第3話 世界の裏側



「ふ~、食べた食べた」

「お前、その細い身体のどこにあれだけの量の食いもんが入るんだ?」



 数分後、満足げに腹を擦さする私に彼はおかしな質問をした。


 驚きと呆れ。

その両方が入り雑じっているように見える視線は、私の顔とお腹の間を忙しなく行ったり来たりしている。


「どこって、お腹に決まっているでしょう?」

「いや、そういう意味じゃないから。……まあいい。やっとメシを食い終わったんだ。本題を始めるぞ」

「さて、お腹も膨れた事だし、仲間の勧誘に出掛けましょうか……」

「オイコラ、待て。メシを奢る代わりに、話を聞くっつー条件だっただろうが」


 どさくさに紛れて食い逃げを宣言する私に、考古学者を名乗る青年は、全く油断も隙もあったものじゃないと愚痴をこぼす。


「あら、そうだったかしら?」


 そう嘯(うそぶく)のは、彼と話をしても時間の無駄だと悟っているからだ。

迷宮探索において、彼のような人間は足手まといにしか成り得ない。


「だから、話を聞け。俺は、あー、そうだな……。まず、誤解をしているようだから言っておくが、俺は学者だが、非戦闘要員ではない」


 自分は戦えると言う男の言葉に私は眉をひそめた。

大将に淹れてもらった食後のお茶を飲みながら、上から下まで向かいの男を値踏みするように眺める。


 細い肩、綺麗な手。

それらを見て、少なくともまともに剣を扱える人間ではないと判断する。


 日常的に剣を振っている人間なら、掌には幾つも豆を潰したあとがある筈だが、男の手肌はつるりと滑らかだ。

剣士どころか、労働を知らぬ者のようにさえ思えた。

バターのように黄色味がかった肌は少しも日に焼けておらず、彼がインドア派である事を私に伝えている。


 そうか、彼もきっと貴族なのだろう。

それも、名ばかり貴族の貧乏な私と違って、彼はきっと優秀な探索者を多数抱える裕福な家の者に違いない。

学者とは、貴族に多い職業でもある。


「何で迷宮探索に興味を持ったのか知らないけど、馬鹿な事を言ってないで早く家に帰りなさい。これは、私の為だけでなく、貴方の為に言っているのよ」

「だーかーら! 俺は戦えるって言ってるだろう?」

「何を証拠に!?」

「証拠なら、今すぐ迷宮に潜って魔物を相手にすれば幾らでも見せてやるさ!」

「死んでからじゃ遅いって言ってるのよ! この、大馬鹿者!!」

「馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ!」

「馬鹿って言った方が馬鹿って言った方が馬鹿なのよ! 私が馬鹿なのは自覚してるわ!」

「自慢げに言う事じゃねぇだろ、それ!」


 埒があかない。

そんな不毛な会話に終止符を打ったのは私でも、ましてや向かいの馬鹿男でも無かった。



「お二人さんや。喧嘩なら他所へ行ってやってくれや」


 お玉を片手に腕組みをして鬼の形相で見下ろしてくるのは、大将。

この店の主人だ。

ゆらゆらと揺れる炎のように大将の全身から発せられる怒気に、背筋にぞくりと悪寒が走る。

身体中、特に大将に近い右半身の毛が逆立ち、本能的な恐怖を感じ取っていた。


 とてもじゃないけれど、ただの飲食店の主人の放つプレッシャーとは思えない。


「……スミマセン」


 二人して恐怖に顔を引き攣らせながら誠心誠意謝ると、漸く大将は頷いて厨房へと戻っていった。


「……ちょっと! あの人いったい何者なのよ!?」

「見ての通り、この店の主人だよ。昔はかなり腕の立つ探索者だったらしいけどな……」

「そういう事は早く言いなさいよ……」


 チラチラとカウンターの奥を気にしながら小声で問えば、特大級の爆弾を投下される。

不満の声を洩らす私に、だって訊かなかっただろうと学者先生は子供じみた言い訳をした。


「この店の料理が、この味・このボリュームでこんなに良心的な料金設定なのは、大将が現役時代に十分稼いだからっつって、利益を度外視しているのと、その現役時代に築いた人脈で、調味料やらスパイスやら食材なんかを安く卸してもらえるおかげらしい」



 本気で怒らせたら最後。

ありとあらゆる人脈と、当人の戦闘力を以てとことんまで追い落とされるという事ね。

最悪の事態を想像して私はブルブルと身震いをした。


 絶対に敵に回してはいけない人。

師匠の名前もしっかりと記載されているそのリストに、大将を加える。

怖いならこの店に二度と来なければいい話なのだけれど、それをするにはこの店の、大将の料理が魅力的過ぎた。

これを二度と味わえないなど、拷問だ。



「……仕方無い。なるべく他人には黙っておこうと思ってたんだがな。どうにもそれを聞かせない事には信じて貰えなさそうだ。俺としてもこれ以上、単独で迷宮に潜るのは避けたいんでね。シャンヌ……だっけか? 特別に、お前に俺の秘密を教えてやるよ」

「秘密……?」


 急に改まった様子で勿体ぶるように告げる考古学者に、私はほんの僅かだけれど興味をそそられた。

あちらはあちらで何か訳有りのようだ。


 オウム返しで問う私に、奴はしっかりと頷いてから口を開いた。



「俺の名前はナツメ・オリハラ。異世界から来た人間だ」



 他の客が誰もいない、とある飲食店の一角にて。

耳慣れぬ単語が確かな音を持って自分に手向けられるのを、確かに耳にした。



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