第140話 ノア・セレーネ

 ジンが教室に戻るとちょうど一時間目の授業が終了していた。

 ジンに少し注目が集まるが、ジンは気にすることなく自分の席に着く。

 自分の席に座るとすぐにテオが喋りかけてくる。


「どこ行ってたんだ?」


「ちょっと生徒会の用事でな」


「そっか、忙しそうだな」


「まぁ、色々とな」


 ジンはまだ正式に留学の話を知る生徒はいないためしゃべるなと言われていたので詳しく話す事はなく頷く。


「なぁ、ジン」


「どうした?」


「俺に剣術を教えてくれないか?」


「剣術?急だな、なんかあったのか?」


「この前の遠征、俺はなんの役にも立たなかった.......今までの考え方じゃダメだと思ったんだ」


「そうか」


 ジンはテオの訴えに真剣に考える。


「テオは将来どうなりたいんだ?」


「え?」


「このクラスで卒業まで行ければ、中々の地位に着けると思う。お前の頭が有れば文官にもなれる。なら剣を持つ必要はないんじゃないか?」


「......」


 テオは少し俯いてから何かを決めたように顔を勢いよく上げる。


「それでも!教えてくれ!将来とかまだ全然わかんないけど.......でも、お前とイーサンが二人で戦場に行くのを見送るのは、嫌だ」


「なんだよ、女の子みたいなこと言うな」


「ジン!」


「すまんすまん、からかいが過ぎた。わかった、でも俺の剣術は少し特殊だからな.......どうするか」


 正直ジンの剣術をテオの歳から初めて物にするには無理では無いが、多くのものを犠牲にする必要がある。

 烈刃にしても、今回の一件でテンゼン達がオオトリの家臣として忙しく誰かに剣を教えるという時間が取れるようには見えなかった。

 ジンは少しだけ頭を悩ませるが答えが見つからず、一つの考えを伝える。


「とりあえず、俺の親父殿に相談してみるよ」


「親父って.......ジゲン様か!?」


「あ、ああ」


「ま、まじか、今から緊張してきた」


「いや親父殿が教えるってわけじゃ無いぞ?」


「でも、俺のためにジゲン様が動いてくれる可能性があるんだろう?」


「まぁ、そうだな」


「やべえ」


「テオ?」


「やべえ!まじやべえ!」


 テオのテンションの上がり方に若干ジンが引き気味の反応をしているのに気付いたテオは、咳払いで少し落ち着く。


「コホン、すまん。それじゃあ頼んでもいいか?」


「了解した」


 話纏まったところで授業開始のチャイムが鳴る。

 結構な時間話し込んでいて教室に教師が入ってきていたことすら気付いていなかった二人は、急いで今から始まる授業の準備をするのだった。

 それから午前中は何事もなく終わったが、問題は昼休みに起きた。

 ノアが一人でアーサーのところへ行くと言い、ジンがもう一度止めたが、ノアの決意が固く、結局送り出す形となった。

 それからノアの帰りを待っていたジン達の元に昼休み中ノアが帰ってくる事はなかった。

 結局ノアが帰ってきたのは昼休み明けの授業中だった。

 教室のドアが開き、入ってきたアーサーとノアに教師が何か言う前に、大きな音を立ててジンが立ち上がる。

 なぜなら、明らかに何かに叩かれたように赤くなっているノアの頬を見たからだ。

 ジンは頭に血が上ると一瞬でアーサーに肉薄するとアーサーを殴り飛ばしたのだった。

 時は少し戻り、ノアは昼休み、アーサーと話をするため、一人屋上へと向かっていた。

 予めアーサーには一人で屋上に来て貰うよう、人伝に伝えおり、少し震える脚をなんとか一歩一歩前に出して屋上へと向かう。

 屋上の扉の前に着いて、一度深呼吸をしてから扉を開く。

 開いた扉から日の光で目を瞬かせるが、すぐに目が慣れて屋上全体を見渡す。

 屋上、右手側、安全のために取り付けられた手すりにアーサーは寄りかかるように待っていた。 

 アーサーはノアが屋上に入ってきたのを確認すると寄りかかる体制をやめてノアの方に体を向ける。

 ノアはゆっくりアーサーに近づく。


「お呼び立てして、すみません」


「構わないよ。君と僕の仲だ」


 アーサーのその言葉にノアの心はざわめく。


「大変失礼な言い方になりますが、私とアーサー様の仲とはなんでしょうか?」


「なにって、それを僕に言わせるのか?」


 本気でどこか恥ずかしそうに言うアーサーにノアは恐怖すら感じたが、それを表にはおくびにも出さなかった。


「答えてください」


「......恋人だろう?」


 アーサーは恥ずかしそうに距離を詰めてそう言うと右手で鼻を掻く。

 ノアはゆっくりアーサーから近づかれた距離と同じだけの距離を取る。


「大変申し訳ありませんが、私とアーサー様では認識の違いがございます」


「認識?」


「あの日あの時あの場で私とアーサー様との関係は終わったのです」


「え?」


「理解はしているつもりです。あの場でのアーサー様の行動を非難する気はありません。もし私がアーサー様の立場でも同じ選択をした可能性はあると思います」


 ノアはそう言いながら、ジンを思い浮かべる。彼はそんな中、アーサーとも自分とも違う選択を即座にした。

 自分のなにが彼をそこまでさせたのかわからない。もしかしたら自分じゃ無くても彼は同じ行動をしたのかも知れない。だが、そんな事はどうでもよかった。

 何度も思うが、頭では分かっている。アーサーの行動が仕方ないことも、自分のそれがエゴだという事も、それを彼はいとも簡単に壊して、自分に手を差し伸べてくれた。一回目は冷静になれば、彼は勅書が偽物であることを見破って救ってくれた。だが、二度目は違う。偽物ではあったが、ロイが本物だといえば本物になってしまう偽物だ。それを見ても彼は自分に手を差し伸べてくれた。

