フランスよ、おおフランスよ

 そろそろ退院の日も近づき、しっかりしたものが食べられるようになっていたわたしは、にーちゃんからカヌレの差し入れを受けていた。カヌレ。正しくはカヌレ・ド・ボルドー。フランスでは古くからある伝統的な菓子なのだが、日本ではわりとお洒落なものというイメージが強いですね。ちなみに、差し入れといっても市販品ではなく、にーちゃんのお手製です。お手製と言ってもプロの作で、プロ用の環境で作ったものだから、市販品と比べても何の遜色も無いけれど。


「にーちゃんがさ、パティシエの道を志したきっかけの話。また聞かせてほしいな」

「ああ」


 もちろんわたしは過去に何度も聞かされているのだが、わたしはこの話をしてもらうのが好きだった。


「オヤジと一緒に二人で暮らすようになってからな。オヤジと一緒に飯を食うときは、外で済ませるか、出前でも取るか、そんなんがほとんどやった。だけど金だけは渡されとったから、自分でそれなりにそれなりのものを、自分用には作るようになってん。で、おれが作って、オヤジと一緒に飯を食うようになったりもするようになった。そんなある日のことやった。叔父貴がうちに来たんや。愛凜、まだ赤ん坊のお前と、お袋さんを連れてな」

「うんうん」

「で、その日、おれが飯を作ったんやけど。最後に、ブラマンジェを出したんや」


 ブラマンジェというのはフランスの、日本人に分かりやすいように簡単にいえば白いプリンみたいなもの。火を使わなくても作れるので、初心者向け。わたしも作ったことがある。


「で、聞いた。『これなら愛凜ちゃんも食べられるかな?』って。そうしたら叔父貴は、ブラマンジェに口を付けるどころか、一瞥しただけで言った。『それは無理だ。聖君、これは蜂蜜を使ったね? 一歳未満の赤ん坊には、蜂蜜を食べさせてはいけない。これは大切なことだから、よく覚えておくといい」

「うん。さすがあたしの父さん」

「正直、タマがヒュッってなったわ。だけど、おれがシュンとしかけたら、叔父貴はブラマンジェにスプーンを伸ばして、自分の口に運んで、おれの目を見て言ったんや。『だが、もちろん赤ん坊でなければ大丈夫だ。このブラマンジェは、美味い。君は菓子職人として、いいセンスを持っている』て」

「うんうん」

「それでおれは叔父貴に惚れこんでしもうた。で、その場で弟子入りを志願して、紆余曲折を経て現在に至るわけや」


 この話はわたしと聖にーちゃんの馴れ初め(?)のエピソードでもあるのである。だから好きなの、この話をしてもらうのが。


「父さんがしっかりしてなかったら、あたしは乳児ボツリヌス症でそのとき死んでいたかもしれないんだねぇ」

「だから何度も言うけど、それは堪忍してえな。おれの人生でその一回限りやから、それやりかけたんは」

「あはは」


 まあ、蜂蜜を口にしただけで乳児ボツリヌス症の発病に至ることも稀なら、それで死亡事故になることももっと稀だけど、いちおう、菓子の世界でのリテラシーってやつの問題だからねー、これは。

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