第5話 ファン、決意する
「いつ小説を書いているか、ですか?」
ある日、コーヒーマシンの前でばったり出くわしたとき。
気になった丹原はなんとなしに庭野に尋ねてみた。
庭野はきょとんと目を丸くしたが、すぐに本屋であった時と同じ砕けた様子で「そうだなあ」と上を見上げた。
「出来る日、出来ない日は当然ありますけど……。たいてい昼休憩の時だったり、行き帰りの電車の中だったり。あとは普通に休みの日に家でまとめて、とかですね」
「昼休憩って、会社で書いてるってことか?」
驚いて聞き返すと、庭野は得意げにスマートフォンを見せた。
「いまはアプリでなんでも出来ちゃいますからね。慣れれば楽ですよ。はたからは携帯をいじってるようにしか見えないし。それに、休み時間に何するかは個人の自由でしょ?」
にっと笑った顔に感心する。
前から器用というか、力を入れるところはしっかり締めつつ上手く仕事を進めるやつだとは思っていたが、創作関係でもその能力は健在らしい。こつこつ愚直で、ある意味不器用な自分とは大違いだ。
「だけど、休み時間を使ったら、気が休まらないんじゃないか? 小説を書くのも、相当頭を使うだろうし……」
「そんなことないですよ! もともと趣味で書いていたくらいだから、いい気分転換になるし。まあ、眠い時は諦めて、思いっきり寝ちゃうんですけどね」
学生のように、昼休みに机で突っ伏して寝てる庭野が容易に想像できて、丹原は少し笑ってしまった。
さて。それから注意して観察していると、庭野は昼休みに社員用喫茶には顔を出さず、会社の外へと出ていくことがわかった。
ある日思い立って後をつけてみると、庭野は会社裏にある喫茶店に入っていった。時間をおいて丹原も入ってみると、庭野は奥まった席にひとり座って、スマートフォンを時折いじりながら大盛のカレーを食べている。
(……もしかして、今この瞬間も小説を書いているとか?)
隠れてナポリタンを頬張りながら、丹原は首を傾げる。ちなみに丹原が陣取ったのは、庭野の席とはちょうど店の反対側にある角のテーブルだ。間に大きめの鉢植えが置かれているため、うまく身を隠しながら観察することが可能である。
丹原がこっそり見ているとも知らず、庭野はカレーの大盛りを平らげる。その後も食後のコーヒーを片手に、相も変わらずスマートフォンをぽちぽちとやっている。
今日はいわゆる「ペンが乗る日」なのだろう。庭野は途中で手を緩めることなく、楽しそうに液晶画面を操作している。
(あれか? もしかして、植物園デートの続きを書いているのか?)
だんだんとファン心が刺激されて、丹原は自分もアイスコーヒーを飲みながらソワソワと庭野を見守った。
ちなみに、ポニーさんは現在、てんこいとは別の異世界恋愛小説をサイトにアップしている。それがまた丹原好みのムズキュンカップルもので、毎日更新を楽しみにしている。
読みたい。出来ることなら庭野の席の隣を陣取って、いままさにそこで生み出されている物語を覗いてしまいたい。
そんな欲望にひと知れず抗いつつ、丹原は庭野に見つからないよう、一足はやく会計を済ませて喫茶店を後にした。
しかし、次の更新が楽しみだと。丹原はほくほくと会社への道を急いだ。
庭野がどれほど先まで書き溜めたうえでサイトにアップしているのかは知らないが、あの順調そうな手つきを見る限り、今作も「転こい」の時と同じように、毎日滞りなくアップされていきそうだ。
おかげで丹原の日々の楽しみも満たされる。理不尽・無茶ぶり上等な乾ききった会社員人生、日々提供される上質な萌えだけが、丹原の生活に潤いを与えてくれるのだから。
(庭野さまさまだな。……もともとポニーさまさまなんだけど)
ふむふむと丹原はひとり頷く。
作品が生み出す萌えが日々の癒しになっているということは、すなわち、想像主である庭野が丹原を救ってくれているということである。庭野にそんなつもりはないだろうが、ここはお礼の一つでもしないと気が休まらない。
せっかくだし、「転こい」出版祝いもかねて、庭野にうまい寿司でも食わせてやろうか。いや。下手に呑みに誘えば、貴重な執筆時間を奪ってしまうかもしれない。
だったらいっそ、菓子の詰め合わせを渡すのはどうだろう。SNSを見る限り「ポニーさん」は甘党のようだし、甘いものは執筆のお供にもなる。
(そういえばポニーさん、先々週の中頃くらいに、ラムレの新作マカロンが食べてみたいとかツイートしてなかったっけ?)