 彼の言葉はノアにはまだ理解できなかった。いくら守ると決めたとは言え、それを押し通すために国家すら敵に回すなんて、普通の人からすれば愚か者以外の何者でもない。

 けれどあの時、ノアは初めて本当に心の底からノア個人に手を差し伸べてくれる人に出会ったと思った。

 信じてみようと思ったと同時にこの人の隣に居たいと願った。

 この人のためなら自分は国家すら、いや世界すら敵に回しても構わないと、そう思うほどだった。

 だから、彼女はアーサーから目を逸らさず言うのだ。


「以前、アーサー様に抱いていた感情は好意と呼ぶのでしょう。ですが、あの時アーサー様と私の物語は終わったのです。大変勝手で失礼ですが......それでもあの時、以前のノア・ダーズリーは死んだのです。ですから申し訳ありません。もう互いにあの時のこと全て忘れて、とは言えませんが、これからはただのクラスメイトとして過ごしましょう」


 ノアはアーサーの目を真っ直ぐ見てそういう。

 アーサーはノアの言ってることを考えるが答えが出ずに纏まらない頭で口を開く。


「待ってくれ、たしかにあの時のことは謝る。僕の覚悟が足りなかった、でもあれで僕たちの関係が終わってしまうのは、その、違くないか?」


 なんとも幼稚な言葉遣いでそう言うアーサーにノアはゆっくりと頭を下げる。


「申し訳ありません。もう私の中で答えは出ているのです。勝手は重々承知しておりますし、身勝手な女だと思っていただいても構いません。以前アーサー様に抱いていた気持ちは嘘ではありません。ですがもう、以前の感情をアーサー様に抱く事はありません。どうかご容赦ください」


「そんな......」


「申し訳ありません......それでは失礼致します」


 ノアはそう言って踵を返すとドアに向かい足を踏み出そうとする。

 アーサーは何か言わなければと咄嗟に言葉を吐く。


「ジンを!」


 アーサーの言葉にノアの動きが止まる。アーサーはノア動きが止まった事で用意していないが何か続けなければと言葉を紡ぐ。


「ジンを好きになったと言うことか?」


 アーサーの言葉にノアは振り返る。ノアの顔を見たアーサーは元々真っ白に近い頭が、本当に真っ白になってしまう。

 何故なら、ノアの顔はアーサーの言葉を肯定するには十分なほど赤面していたからだ。

 ノアは少し目を泳がせてからギュっと目を瞑りアーサーの言葉を頷くことで肯定する。

 そんな顔は、今まで一度も見たことがないアーサーは謎の憤りと悔しさで頭に血が上って行き、思ったことをそのまま口に出す。


「あんなのはやめとけ!騙されているんだよ!あいつはそう言う奴だ!今ならまだ大丈夫だ!正気に戻れ!」


 アーサーの根拠のない謗りにノアは赤面していたのが見る間に白く、感情の読み取れない表情になる。

 それに気づかないアーサーは更に言い募る。


「あれはダメだ!これは僕がどうこうと言う話じゃない!あれは君に災いをもたらすと確信できる。だからあいつはダメだ!」


 アーサーが肩で息をしながら言い終えるとノアは静かに言葉を発する。


「私は言いました。あの時、ノア・ダーズリーは死んだと。今あなたの前に立っているのは、ノア・セレーネなのです。そしてをノア・セレーネとして救ってくれたのはジン様です。私への謗りや罵倒は構いません。それは仕方のない事ですから。ですが、これ以上、私の大事な人への謗りや罵倒は容認できません」


「なんで!」


 アーサーが更に口を開こうとした時、午後の授業の開始を知らせる鐘が鳴る。


「今話した全てが、私の本心です。それでは、失礼致します」


 ノアはそう言うと、改めてアーサーに背を向けて歩き出す。

 アーサーは一瞬呆けていたが、すぐにハッとしノアを止めるべく、ノアの肩を手で掴み止めようとした。するとノアは反射的に、アーサーの手を肩揺らして振り解き、アーサーを見る。


「なんだよ」


 アーサーは手を振り解かれた事にも驚いたが、そのあとのノアの目を見て自然と言葉が出る。


「なんだよ、その目は!」


 ノアの目は以前、アーサーに向けられていた目では無く、他人である男に肩を掴まれたような、恐怖感と拒絶を目に宿していた。

 その目に、自分を拒絶するノアの目に、アーサーは再度、頭に血が上る。


「そんな目で俺を見るな!」


 パァン!と乾いた音が屋上の空に消えていくと、徐々にノアの頬が赤くなる。

 アーサーは思わず、手が出てしまったことにハッとすると、すぐにノアに謝る。


「すまない!」


 アーサーが無意識で繰り出した平手は、正確にノアの頬を捉え、ノアは叩かられた反動で左に顔を流しながら、俯いていた。


「本当にすまない!でも君があんな目を僕に向けるから!」


 アーサーはそれでも自分を正当化しようとするとノアは顔を上げてアーサーを見据えると、小さく、されどアーサーにこれ以上なにも言わせない圧で言う。


「アーサー様戻りましょう。今ので分かったはずです。もうアーサー様と私は以前の関係には戻れないと言うことを」


「っ!?」


 アーサーはノアの言葉についになにも言葉が出てこず、数秒沈黙した後、ノアが三度振り返り、屋上の出入り口に向かう。アーサーは手を出してしまった手前、なにもできず、整理できない中で距離を開けてノアの跡をついて行くことしかできなかった。

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