第192話 トラウマ
「ラナックは、そうですね、パーシャルにとっては地獄と言える環境だったのでしょう」
「地獄......」
「ラナックは男性優位を基盤とした家であり、さらに言えば後ろ盾を重要視する傾向にあるのです」
「それって」
「家が無くなり、後ろ盾を失ったパーシャルのラナック家での立場は察して余りあるでしょう」
「......」
レイラは自分では想像できないパーシャルの苦しみに顔を歪める。
「レイラ様も知っているでしょうが、交友があった者も王家との婚約と同時に離れていく。これはこの国の悪き風習ですが、どうしようもないことでもあります。結果、パーシャルは誰にも相談することが出来ずに、憔悴して行ったのでしょう」
「でも、ケネシーなら」
レイラはパーシャルと自分に重ね合わせるなら、パーシャルとケネシーにも自分達とは違いはあれど、そこには絶対に信頼関係があった筈と思った。
「そうですね、ですが当時の私はラナックの家庭内のことまでは知り得ませんでしたし、現王妃様の教育を終え、私は領地に戻ったタイミングでパーシャルはラナックへと嫁ぎました。パーシャルと疎遠になった私がパーシャルの異変に気づいたのは今から三年前、その時にはもうすでにパーシャルの心は壊れていたんだと思うわ」
「そんな......」
「ですが、ヴァーレンハイト様の命で貴女の教育係になったあの娘は、以前の、ラナックに嫁ぐ前に戻ったようで安心していたです、でも今思えば私は、ただ目を背けていただけだったのかも知れません」
「......でも、なんでパーシャルは事故で死んじゃったのに手紙を残してくれてたの?」
「事故?事故などではありません!あの娘は!あの娘は、自ら命を絶ったのです。そしてその手紙は、あの娘が最後に......最後にラナック家でも無く、私でも無い、貴女に宛てた手紙です」
ケネシーは淑女として声を荒げるなどあり得ないことでは有るが、我慢できずにと言った腱膜で声を荒げる。
その顔は今までで一番の悲しみにが浮き出ていた。
「自ら......?」
レイラもレイラでケネシーの言ったことに衝撃を受けて固まってしまう。父であるユークリウスが嘘を言っていた様には見えなかった。であるなら真実を伝えられている者が少数なのではと冷静な自分が分析するが、そうで無い胸の奥から煮えるような感情が湧き上がってくる。
「いいですか、レイラ様!」
ハッとレイラが現実に戻るとケネシーの顔が目の前にあり、肩を掴まれていた。
「貴女はあの娘によく似ています。どうか貴女だけは、あの娘を忘れないでください。あの子は貴女を......貴女を」
ケネシーの悲しみと怒りが刻まれたその顔を、今でもレイラの脳裏に焼き付いている。レイラはこの時から恐怖しているのだ。一人の人生を、愛する存在の人生を壊してしまった戦争を、婚約破棄を、そして何よりもパーシャルの心を壊しておきながら、愛する存在が死んでしまった事を悲しむように涙を流していた、ラナック家と言う家を。
レイラがもう少し大人であったならラナック家に恐怖ではなく、怨みを持っていたかも知れない。怒りを持っていたのかも知れない。けれど八歳のレイラにとってパーシャルからのあの手紙はトラウマを植え付けるには十分だったのだ。恐怖と言う呪縛がレイラの心に刻まれた。
ただ、レイラも八歳のこの記憶を覚えてはいたが、もうすでに子供の頃の記憶で、今でもパーシャルのお墓参りなどには行くけれど、それでもそれは色褪せた過去だ。
そんなレイラがこの事を思い出すきっかけは、十六歳の誕生日だった。
「お父様、一つ質問があるのだが良いだろうか?」
「レイラ、その喋り方はそろそろ」
「うっ、そうですね。申し訳ありません」
「わかっているならいい、それで?質問とはなんだ?」
レイラは誕生日にも関わらず、セインから誕生日プレゼントが届かなかった事で、もうすでにセインと自分には埋めることの出来ない溝があることを察したレイラはユークリウスに一つの質問をしたのだった。
「もし私が、殿下との婚約が解消された場合どうなりますか?」
「......はぁ、そうだな、恐らくラナック伯爵家になるだろうな」
ラナックと聞いた瞬間、レイラの思考が止まり、再び動き出す時には過去、レイラに恐怖を植え付けた出来事がフラッシュバックする。
それ以降レイラはセインとの婚約にこだわるようになった。
レイラは待機観戦の場で長い長い回想から戻ってくる。
「拾えよ。まだ始まったばかりだぜ?」
すでに試合は始まっており、ジンが今しがたセイン達の木刀を全て弾いたところだった。
明らかな格の違い。セイン達はジンに木刀を弾かれたことすら気づいたいないようだった。
「どう言うことだ?」
レイラから見てもジンの動きは常軌を逸した速さなどではなく。目で簡単に追える速度であり、セイン達、その中でもネムとヨーゼフすら気づいていないなどあり得るのだろうか?
「すごいな」
そう漏らす審判役の騎士にレイラは横目を向ける。
「何が起きたのでしょうか?」
「......恐らくだが、敵の認識外からの不意打ちをしたのでしょう」
「不意打ち?それはおかしいのではないでしょうか?ジン殿は明らかに殿下達と視覚内にいました。なのに不意打ちなど」
「それがどうもあり得るのですよ。私のところの隊長も似たような技術を持っています。側から見れば大したことの無い動きでも、対面すると存在が掻き消えたように認識出来なくなる。そう言う技術が」
「それは......」
勝てないんじゃないか?と言う言葉は虚空に消える。だが、レイラは知らない、ここから先、同じように何度も何度も驚愕する事を。
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