第137話 本物
ジンがリナリーに詰められている間にやっとノアが落ち着きを取り戻していた。
「次からこのような事が有れば、ジン様とは一ヶ月口を聞きません!」
「はい」
先程のかっこよかった、あの姿はそこにはなかった。
「さて、リナリー嬢もそろそろ許してやってくれ、ノア嬢も落ち着いた様だしな」
ノアが顔を上げたことでリナリーの圧が霧散して、少し前屈みだったのが普通の姿勢に戻る。
「それではまず、ノアから話さなければいけない事があります」
リナリーは何故かノアの事柄なのに断言する。
ノアは落ち着いたとは言えずっと下を向いて自分の握りしめた手を見ていた。
「ノア......」
「......ジン様は」
リナリーに促されノアがゆっくりと口を開ける。
「ジン様は例えば、他の男性をこの前まで好きでいた女が、別の男性を好きになってしまったとしたらどう思いますか?」
「どうって?」
「浅ましいと思いますか?」
ジンは色んな物に敏感である。
殺気や気配、悪意にも敏感だ。けれど事、好意においては超が付くほどの鈍感だ。
これはジンが幼少期から家族の愛情を感じる環境ではなかったからであり、現在自分を無償で愛してくれる存在や信頼を置く存在が使用人を含むオオトリ家の人間と元小隊メンバーと婚約者であるリナリー、釈ではあるが親友のロイだけだと思っているからである。
テオやイーサンも友人であると認識してはいるが、まだそういう存在と言う認識まで行っていなかった。
これは、ジンが愛や信頼という物の線引きを無意識ではあるがしっかりとしていると言うことであり、言わば深層心理だった。
そのため、ノアの質問にジンは当事者であるという認識は一切無く答える。
「そうだな......俺は瞬刃流って流派の剣技を使うんだけど、その教えに、己が心を制するはそれ即ち世界を制す事也、それ即ち神の御業である。と、まぁつまり自分の心を操るのは世界を支配するくらい難しいって事だ。だから仕方がないと思うぞ。それが人間の心ってやつだ」
ジンの言葉にノアは目を見開いて黙ってしまう。
ジンは固まってしまったノアに変なことを言ったかと少し焦るが、ノアは椅子から立ち上がるといきなりリナリーに頭を下げる。
「すみません!リナリー様!私は.......私はもう一度だけ信じたいです!」
ノアの言葉にリナリーは静かに頷いてノアの頭を撫でる。それはまるで可愛い妹を見るような姉の目だった。
状況が読めないジンは目の前の出来事を只々見つめることしかできない。
「何度も言ってるでしょう?いいのよ、私はあなたならいいと、そう言ったでしょう?」
リナリーがそう言うとノアはまた、涙を流し始めてしまう。
ロイとジンは蚊帳の外になってしまい、ロイが二人の世界を作っているリナリーとノアに話を振る。
「それで?ジンがノア嬢に聴きたかったことってなんだ?」
「それなんだが、この一件の打開案を持ってきたんだが」
「ほう、打開案」
「ああ、話してもいいかな?」
ジンはノアに許可を取るとノアが無言で頷く。
「今回、ノアの状況は聞いた。このままで行けばノアは二年に進学する事は疎か、学園に残ることすら難しいと思ってな」
貴族として純血を失ったと噂が経てばそれは学園中に広まっているだろう。そうなればノアの今後の学園生活は辛い物になるとジンも理解していた。
「だから、ノア。君がもしよかったら、養子にこないか?」
「養子?」
「ああ、俺の母方の家であるセレーネ伯爵家への養子だ」
「そんな」
「これは俺だけが言ってるわけじゃない。俺が事情を話して許可はもう得てる。あとは後継人とノアの気持ち次第だ」
「なるほど、お前の頼みと言うのは」
「ああ、後継人をお前に頼もうと思ってな。最初はキリル様にお願いしようと思ったんだが、後継人でお前の名前があれば文句を言う奴もあまりいないだろ」
「ふむ、いいだろう。ノア嬢がこの話を進めるので有れば、このロイストス・バン・ベータルがその後継人になろう」
