第4話 まさかまさかのロックオン


 衝撃的な幕開けではあったものの、丹原は素敵な週末を過ごした。


 もちろんお供は、ポニーさん作『転生聖女の恋わずらい』。


 まずは振り返る意味でざっと本編に目を通し、次に噛み締めるようにもう一度。


 それからお楽しみ、書き下ろし短編へ。


 これがまた本編からさらにマシマシのじれきゅん具合で、丹原は何度も読みながら悶絶した。


 最後はデザート、購入特典のショートストーリー。メインの二人以外を掘り下げた内容だったが、ほのぼのとした世界がよりリアルに浮かび上がり、大変素晴らしいものだった。


(幸せだ……)


 日曜日の夕方、借りているマンションのソファで、丹原は満足感に酔いしれていた。


 ちょうどその時、ピロンと携帯が鳴る。相手は萌え語り仲間である姉だった。


『てんこい、読み終わった。控えめに言って最高では?』


『それな』


 条件反射的に返信する。もともと小説サイトを教えてくれたのは姉だが、ポニーさんを布教したのは丹原だ。姉もポニーさんの作風にすっかりハマり、「転生聖女の恋わずらい」――略称:てんこいの熱心な読者になっていた。


 鉄は熱いうちに打て。その精神で、丹原の指は素早くスマートフォンの画面上を滑る。


『書き下ろしの二人、尊すぎなんですけど。ポニーさんはこれ以上俺たちをどうしたいの? 萌え殺したいの??』


『てか王子、あんなに前からユリアちゃんロックオンしてたとか私知らないよ?? 幻覚は見たけど公式とか聞いてないよ??』


『んで、騎士様。もうお母さんかな。二人を見る目があったかすぎる件』


『ほんそれ。騎士と書いてママと読むレベル』


 丹原に負けず姉からもポンポン返信がくる。ちょうど向こうもてんこいを読み終わって、ひとりでは抱えきれぬ萌え心をぶつける先を探していたのだろう。


 しばらくそんな風にして感想の応酬を楽しんでいたが、ふと丹原は気づいてSNSを立ち上げた。


(そうだ。読み終わったんだから、ちゃんと布教しておかなきゃな)


 買ったその日に撮っておいた写真を添付する。パッション赴くままに素早くコメントを書き加えると、ポンとSNSを更新した。


 これで良し。アップされた投稿を眺めつつ、丹原は満足げに頷いた。


以前から丹原は応援する意味を込めて、読んだ小説の感想をSNSにアップしている。もちろん、これまで一番呟いた回数が多いのはポニーさんの作品だ。推しは推せるときに推せ。これがオタク界の真理であり、丹原の座右の銘である。


 こうして丹原の幸せな休日は終わった。


 現実に引き戻されたのは、翌日の朝一だった。


 いつも通り、丹原はキリリとネクタイを締め、涼やかな表情で颯爽とよく磨かれた床を歩く。その隙の無い身のこなしは、週末にライトノベルを読んで萌え散らかしていたようにはとても見えない。


カツカツと、週末によく磨いた黒い革靴でタイル床を歩いていると、少し遅れて後を追いかける女子社員たちがきゃっきゃと声を弾ませる。


「見て見て、マーケティングの丹原さんよ!」


「きゃ、黒王子っ。朝からついてるっ」


 そんな風に外野が喜んでいることなど露知らず、丹原は慣れた足取りでちょうど到着したエレベーターに乗り込む。


 ちょっぴり走って、丹原と同じエレベーターに乗ってしまおうか。もしかしたら、「朝から元気ですね」なんて、丹原に微笑みかけられてしまうかもしれない……。そんな風に、女子社員ふたりが朝から楽しい妄想を脳内に繰り広げた時だった。


「せんぱーい! 丹原せんぱーい!」


 何気なく顔をあげた丹原の視界に、ぶんぶんとこちらに手を振りながらかける庭野の姿が飛び込んでくる。おかげで、丹原は朝から噴き出しそうになった。


「今度はマーケティングの庭野さん!?」


「白王子!?!?」


 驚く女子社員ふたりをさらりと追い抜き、庭野がエレベーターに飛びこむ。そしてぽかんと見つめる丹原に、わずかにあがった息を整えながらにっとピースサインをした。


「セーフ! おはよ、先輩! 朝から会えるなんてラッキーっ」


 これにはズキュンと胸を射抜かれた。丹原ではなく、外野ふたりが。


「え? 庭野さんと丹原さん、めちゃくちゃ仲良しでは……?」


「白王子×黒王子、ですって……!?」


 きらきらと(二人の目には)輝いて見える、朝から眼福なエレベーター内の二人に、女子社員たちは思わず両手を合わせる。


 そんな二人に気付いた丹原が、若干戸惑いつつ声を掛ける。


「あの、乗らないんですか?」


「大丈夫です!」


「おかまいなく!」


 おふたりでどうぞ!と。女子ふたりが心の中で叫んだ声は当然届かなかったけれども、丹原は仕方なく、庭野と二人のままエレベーターの戸を閉めることを決めた。


 完全に扉が閉まってエレベーターが動き出した途端、庭野はきらきらと目を輝かせて口火を切った。


「聞いて、丹原先輩! 俺の本、結構評判いいみたいなんですよ!」


「あ、ああ?」


(そうだった。ポニーさんの正体、コイツだったっけな)


