は、まっすぐすぎる同じ部署の先輩の、下の名前が『千秋』であることを知ったのであった。
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