第202話 好きに

 ジンはヴァーレンハイトとの対談に一つの区切りをつけて帰路を歩いていると、そろそろ目的地であるテズームの屋敷まで十分と数分というところで知ってる顔を見つける。


「イーサン......」


 貴族街は平民街と違い、夕暮れ時の人通りがあまり無い。その中でジンの進行方向にイーサンは一人、壁に背を預け立っていた。

 ジンに気づいて右手で手を上げる。

 ジンは歩くスピードを変えずにイーサンに近づく。


「イーサン、右手、もう大丈夫なのか?」


 ジンが最初に気になったことはイーサンがこの場にいることよりも、確実に折れていた右手に手当ての跡がないことの方だった。


「ジンが城に行った後、ローズ・ディラス嬢が保健室まで来てな、回復魔法とかいうもので治してくれた」


「まじか」


 ジンは明らかに折れていたイーサンの腕が全く問題無く動いていることに改めて驚きと、多少の畏怖を感じる。


(帝国は恐らく、回復魔法が使える者を量産してくる......)


 ジンはまだ少し遠い未来ではあるが、帝国と事を構えた時のことを考えて憂鬱になる。

 けれど今はと気持ちを切り替えてイーサンと視線を合わせる。


「それならローズ嬢には後でお礼を言わなきゃな」


 どういう意図でローズがイーサンを手当てしてくれたかはわからなかったが、ジンがそう言うと、イーサンも頷く。


「それで?そのためにここにいたのか?」


「違う」


「だよな、どうした?」


「一つはヴァーレンハイト陛下との話し合いはどうなったか気になったのと、俺も個人的な話がジンにあったからな」


「そうか、話し合いの件は特に語れることはないな。この国の少し深いところを知っちゃったな〜ってところか?」


「なんだそれは」


「んー、今現状イーサンに話せる事は......悪い、無いかもしれん」


「......そうか。それは俺を危険に巻き込むからか?それともジンの身が危険だからか?」


「強いて言うなら、両方だな」


「なら聞かん」


「助かるよ、それでそっちはどうだったよ?」


 ジンは試合が終わってすぐに騎士に連れられて城まで直行したので、イーサン達とは試合以降会っていなかった。


「リナリー嬢達は問題なく屋敷にいる。帰ったら祝ってもらうといい」


「そか、ペレット嬢とは?」


「明日、ペレットの家に行ってくる」


「家にって......待て待て待て!話が早すぎないか?お前の実家は?」


「実家には数日前に連絡してある。恐らく準決勝まで勝ち上がれば、あの行動を取ると」


「......まじか、それで?返事は?」


「来て無いな」


「いや、来てねーのかよ!大丈夫なのか?」


「元々婚約者はいないからな。大丈夫だろ」


 中々適当なことを言うイーサンにジンは少しだけ呆れる。


「ま、まぁイーサンがいいなら俺から何も言う事はないけど......」


 二人が歩くのを再開するが、会話はない。

 しばらく歩いた後、イーサンが口を開く。


「......ジンはリナリー嬢と婚約するとき彼方の家族に挨拶しただろう?」


「ああ、懐かしいな。もう何年も前だ」


「その、どう、だった?」


「え?」


「相手のご家族とどんな話をしたんだ?」


 ジンはイーサンの初めて見る態度に笑みが漏れる。


「流石のイーサンでも緊張するのか?」


「当たり前だろう」


「へぇ、あの仏頂面がデフォで緊張なんかしませんて面のイーサンがなぁ」


「仏頂面は関係ない」


 イーサンはジンに揶揄われたのだと思ったのだろう。口を尖らせてそっぽを向く。


「悪い悪い!イーサン、悪かったって!」


「......」


「ちょい、ほんとすまん」


 ジンは揶揄う場面ではなかったと思いながら謝る。


「もういい、それで、どうだったんだ?」


「そうだな......緊張はしたな。俺の場合身分がえらい違うし、今でもあの頃の俺すげーってなるな」


「伯爵家ならギリギリ成り立つんじゃないか?」


「言っても歴史があるわけでも領地があるわけでもないからな。今現在功績を立てて爵位を貰った貴族が、歴史に胡座をかいてふんぞり返る一部の貴族達に劣るなんてこれっぽっちも思わないが、貴族においての歴史や領地は、即ち王からの信頼だ。そうなってくると俺とリナリーの婚約は奇跡と言ってもいいかもな」


