林檎は何にも言わないけれど

 級友たちが南仏プロヴァンスのサン=ヴィクトワール山に辿り着き、LINE経由の写真などが送られてきたその頃、わたしは病院の個室のベッドに横になり、聖にーちゃんに林檎を剥いてもらっていた。ちなみに昨日の時点ではまだすりおろした林檎しか食べられなかったのだが、今朝ようやく医者から固形物を口にする許可が下りたのである。


「ねぇ、にーちゃん。うさちゃんりんご作ってー」

「ええで。ちょっと待ってな」


 ちなみに、あのあと医者に言われたのだが、病院に来るのがあと数時間遅かったら、わたしは死んでいたそうだ。本当に危ないところだったらしい。まあ、盲腸は盲腸だから、後遺症とかはなしで完治するんだけど、病気って怖いですね。


「せやで。おれも昔、盲腸で入院したことあるけどな。愛凜と同じで腹膜炎になって、一週間は生死の境を彷徨ってたらしいからな」

「一週間か。あたしがいたらお見舞いに行ってあげたのに」

「いや……まだ生まれてへんかったから……やけど、オヤジしか見舞いにこんかったのには参ったわ、本当に」

「あー」


 わたしの場合はにーちゃんが毎日見舞いに来てくれている。わたしがそうして欲しいと主張しているからでもあるが。ちなみに、言うまでもないがゾラとセザンヌの面倒はにーちゃんに見てもらっている。これも言うまでもないとは思うが、もちろんにーちゃんはうちの鍵を持っているし。


 ところで、不思議に思われはしないだろうか。つまり、にーちゃんの生みの母親についてである。別に故人だとかいうわけではない。実は一樹伯父さんとは離婚しているのだが、にーちゃんが入院したその頃、親子として一緒に暮らしていた。


「せや。オヤジとあの女が離婚したあと、おれは連れられてキタ(※大阪の北部地域のこと)で暮らす羽目になってんけど。あの女、家族のはずで実の息子のおれが死にかけてるっちゅーに、他の男と海外旅行中だからって見舞いにもきーへんで」

「ひどいよねぇ」


 もちろんわたしは前から知ってる話ではあるが、それらしく相槌を打つ。ちなみに、伯母さんはそのあと、そのときのその男と結婚したのだが、そっちも一年くらいで離婚してしまった。聖にーちゃんは親の離婚を二回も経験しているのである。


「せや。あの女が二回目に離婚したとき、おれもう心底嫌になってな。オヤジのところに逃げ込んだんや」


 これについてはそのあとちょっとは揉めたらしいが、何しろ一樹伯父さんは弁護士なので、自力でなんとかしたらしい。なお、わがEARTHBOUNDグループの顧問弁護士をしているのが一樹伯父さんなのである。強固なる血族経営。


 なお、こんなことをわたしの立場で言うのもなんだが、聖にーちゃんが『玄野達樹の正統なる後継者』としてグループに君臨する野心を持っているのなら、わたしと結婚することは絶対に必須と言っていい。野心だけでわたしと結婚されるのはさすがに微妙ではあるが、それでもこの事実はわたしの聖にーちゃんに対する最強最大のカードであった。もちろんにーちゃんだってその事実を分かってはいる。


 で、分かっている上で、それでにーちゃんがわたしとの結婚という問題についてどういう見解を持っているかというと。


「おれ、愛凜がどうとかじゃなくて、自分が結婚するってこと自体考えたくないねん。結婚ってのは、離婚と表裏一体なんやで。親子にきょうだい、それからいとこ同士の絆は切っても切れんけど、夫婦の絆なんてのは脆いもんやからな」


 ということである。


 まあ、にーちゃんがこういう考え方をしているおかげで、わたしが子供である間に他の女に引っかかったりしないのは助かるといえば助かる。あとはわたしが法律婚のできるようになる年齢になるのとタイミングを合わせるようにして、じっくり料理していけばよいのだ。にーちゃんがわたしを、ではなく、わたしがにーちゃんを、である。にしし。

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