第4話 食後のお茶とナツメの秘密
異世界。
ここではない、どこか別の世界。
そんな思想が世の中に存在する事は、知っていた。
己がそれを信じたいのなら、勝手に信じていればいい。
何かを心から信望する事など、他者に強制されたとて容易に出来る事では無いのだから。
そう思っていた。
けれど、現実に自分がそんなカミングアウトをされてみて思うのは、全く別の事だった。
「……貴方、頭大丈夫?」
「酷いな、オイ! 人がせっかく重大な秘密を打ち明けているっていうのに……」
「お黙りなさい。また大将を怒らせてしまうでしょう?」
「あ……、ハイ、スミマセン」
ナツメと名乗る彼を一喝し、口を慎むように促しておいてから、私はカップを傾ける。
うん、食後のお茶が美味しい。
たっぷりと3分間は、お茶を愉しむ事に費やし、私も彼もまた無言の時を過ごした。
店内には大将が鍋を振る音と、ナツメのズズズッとお茶を啜る音だけが響いている。
もう少し静かに飲めないものだろうか。
そんな一時を経て、そろそろ頃合いだろうかと今度は私の方から口を割る。
「……で、秘密って?」
「だから、俺は異世界から来たって」
「まだ言うか!」
懲りないナツメの頭上で私の右手が光速で翻り、拳が唸った。
「イテッ! 何も殴る事は無いだろう! しかも、グーで!」
「拳で殴ろうが、平手打ちをしようがそんなのどっちだっていいでしょう? 面倒だから殴ったのよ!」
「お二人さんや……」
またも喧嘩を始めてしまった私たちに、床板をミシミシと踏み抜きそうな音を立てて大将が迫る。
勿論、大きな足音を立てているのはわざとだろう。
「ごめんなさい、スミマセン、もうしません!」
一度目よりも明らかに凄味の増した大将の顔に、さーっと全身から血の気が引く。
向かいのナツメの顔は蒼白で、きっと私も大差無い表情をしているに違いない。
「……いいか。俺はこれから、俺の身に起こった出来事をありのままに話す。とりあえず最後まで聞いてくれ。途中で口を挟んだりするなよ?」
再び厨房の中に戻っていく大将の背中を見送ったナツメはそう言うとやや一方的に長い話を始めた。
*****
「……つまり、異世界で学生として暮らしていた貴方は、気付いたらとある迷宮の最下層のボス部屋にいて、絶体絶命の状況下でなんとかそのボスを倒し、命からがら迷宮を脱出した。そんな事件は二度とごめんだと呪いの言葉を吐きつつも、元の世界に帰る方法が判らないので、手掛かりを得るべく、考古学者として活動している、と」
話を聞き終えると、色々な装飾的表現を取り払ってナツメの話を纏め、自分の解釈に誤りがないかを確かめた。
それにナツメは大きく頷く。
確認を終え、私は話の間中言いたくて堪らなくて、胸の内に秘めていた一言を漸く吐き出した。
「……可哀想に。きっと、どこかで強く頭を打ってしまったのね」
「頭なら、ついさっきお前に強したたかに打ぶたれたばっかりだよ……!」
うっすらと涙さえ浮かべて慈愛に満ちた眼差しを向ける私に、ナツメは小声で怒鳴る。
「もう一度刺激を与えれば、正常に戻るかと思って。認めたくない気持ちも解るわ。誰も自分のオツムを疑いたくないものね」
「俺の頭は昔のテレビかよ……! ……オイコラ、憐れむような目で俺を見るんじゃない」
「もう一回叩けば或いは……」
「叩くな……! 俺の脳細胞が死滅してしまう」
尚も、ああ言えばこういうという言葉に相応しく、私が何か言う度に囁き声で叫ぶナツメを私はひたすらに温かい目で見守った。
極限まで抑え込まれた声で叫ぶだなんて、なかなか器用ね。
言葉の端々に『テレビ』だの『脳細胞』だの意味不明な単語が散りばめられているのは、きっと彼が錯乱しているせいだろう。
「分かったわ。もういいの。今は無理でもきっと何時か正気に戻れる時が来るわ」
「俺は何時でも正気だ。……はぁ、もういい。あんたも相当頑固みたいだな。だけど、俺の秘密を知ったからにはとことん付き合ってもらうぞ。まずは、お前の戦い方を見せてもらおうか?」
「いいけど、もし貴方が死んでしまっても責任は取れないわよ?」
何故かナツメに仕切られている状況に、釈然としないものを感じながらも応じた。
奢ってもらった以上、約束は果たすつもりだ。
「ああ、構わない。ふん、お前の驚く顔が今から楽しみだな……。大将、ご馳走さん!」
宝は欲し、魔物は恐ろし。
そんな腰抜けが多い中、自ら迷宮に潜ると言って聞かない彼は、異世界云々の話を抜きにしても私の目には相当な変わり者として映る。
怖がるどころか、不敵な笑みを浮かべるナツメの姿に呆れつつも、ほんの僅かながら信じてみたいという感情が湧き上がってくるのをひっそりと自覚した。
「おう、また来いよ!」
御代をテーブルに置いて立ち上がり、大声で食事の礼を言うナツメに、大将はこれまた大きな声で応じた。
当初の予定より随分と遅くなってしまったけれど、今日の探索とナツメのテストの開始だ。
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