 土日を挟んだせいで一旦頭から抜けていた。小説を読んでいる間は気にならなかったが、改めて本人を前にすると変な気分になる。


 良質な萌えをありがとうと言うべきか。いやでも、姉に本を渡すとか言ってしまったしな。


 そんなことを悩んで微妙な顔をする丹原をよそに、庭野はうきうきでスマートフォンをずいと突きつけてきた。


「見てください、すごいんですよ。『転生聖女の恋わずらい』、アマゾネスの女性向けライトノベルのデイリーランキングに入ったんです!」


「っ、すごいな!」


 素直に驚いて目を丸くした。アマゾネスといえばネットショッピングの最大手だ。


 身を乗り出す丹原に、庭野はさらに別の画面を見せる。


「それだけじゃないんです。SNSにもたくさんのひとが購入報告をしてくれていて……。ほら! このひとなんか、写真付きで感想をあげてくれていて!」


「ごふっ!?」


 今度は思いっきり噴き出した。


「せ、先輩?」


「わ、わるい。き、気管に入った」


 ごふごふ咽せながら誤魔化す。ちらりと画面に視線を戻せば、見覚えのある写真と、馴染みしかないアイコン。ちなみにアカウント名は『あっきー』。


(俺じゃねえか!!!!)


 丹原千秋ちあきは、内心で盛大に突っ込んだ。


「へ、へえ? 庭野ってあれだな。エゴサとかするんだな」


 なんとか話題を変えなくては。庭野に動揺を気づかれてしまう前に。その一心で適当に話題を振る。ていうか、庭野みたいな陽キャの塊がエゴサするのも驚きだが、ポニーさんがエゴサするのも驚きだ。


 すると庭野はぎゅっと手を握って力説した。


「そりゃ、しますよ! ていうか創作する人は全員するんじゃないですか? 普通に反応気になりますもん」


「全員は言い過ぎじゃないか?」


 言いながら丹原は意外に思った。


 感想があろうがなかろうが、ポニーさんは毎日コツコツと最新話をネットにあげている。読者の反応とかあまり気にしないタイプだと勝手に思っていた。


 すると庭野は、ぽりぽりと頬を指の先で掻いた。


「まあ、確かに批判的なコメント見つけて落ち込むこともあるし、それが嫌だから調べないって人もいますけど……。面白かったかなーとか、楽しんでもらえたかなーとか。俺は気になっちゃうんですよね。って言っても、検索するだけで反応とかは残せないんですけど」


 てへっと舌を出して笑う。そういうところは、なるほどポニーさんらしい。


(けど、そうか。俺がこれまでSNSにあげてきた感想も、もしかしたらポニーさんに届いていたかもしれないんだな)


 それはちょっぴり嬉しいかもしれない。丹原がこっそりひとりで悦に浸っていると、庭野はスマートフォンの画面をタップした。


「ちなみに、この『あっきー』さん。結構前から俺の作品読んでくれていて、Web版の方もたまに感想あげてくれるんですよ。めちゃくちゃいい人ですよね!」


「ぶふぉ!!」


 さっきより盛大に咽せた。「先輩!?」と庭野が首を傾げるが仕方がない。


 たまに見てもらえていたかな?どころか、めちゃくちゃ作者にロックオンされていた。なんだこれ。死ぬほど恥ずかしい。


 朝から思わぬダメージに丹原が顔を覆って悶えていると、エレベーターがオフィスのあるフロアに到着した。


「あ、着いちゃった。それじゃ、先輩! また今度!」


 何がまた今度なのか知らないが、庭野は人懐っこく笑うとエレベーターを降りる。そして、たまたま入り口の前にいた同じグループの同僚のところへ駆けて行く。


 同僚に話しかける横顔はあまりにいつも通りで、金曜から続く出来事が本当は夢か妄想か何かなのではないかと、疑いたくなってしまう。


(見た感じは、普通の会社員なんだけどな……?)


 小説家というと、なんとなく文豪ちっくな見た目を想像してしまうが、全然そんなことはなかった。まあポニーさんの作風からして、ボサボサヘアーに着流しスタイルの作者が出てくるとも思えないが。


 そこまで考えたところで、はたと疑問に思った。


(そういえば庭野の奴、いつ小説書いてんだ?)


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