第3話 推し作家の正体
本屋で衝撃の出会いを果たしたしばらくあと。
ふたりは、同じ駅ビルにある洋食屋にいた。居酒屋に行かなかったのは会社の人間に合わないためでもあり、丹原自身が呑気に酒を飲む気になれなかったからだ。
それほどに衝撃を与えた張本人。
庭野拓馬はにこにこと輝く笑みでこちらを見つめていた。
「まさか、自分の本を買ってくれるところに立ち会えて、しかもそれが会社の先輩なんて。俺、すっごくびっくりしました!」
(こっちのセリフだわ!)
嬉しそうな後輩に、頭の中でツッコミを入れる。
庭野拓馬。三つ下の後輩で、丹原とタイプは違うが同じ部署のホープだ。
人懐っこくて甘え上手。明るく元気で、ちょっぴりドジなところも憎めない。ひとりで淡々と着実に仕事をこなす丹原と違って、いつも輪の中心にいるタイプ。
(……ま。正直、まともに話したことないんだけどな)
同じ部署といってもグループは違う。基本的に丹原は会社ではドライな人間関係しか築かないので、わざわざ他グループの後輩と雑談する機会もない。
ちなみに丹原は知らないが、庭野は女性社員からの人気も高い。明るい性格と王子様のようなキラキラフェイスが評判で、女子人気は丹原と並んで二大巨塔である。
「お前がぽ……、この本の作者というのは本当なのか?」
ポニーさんと呼びかけて、途中で訂正する。すると庭野はあっさりと頷いた。
「そうですよ! あ、ポニーっていうのは小説をあげていたサイトのペンネームです。拓馬の馬からとったんですよ。へへ、安直でしょ?」
(まじか)
庭野拓馬、あらためポニーさんをまじまじと見る。
――なんだろう。読者をむずむずキュンキュンさせる作風から、勝手に女性だと思っていた。
けれども振り返ってみれば、ポニーさん自身はSNSでも性別は特定させていない。パフェやらパンケーキやらの写真を何度か見た気もするが、今日びスイーツ男子のひとりやふたり珍しくもないだろう。
いや、しかし。ずっと前から応援していたネット小説作家が、実は同じ会社で、同じ部署の後輩で。しかもその商業デビューの日に、たまたま最寄りの本屋で出くわすなんて。
(そんなミラクルな偶然ある!?)
軽く混乱したまま、とりあえず丹原は当たり障りのない質問をした。
「えっと、じゃあ、あれなのか。庭野はうちの会社で働く傍ら、副業で小説家をしてるってこと……?」
「い、いやいやいや!」
小説家と聞いた途端、なにやら庭野は慌て出した。そうしてなぜか、身を縮めて照れだす。
「俺、趣味で書いた小説をネットにあげていたんです。それをたまたま出版社のひとが見つけてくれて、本にしないかって声をかけてくれて。だから小説家なんて名乗るのは恐れ多いというか、駆け出しのひよっこっていうか」
「たまたまじゃない!」
クワっと。『ポニーさんのファンな俺』が黙っていられず、思わず口を挟んでしまう。
目を丸くする庭野に、丹原はフンスと腕を組んで続けた。
「それだけ、お前の作品に魅力があったってことだろ? だいたい、一冊だろうが10冊だろうが書いたものが本になるってすごいことだ。もっと自分を誇れ!」
「あ、あの、丹原さん?」
ぱちくり瞬きする庭野の姿に、瞬時に頭が冷えた。
(やばい。熱くなりすぎた)
つい力説してしまったが、そもそも丹原は自分がポニーさんのファンであることを明かしていない。しかも仕事以外のことで庭野と話すのは、これがほぼ初めてだ。
それでこの熱の入れようは、正直奇妙すぎる。というか、自分が逆の立場だっなら引く。確実に引く。
「いや、今のはつまり」
だらだらと冷や汗を流しながら誤魔化そうとする。けれどもそのとき、丹原は気づいた。
確かに庭野は驚いたようだが、引いた様子はない。それどころか、なにやら嬉しそうに考え込んでいた。
「応援してくれた人たちのおかげな部分が大きいので、俺の力!っていうのは違うと思うんですけど……。けど、そっか。すごいことですよね。うん、やっぱすごい!」
言い聞かせるように呟くと、庭野はにっと少年のような無邪気な笑みを浮かべた。
「俺、自分の本が本屋さんに並ぶのが夢だったんですけど、叶ってよかったです! おかげで、先輩にも見つけてもらえましたし!」
(……ほんとに、ポニーさんなんだな)
晴れやかな表情を前に今更のように実感する。あふれ出る前向きなオーラも、元気できらきらした様子も。作品やSNSからにじみ出ていたポニーさんの人柄そのものだ。
(うれしいな。ポニーさんに会えて)
最初は衝撃が大きすぎて受け入れられなかったが、今更のように実感がわいてくる。推し作家の嬉しそうな笑顔に、丹原までじわじわと胸が温かくなった。
けれども次の瞬間、丹原の頭は一気に冷えることとなる。
「先輩は、どうして本を買ってくれたんですか?」
「ああ、これは」
素直に答えようとしたところで固まった。
何度でもいうが、ポニーさんの作風は異世界恋愛のライトノベルだ。いわゆる女性向けと呼ばれるジャンルであって、アラサー独身サラリーマン向けじゃない。
そのうえ丹原は隠れオタクだ。家族や学生時代からの友人にはオタクバレしているが、会社ではそういった一面は見せていない。別に知られて困るようなことではないが、これまで隠してきた以上、なんとなく知られるのは抵抗ある。
庭野だって、男の、それも同じ部署の先輩がファンだと言い出しても困るはず。下手をすれば、普段のイメージとのギャップも相まって、気味悪がられるかもしれない。
悩んだ末、丹原はすっと目を逸らした。
「……実は、姉に頼まれて」
「お姉さんに?」
「ああ。週末姉に会うんだが、駅前に本屋があるなら買ってきて欲しいって言われてな。む、昔から人使い荒いんだ、うちの姉は。困るよな、あ、あはは」
嘘である。今朝も「ポニーさんデビューおめでとう!」と連絡は取り合ったが会う予定はない。人使いが荒いのは本当だが、今回に限っては濡れ衣だ。
(さすがに苦しいか?)
どきどきしつつ、ちらりと前を見る。けれども庭野は、素直に信じたらしかった。
「わー! お姉さんに楽しんでもらえるといいなあ。ありがとうございますって、お姉さんにも伝えてくださいね!」
にこにこ笑う庭野に若干の罪悪感を覚えつつ、丹原は曖昧に「ははは……」と笑うしかなかったのであった。
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