「......」


 イーサンは真剣な顔でジンの話を聞く。


「けど、俺とお前じゃ状況がちょいと違いすぎるからなぁ......けど、俺があいさつに行った時に持ってったのは、覚悟だな」


「覚悟?」


「そ、戦場に出る時と同等かそれ以上の覚悟だ。絶対に引かないって、それだけ思ってたかもな」


「......そうか」


 二人は話しながら歩いていたため、もうすでに屋敷が目の前まで来ていた。


「緊張もするし、恐らく親父さんの目力はやべーけど、お前の覚悟を伝える。俺から言えるのはこれくらいかな」


「恩に着る」


「やめろ、やめろ、大した助言じゃない」


 ジンはそう言うと、イーサンの背中を軽く叩いく。


「気張ってけよ」


「ああ」


 二人は屋敷の扉の前で拳を合わせると、中に入り、リナリー達の歓迎を受けるのだった。

 一方その頃、レイラは自室で父であるユークリウスの帰りを待っていた。

 日輪祭後、家令によって、ユークリウスが日輪祭の決勝を見に来ていたことを教えられ、帰り次第話があると伝えられたレイラは帰宅した後ずっと自室にいた。

 レイラはユークリウスがどういう判断をするのか、いつもなら冷静になれば考えの一つや二つ出てくるのだが、今日に限って何一つ思い浮かばない。

 答えは出ず、ただ時間だけが過ぎていき、どれくらい経っただろう、もうすでに窓の外は暗く、すでに帰宅してから数時間が過ぎてしまったとレイラがぼんやり考えた時にドアがコンコンと鳴る。


「お嬢様、旦那様がお帰りです。執務室にてお待ちしていると」


「わかったわ」


 レイラはゆっくりとだが、確かな足取りで立ち上がる。

 レイラは真っ直ぐ執務室に向かい、ドアノックすると中からユークリウスの了承が聞こえたので執務室に入る。


「来たか、座りなさい」


「はい」


 執務室に用意された談笑用の椅子にレイラが腰掛けると、ユークリウスもレイラの対面に座る。

 2秒ほどお互いに沈黙し、ユークリウスが先に喋り始める。


「すまなかった」


 ユークリウスの第一声は謝罪からだった。


「お前があんなにも苦しんでいたというのに、私は何一つ気づくことが出来ず、結局お前にあんな形で負債を負わせてしまった。父親として合わす顔がないとすら感じる。テレジアにも顔向けできん」


 テレジアとはレイラが幼い頃に亡くなった実の母親のことだった。


「いいえ、お父様のせいではありません。婚約者としてセイン様につれ添えなかった、全て私の責任です」


 レイラの答えは嘘偽りない本心だった。セインのことをレイラはどこか諦めていた。何年も前にユークリウスが言っていたことを恐れてセインに固執していたが、だからといってセインの中身を見るわけでもなく、ただ自分の考えを押し付けていただけだと今ならわかる。だが、恐らくセインを本気で見ていたとしても結果が違ったかは怪しいが、そこまで考えられるほどレイラは婚約者としてセインを見ていなかった。


「だとしても、お前は子供で、何より私はお前の親だ。全ての責任は私にある」


 このままではイタチごっこになると、レイラはユークリウスの言葉に静かに頷く。


「その上で、私は親ではなく貴族としてお前にアーデウスの繁栄のために言わなければいけないことがあるのだろう」


 ユークリウスの話は当然の流れだとレイラは思った。

 先程、謝罪が行われたのは、親としての謝罪。今からの話は貴族としての話だからだ。

 レイラも貴族の娘としてユークリウスの話を聞く覚悟はもう出来ていた。

 トラウマはある。頭の隅にこびりつき、どうしても拭いきれないトラウマが。それでもレイラは覚悟を決めることができた。

 例え、これから先に待つのが途方もない苦しみであったとしてもレイラはパーシャルのように全てを諦めて自ら命を絶つという選択を取らない覚悟を。

 それができたのは一重にジンのおかげだろう。彼は隣国とはいえ自分の立場を全て捨て、自分を救ってくれた。その真意を知る事は叶わなかったが、それでもジンの行動に想いやり感じた。ならば、自分は誰からも愛されていないわけではないと強く思える。

