第3話
円い月が凍る、夜の道を走っていた。
「不貞だそうだよ」
町を流れる噂は、自然と耳に入る。
「女の方は問答無用で斬られたのだと」
「あんな良縁滅多にないのに、勿体ないねえ」
「骸は森の入り口に打ち捨てられたって話さ。弔いはご法度。まあ当然の報いさね」
鬱蒼と生い茂った森の入り口に、その亡骸はあった。元の色がわからなくなるほど、着物は血の色に染まっていた。傍に屈みこむ。震える手で、顔に巻き付いている髪の毛をどけた。
嗚呼!
声が、森に木魂した。無残な姿から顔を背けたいのに、目が離せない。どうすることもできず、ただ涙が流れた。がたがたと身体が震える。寒さではない。言いようのない激しい感情に、身体が砕けそうだった。
「揚羽さん……」
美しかった顔は紫色に変わり、腫れあがっていた。それでも面影があった。虚ろな目が宙を睨んでいる。閉じてやらなければ。目元に手を当て、そっと瞼を下ろす。触れた肌は冷たかった。そのまま身体を抱きしめる。
「うっ……ううっ……」
涙が止め処なく溢れる。彼女が不貞などするはずがない。身請け先の若旦那のことを、彼が客として通っていた頃から彼女は好いていた。だから身請けが決まった時は、本当に嬉しそうだった。たったの数月で心変わりするほど移り気な人ではない。気分屋ではあるが、一途だ。一度添うと決めたら、添い遂げるような人だ。
何かの間違いだと、証明してやらなければ。無実を晴らしてやらなくては。しかし、弔いが先だ。
俺は彼女の骸を抱えて森に分け入った。奥に進むにつれて、月の光は届かなくなり、自分の息の音ばかりが耳につく。ふと、橘の匂いが鼻を刺した。
「いい匂い」
彼女の声が蘇る。そうだ、橘の木がいい。橘の根元に埋めてやろう。いつも好きな香りの中にいられるように。
匂いを辿り、手探りで穴を掘った。寒さなど気にならないほど夢中で掘った。感覚のない手で、彼女を穴の中に横たわらせる。土をかける間も、涙と洟が流れては氷った。完全に土を均して、手を合わせた。念仏など知らないから、ひたすら、彼女の浄土を願うことしかできない。
ようやく寒さが戻ってきた。全身がぶるぶると震える。このまま死ぬのかもしれないと思った。彼女の傍なら本望だ。目を閉じたまま、寒さに身を預けた。
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