ロイがそう言い切ったので、全員の視線がノアに向く。
「そこまでして頂くわけには」
「ノア」
ノアが反射で断ろうとしたのを察したリナリーがノアが言い切る前にノアの名前を呼ぶ。
「ノア、あなたはもう少し甘えると言うことを覚えなさい」
リナリーはノアの目を真っ直ぐ見つめてそういうとノアは黙りこくってしまう。
「......なら......私からも一つよろしいでしょうか?」
ノアは数秒黙ってからそう言った。
全員はノアの次の言葉に注目する。
ノアはなんとか決意したという顔で口を開く。
「......私はジン様をお慕いしております」
ノアの言葉にロイとリナリーが息を呑んでジンの返答を見守る。
「ありがとう?」
ジンは急にノアに慕っていると言われてお礼をいうが、言葉の真意を理解していなかった。
ノアもジンに伝わっていないとわかり。一度大きく深呼吸をするともう一度顔をあげる。
「ジン様」
「ん?」
「もう一度だけ聞かせてください。何故あなたは私にそこまでしてくださるのですか?」
「......あの日君を守ると口にしたからだ。男なら一度口に出した事は、とか言う気はない。俺は信念と戦友に誓って自分を貫くって決めただけだし、とか言ってはいるが、あの日の君に過去の自分を重ねただけなのかもしれないけどね」
「つまりジン様は、あの場にいたのが私じゃなくても同じ行動をしていたと言う事でしょうか?」
ノアにそう言われてジンは少し考えてから自分の考えを話し始める。
「確かにあの場からは助けはしたかも知れない。けど俺も聖人君子じゃない。おいそれとなんでもかんでも守るとは口にはしない。今の俺にそこまでの度量も実力もないからな。俺だって人間だ人の好き嫌いだってある。ドール殿下とか超嫌いだし、まぁ要するに」
ジンは一度話を区切るとノアの目をしっかりと見て言う。
「俺はあの日、あの時、君を守りたいと思ったからそう誓った。なら俺は君も君の未来も全部守る。必ず守る。君が笑って人生の最期を迎えられるようにする。それが俺の誓いだ」
ジンの話が終わると部屋に静寂が訪れる。
「それなら」
ジンの話を聞いたノアが少し俯き気味に口を開く。
「それなら、私には夢があります」
「夢?」
「はい、私の未来を守ってくれるならお手伝いして頂けませんか?」
「俺にできることならなんでも協力はするよ。それで?夢ってのは?」
「家族が欲しいんです。愛し愛される。そんな家族が」
これはノアが今まで心の奥底で思い描いていた夢だ。
互いに深く愛し合い、その先に新しい命が誕生し、心の底からその命を愛す。当たり前のようでノアにとっては当たり前ではない家族の形だ。
ジンはノアの夢を聞いて頷く。
(家族か)
「わかった、協力するよ。ただアーサーはやめといた方がいいんじゃないかな?」
「アーサー様のことはもういいんです」
「.......まぁ、それもそうだよな。すまん」
ジンは確かにあの日のことを思い返せばアーサーから気持ちが離れるのは当然のことだ。
すぐに余計なことを言ったなと思い謝る。
「先程の言葉を覚えていますか?」
「えっと、どれかな?」
ジンは本気で分からずに首を傾げてしまう。
「お慕いしております。と」
「ああ、うん。覚えてるよ」
「......」
「......?」
「ノア、もっと直接的の言わなければ伝わりませんよ」
二人の会話を黙って聞いていたリナリーがノアに助け舟を出す。
それを受けてノアが俯いた顔をバッと上げてジンの目を見て言う。
「あの日からあなたのことが好きです。私を守ると言ってくださったあなたが、好きです!私の夢を叶えてください!」
ノアの言葉を最初は理解できなかったジンだが、ゆっくりとノアの言葉を咀嚼していき数秒経ってやっと意味を理解する。
「ええ!?」
ジンは驚きの声を上げる。
「待ってくれ!いや確かにあの場で君を守るとは言った!でもそれは俺のエゴで、それにあの場じゃ吊り橋効果とかもあるわけで!」
「ジン!」
ジンが慌てて色々と言い募るが、ロイに名前を呼ばれて止まる。