 願わくば彼の隣に行きたいと小さな願望が疼くがそれは望みすぎだとわかっている。

 ユークリウスの謝罪も聞けた。ならば、少なくとも自分を想い、気遣ってくれる人間が二人もいる。であるなら自分は折れずに立っていられる。そうレイラは思ったからだ。

 だからレイラは迷う事なく頷ける。その目に希望はない。けれど絶望もなかった。

 ユークリウスはレイラが頷くのを確認すると立ち上がり背を向ける。


「いいか、ジン・オオトリが帰国し次第お前はベータル王国に長期の留学を命じる」


「え?」


 まさかの言葉にレイラは目を見開いて、驚く。


「もう一度言う。お前は二ヶ月後ベータルに長期の留学を命じる。これはアーデウス・ユークリウスの決定である」


 なんでという思考が、レイラを支配する。レイラの思考を知ってか知らずか、ユークリウスは背を向けたまま穏やかにレイラに言葉を投げる。


「レイラ、お前には母さんの話をあまりしたことがなかったな」


「え?」


 レイラは急な話に素っ頓狂な声を挙げる。


「そ、それは」


「お前には母を思って泣いて欲しくなくてな。あまり語らんようにしていたが、本音を言えば話せば私が泣きそうになってしまうからなんだ」


 ユークリウスの笑顔は今まで見た笑顔の中で一番優しく。それでいて悲しそうだった。


「お前にはカッコいいお父さんでいたかった。だが、それもただの言い訳だったのだろうな」


 レイラが知っている母の記憶と言えば、優しく自分の頭を撫でる手と、どこか乱暴な口調だけだった。


「お前の母と私は恋愛結婚だ。テレジアは隠匿されてはいるが平民の出だ」


 初めて知る事実にレイラは目を見開いたまま固まってしまう。


「幼少の頃、街でたまたま通りすがった花屋の店で母さんを見かけた、父さんの一目惚れだ。最初はそれはもう父さんは横暴でな、今思いだしても恥ずかしくなる。公爵としてなんでも手に入ると、親の力に濁り高ぶった馬鹿者で、テレジアも俺が公爵の息子だと知れば手に入ると勘違いしていた。だがどうなったと思う?」


「えっと」


 レイラは横暴なユークリウスが想像できずに固まってしまう。


「ははは、一発頬をビターンだ」


「ええ!?」


 ユークリウスのまさかの言葉にレイラは今までで一番驚きの声を上げる。

 何故なら平民が貴族、それも公爵家に手を出したなどと知られれば、もしかしなくても罪に問われるからだ。


「いやはや、その時のテレジアの言葉は衝撃だったよ。それも初めて頬を叩かれてな。だが、そのお陰で目が覚めた。彼女の目に溜まった涙の意味を知ろうと思えた。そこからは楽しくも苛烈で今でも鮮明に覚えている。そしてユリアスとお前を授かった。そうだな、その話はまた今度にしようか......レイラ」


「......はい」


「お前は自分の幸せを探していいんだ。私がそうであったように。私は久しく忘れてしまっていた」


 ユークリウスは少し間を開けて体をレイラに向け真っ直ぐに見つめる。


「レイラ、好きに生きなさい」


(きっと君であればもっと早くにレイラにこう言ってあげられたのだろうな)


 それからほぼ放心状態のレイラが出て行ったドアを見つめてユークリウスはそう思う。

 

「これでよかったと思うかい?テレジア」


 誰もいない執務室でユークリウスの声に返事をする者はいなかったが、ユークリウスは満足そうに笑うのだった。

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