第190話 レイラ・アーデウス
レイラの根底にあるのは、漠然とした恐怖心だった。
その根源を知るには、レイラの幼少を知る必要がある。
始まりはレイラが当時六歳、ユークリウスとの会話からだった。
「レイラ、お前の婚約者が決まった。第二王子で有られる、セイン殿下だ」
「婚約......ですか?」
「そうだ。少し早いが第二王子との縁談だ、これを逃す手はない」
「......わかりました」
当時、六歳のレイラには父であるユークリウスの言っている意味がわからなかった。
ユークリウスは政治的に見て、もうすでにレーダスの婚約者は他国の姫、それも第一王女だ。そうなれば国内の基盤を厚くするために、ジーゼウスもしくはアーデウスに話が回ってくる事はわかっていた。その上でジーゼウスに女児は居ない事から、これは殆ど決定していた話でもあった。
レイラは婚約を言い渡された次の日から第二王子の婚約者としての教育が始まった。そしてレイラの恐怖心の根源となる人物と出会う。
「お初にお目に掛かります。私、レイラ様の教育係を務めさせて頂く、パーシャル・ラナックです。よろしくお願いします」
「あ、あの、レイラ・アーデウスです!お願いします!」
「レイラ様、私に敬語は要りません」
「は、はい!」
「ふふふ」
優しく笑うパーシャルにレイラは緊張が少しほぐれる。それ以降、厳しくも優しいパーシャルの淑女教育が始まる。
時に厳しく、普段はとても優しいパーシャルに母親を三歳の時、病で亡くしているレイラが懐くのに然程の時間を要さなかった。
「パーシャル!今日は少しだけお話ししてから勉強したいな!」
「かしこまりました」
「やったわ!」
レイラはパーシャルの了解を得てパーシャルの膝にウキウキでピョンと飛び乗る。
パーシャルの話はいつも新鮮で、蝶よ花よと育てられたレイラにとって毎日の勉強の始まりや終わりにパーシャルの話を聞くのが日課になっていた。
それから二年、パーシャルとレイラは順調に信頼を育んでいき、レイラにとってパーシャルは母親の面影を身直に感じられる存在にまでなっていた。
「パーシャル!今日はね、叔父様がいらしゃってね!」
「......そうですか」
「......パーシャル?」
「はい」
「パーシャル!」
「あ!すみません!なんのお話でしたっけ?」
「酷い!パーシャルなんて知らない!もういいもん!」
「ごめんさい、レイラ......機嫌を直して?こっちを向いて、その可愛い顔を見せて?」
「ん!」
わかりやすく膨らましたレイラの頬をパーシャルは優しく包んで目線を合わせる。
レイラはしばらく可愛く目を細めていたが、すぐに機嫌を治して話を再開する。レイラはこの時、なぜもっとパーシャルの事を気にかけ無かったのかと、後になって後悔する。
だが、誰がどう考えても幼いレイラにはどうすることも出来なかった。けれど、等の本人にとってそんな事は関係ないのだ。
それから半年が経った頃だった。レイラの元に一つの悲報が届く。
「レイラ様、旦那様がお呼びです」
「お父様が?」
メイドにそう言われてユークリウスの書斎まで行くと、ユークリウスは真剣な表情で待っていた。
「お父様?」
「来たか、レイラそちらに座りなさい」
「どうかしたの?」
ユークリウスは無言でレイラに座るように言った。レイラは大人しく指定された椅子に座る。
「レイラ、落ち着いて聞いて欲しのだが」
「?」
「パーシャルが亡くなった」
「え?」
ユークリウスの言葉の意味を理解出来ずに聞き返してしまう。
「どういう事?」
「......」
レイラが人の死について理解したのは五歳の夏、祖母が天寿を全うした時だろう。それまで母がいない事を特に気にしていなかったが、母も恐らく祖母のように永遠の眠りについたと理解した。
「なんで......?」
「......」
「なんでパーシャルは死んじゃったの?」
「......事故だそうだ」
「嘘だもん!」
「......」
「嘘だもん!嫌だもん!嘘だ......もん」
レイラは立ち上がり声を荒げるがユークリウスは、何も言わないのを見て言葉尻が萎んでいき、瞳に涙がどんどんと迫り上がってくる。それを見たユークリウスは娘が今、精神的に大きなショック、自分が妻を亡くした時のようなショックを受けている。何か言わねばと口を開こうとした瞬間、レイラは部屋を飛び出してしまう。
「もういい!お父様なんて大嫌い!!」
「レイラ!」
ユークリウスの声は届かず、レイラは自室に走り込み、枕に顔を埋める。
レイラの心はぐちゃぐちゃだった。八歳の心の器には収まらない感情が、涙として外に溢れる。止めどなく流れ出る涙で枕を濡らした。暫くして、もう涙も出ず、枯れ果てたとレイラが思った時ドアをノックする音が聞こえる。レイラがそちらにゆっくり視線を向けるとドア越しにユークリウスの声が聞こえる。
「レイラ......お父さんだ。パーシャルが天国へ逝ってしまった事実はどうすることもできない、まだ子供のお前に到底受け入れられることでは無いだろう。泣くのが、悲しむのが悪い訳ではない。けれどパーシャルは......お前を実の娘の様だと言っていた......そんなパーシャルが自分のせいでレイラがずっと泣いていたら、パーシャルも悲しむんじゃないか?」
「......」
「今日は目一杯泣きなさい。けれど明日になったらパーシャルに心配させないために辛くても、悲しくても、苦しくても、パーシャルのために笑って上げなさい」
ユークリウスの言っている事を理解するのは大人でも難しい。ましてや、まだ八歳のレイラに言葉の意味を理解することはできるなどとは思っていなかった。けれど、もしかしたらこのまま、レイラの心が壊れてしまうかも知れないと、自分の過去を鑑みて、正直に伝えたのだった。
ユークリウスは言わなければいけない事は言ったと、レイラの部屋から離れようとすると、背後でドアの開く音がしてそちらを向くと、レイラが泣き腫らした顔で立っていた。
「レイラが泣いてたら、パーシャルも泣いちゃうの?」
「......そうだね、お父さんなら悲しくて悲しくて泣いてしまうかも知れない。きっとパーシャルも同じだよ」
「でも、でも......ひっぐ、レイラ、パーシャルともう会えないの、ううぅ、やだ......」
すでに枯れ果てたと思った涙だが、気づいたら流れ出していた。ユークリウスはレイラに駆け寄って抱き締めると、レイラは何かが決壊した様に大声で泣き出すのだった。
だが、この死が直接レイラに恐怖心を刻んだ訳では決してなかった。
それから翌日にはパーシャルの葬儀が行われ、レイラも涙が止まらなかったが、それ以上にパーシャルの夫であるラナック伯爵が周りの目を気にすることなく泣いていて、見っともないと言う人間もいたが、大半が愛する妻を亡くしたラナックに同情的だった。
レイラも同じでパーシャルは愛されていたのだと、少しだけ救われた気持ちになる。
あの手紙を見るまでは。
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