「女性が、自分の気持ちを勇気を出して伝えたんだ。最初の言葉それではあんまりだろう。お前も男なら女性に恥をかかせるな」
「うっ!」
ジンはロイの指摘に少しだけ冷静になるとリナリーに目を向ける。
リナリーはジンと目が合うと、少し笑って頷く。どうやらリナリーはジンに全て任せると言うことらしい。
ジンはすぐにノアに視線を戻して真剣に考える。
容姿で言えば、ノアは美少女と言える。
肩のあたりまで伸ばされた髪は、ふわふわとしており、エメラルドグリーンの瞳は長く見つめれば吸い込まれそうにもなる。
性格も普段はお淑やかで聡明、自分の考えを真っ直ぐ言える芯がある。更に言えば、女性特有の膨らみも平均以上の物を誇る。けれど、ジンは今までノアをそういう目で見たことがなかった。
そもそも、リナリー以外の女性をそういう目で見たことがなかったのだ。
「俺は......」
「ジン」
ジンがノアに気持ちを伝えようとした時、またしてもロイが割って入る。
「なんだよ」
「女性に恥をかかせるなというのは、お前の気持ちを言えと言ったんじゃない」
「なら、どういう意味だよ」
「男なら、女性からの求愛は黙って頷け」
「はい?」
ジンはロイの言葉の真意がわからず変な顔で聞き返してしまう。
ロイはジンの肩に腕を回して顔を近づけると小声で喋り掛けてくる。
「いいか?今回の件、貴族社会に置いて疎いお前は知らないかもだが、貴族の間で女性からの求愛には答えるのが男の甲斐性だ!もし婚約者がいるならその婚約者の同意が必要だが、今回リナリー嬢は全て知っている。なんなら後押しすらしている。ここでお前が断ればお前もリナリー嬢もノア嬢も揃って不幸になるぞ」
「でも、この場に俺らしかいないんだし、そもそも本気で嫌いな相手でも女性で有ればいいって無茶苦茶な!」
「バカ言うな、どこに目と耳があるかわからんもんだこういうのは!そしてこれこそが貴族社会なんだよ!」
ロイはそう言うと、ジンの胸に軽くパンチをする。
「それに、お前が守ると言ったんだろう。どういう守り方をする予定だったかは知らんが、彼女がもう一度何かを信じると、お前を信じると言っている。ならばお前は彼女を救った義務がある」
「うっ」
「それか彼女に不満でもあるのか?」
「ない」
ジンは即答する。
元々ジンはノアを女性ではなく一人の人間として好意的に見ていたからだ。
「ならばいいだろう。別に今すぐ彼女を心から愛せというわけではない。婚約者から始まる愛もある。それにな」
ロイは更に顔を近づける。
「俺には確信がある。お前はノア嬢に心底惚れることになるぞ」
「なんでそう言い切れる」
「ふはは、お前もすぐに気付くさ」
ロイはそう言ってジンを解放すると女性陣に一言謝って、ジンに目配せで答えを促す。
ジンは少し考えてから決心したようにノアと視線を合わせて口を開く。
「ノアの気持ちはわかった。でも俺はリナリー以外をそういう対象として見たことが今までなかった」
ジンの言葉にノアはこの後の言葉を予想して体を固くする。
「だから、これから君を、婚約者として、ひとりの女性として見るよ」
「え?」
「正直に言う。俺は君の望む答えを言うことは出来なかった、けれど俺の婚約者と親友がこうするのが最善だと言う。君の心を考えてではなく、俺がそうするべきと考えて最善だと、だからこれから君の横で君と言う女性を知っていってもいいか?」
ノアはリナリーとロイを交互に見る。
リナリーとロイ笑っており、ノアは自然と涙が出る。
ジンが今回の件を了承するという可能性は限りなくゼロに近いとノアも思っていた。けれどチャンスをくれたのだ、親友が、未来の王が、ならば自分は全力でこの気持ちをジンに伝えていくしかない。なぜなら自分しか証明できないのだ。この愛が本物であると。
そして、いつか自分で掴んで見せると誓う、ジンからの本物の愛を。
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