若干ストーカーちっくな気質を発揮しつつ、丹原はいそいそとポニーさんのSNSアカウントのログをさかのぼる。それこそ他人に知られたらドン引かれること間違いなしなのだが、真面目な本人は気づいていない。
だが、目当てのツイートに到達しかけたところで、はたと丹原は気づいた。
(そもそも俺、「転こい」読んだって庭野に言えたんだっけ?)
次の瞬間、だらだらと冷や汗が流れだす。
日々の萌えと癒しを提供しつづけてくれるポニーさん。もとい庭野。そのファンを自負しているのに。こんなにも毎日の糧をもらっているのに。
〝実は、姉に頼まれて〟
あの日、とっさについた嘘が脳裏に蘇る。
週末に会う姉に渡す。それすなわち、自分は読みませんよと公言するのと同じことで。
(俺、作者に向かって『俺は読みません』って宣言しちゃったんだ……)
じわじわと罪悪感がせりあがる。
ちょうどその時、背後から明るく呼びかけられた。
「あれ、丹原先輩? 珍しいですね、先輩も外で昼飯ですか?」
「庭野!?」
自分でも気が付かないうちに、随分長い間、会社の通用口前で立ち止まっていたらしい。
先ほどまで隣に丹原がいたなど夢にも思わない様子で、庭野がにこにことこちらにやってくる。
その無邪気な笑みに、丹原は居ても立っても居られなくなった。
「わるい!!」
「え、先輩? どうしたんですか?」
ダッと丹原が走り出す。庭野がびっくりした顔をしているが仕方がない。
「先輩――――!?」
残された庭野の声だけが、ビルの間に響いたのだった。
『正直に言っちゃえばいいじゃん。実は俺、あなたのファンですって』
「言えるか!」
その日の帰り道。
たまたま連絡を取り合っていた姉にぽろりと「ポニーさんが同じ会社にいた」と送った途端。速攻で姉から電話がかかってきた。
話の流れで事情を話すと、げらげらと笑った挙句、姉はあっけらかんとそんなことを言ってくる。
口をへの字にする丹原に、姉は『えー?』と食い下がった。
『ファンだって言われて、悪い気はしないんじゃない? ていうか、普通に喜んでくれると思うけど。なんなら私が言いたいわ』
「それは姉貴が女で、ポニーさんと同じ会社じゃないからだろ! ……だいたい、今更本当のことなんか言えるかよ。なんで嘘ついたんだって話になるし」
『変わんないねえ。千秋のそういう、変なところで気が小さいとこ』
からかったような口調で言われて、丹原はますます渋面になる。
だが何のかんので、昔から姉が一枚上手だ。うじうじと悩む丹原の痛いところを、的確に突いてくる。
『けど、言いたいんでしょ? ポニーさんの本、最高でしたって。そうじゃなきゃ、ポニーさんに申し訳が立たないって思っているんでしょ?』
「っ、それは……」
言葉に詰まり、丹原は片手に駅前のスーパーで買った総菜の入った袋をぶら下げたまま、道の真ん中で立ち止まった。
姉の言う通りだ。ポニーさん、もとい庭野に伝えたい。お前の作品は面白かったと。読んで元気が出たと。感謝を込めて、きちんと自分の言葉で感想を届けたい。
「けど、いざ本人を前にうまく伝えられるかどうか……」
溜息を吐いて、丹原は首を振った。自分の性格上、いざ庭野を目の前にしたらまた誤魔化してしまいそうだ。言いたいことの半分も伝えられない可能性もある。
――悩ましげに目を伏せかけた丹原だったが、そのとき、とある店が目に留まった。
最寄りの駅からマンションに向かう途中にある、小さな商店。遅い時間のためとうに閉まっているが、和紙を用いたレターセットや手帳などを売っている文具屋だ。
薄暗い店内に置かれた色とりどりの紙が目に飛び込んだとき、丹原は閃いた。
「……姉貴。俺、いい手を思いついたかもしれない」
『え?』
電話の向こうで怪訝そうな声がする。それに答えず、丹原は店の営業時間を確認する。
店舗の営業は午前10時から午後7時まで。定時で上がって、急いで電車に飛び乗れば間に合わない時間じゃない。
『ちょっと、千秋??』
訝しげな姉をよそに、丹原はぐっと決意を固めたのであった。
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