第135話 浅ましい
ジンがちょうどキリルのところに通された時、ノアとリナリーは対面して座っていた。
二人は沈黙しているが口火を切ったのはノアからだった。
「私は浅ましい女です」
ノアは俯き浅く組まれた自分の手を凝視してそう話し始める。
「あの日まで私は確かにアーサー様を慕っていました。あの日アーサー様に私は見捨てられました。王命と言う絶対に逆らえない物で謀れたことは私も理解しています。ですが、それ以降私はアーサー様を信じることができなくなりました」
リナリーは話を一旦切るノアを静かに見守る。
「あの時、あの瞬間、全てに絶望して、諦めた時、ジン様が私の前に立ってくれました。手を差し伸べてくれました。この気持ちは、まやかしなのです。自分が絶望して光が何一つないあの場で光をさしてくれたあの方に私は勘違いをしているだけなのです」
「ノア......」
「それに私は本物なんて無いことを理解しました。いくら愛していようが、いくら大切に思っていようが、王命や、そう言った絶対的な物の前では、すぐに崩れて消えてしまうことを.......だから、どうせ私は信じられないのです。ジン様も王命と言う絶対には逆らえない。そう思えばこの気持ちに蓋もできます。救って頂いただけで私は幸せ者なのです。ですから」
「ノア」
リナリーにノアは手を握られハッと顔を上げる。リナリーと目が合い、数秒間見つめ合う二人。
「もう一度信じてみませんか?」
「え?」
「何かをでは無く、ジン様と言うものを」
「ですが、ですが!リナリー様はよろしいのですか?数日前まで別の男性を好いていた女が救われたとは言え......私は自分自身を浅ましく思います」
「ノア、気持ちは制御できない物です。私はあなたを浅ましいなんて思いません。正直に言いましょう。確かに私はジン様に近づく女性を見ると自然と頬が膨れてしまいます」
リナリーは少しお茶目に言うが、それに反応する余裕は、ノアにはない。
「だったら」
「ですが、私は心のどこかでわかっているのです。あの方の器は私一人が縛っていいものでは無いと」
リナリーはノアの目を見つめたままそう言う。
「私だって、できればジン様を独り占めしたいわ。でもね、ノアならいいって、そう思ってしまったから、だからノアも素直になっていいの」
「それでも私は信じられないのです。心の底から信じてこそれは価値のある物だと私は今まで思っていました。だから私は信じてきました!ですが、それは簡単に崩れ去ってしまった。頭ではわかっているんです。仕方がない事だと言うことも、あの場ではああするしか無かった事も、それでも私は、私は」
ノアはそこで続く言葉が出てこず、代わりに涙が流れる。
言葉の続きをリナリーはわかっている。ノアはそれでも自分を選んで欲しかったのだ。ノアの言う通り、ノアは分かっているそれが愚かな選択であることを。アーサーは平民で王印が本物か偽物かなど判断できない、そこには情状酌量の余地はあるが、ノアからすればそれは些細な事だ。
王命に逆らうと言うことは、国を敵に回すことだ、常識的な人間であれば選ぶ方など火を見るより明らかだ。だけれど、自分勝手と分かっていてもノアは自分を選んでくれるとそう願っていた。
だがその願いは叶わなかった。
そして味わったのは、想像を絶する絶望だった。
「なら、試してみましょう」
「え?」
「私に考えがあります」
リナリーは立ち上がるとオードバルの名前を呼ぶ。するとドアの向こうから声が帰ってくる。
「なにか御用でしょうか」
「これから出かけるわ」
「ジン様がお見えになっていますが?」
「今日は帰ってもらって、明日また来てほしいと伝えて頂戴」
「それは、少々失礼では?」
「重々承知しています。でもそう伝えて」
「かしこまりました。それでどちらにお出かけに?」
「ロイ殿下のところよ」
「はい?」
オードバルには珍しく驚いた声色が帰ってくるのだった。
ジンはキリルとの話が終わるとオードバルからリナリーの伝言を聞き、帰ることになった。
リナリーとノアと会えなかったため馬車が迎えにくる時間より早くフォルム家を出たため歩いて帰路につくことになった。
オードバルの見送りを門まで受けて振り返ると見知った顔を発見する。その人物はアーサーだった。
ジンはアーサーと目が合うがすぐに進む道に目線を戻すと、アーサーを素通りする。
「待てよ」
アーサーの言葉を無視して進もうとするが、肩を掴まれたことでジンは足を止める。
「なんだ?」
低く不機嫌そうな声と共に振り向くとアーサーはジンを睨んで口を開く。
「ノアに会ったのか?」
「それをお前に言う必要はねーだろ」
「僕とノアは将来を誓い合った仲だ。聞く権利がある」
アーサーの言葉に怒りが一瞬で全身を支配する。
「くだらねーこと言ってると叩き斬るぞ?」
「くだらないだと?お前になにがわかる」
「知らねーよ。自分の大切な人が泣いて、それをよしとするお前のことなんか、なに一つ知る気もねーがな」
ジンはそう言うと、アーサーの手を払い除けると、また歩き始める。
「俺を敵に回すと後悔するぞ!」
アーサーはジンの背中にそう言うとジンは足を止めてゆっくりと振り返る。
「バカか?とうの昔にお前は俺の敵だよ」
ジンはそう言うとまた顔を正面に戻して歩き始めるのだった。
ジンは真っ直ぐ前を見つめており、醜く歪んだアーサーの顔を見る事はなかった。
翌日ジンは、再度フォルム家に訪れていた。
今回はすぐに通された昨日、キリルと話した部屋の前までくると同じ流れでオードバルがドアをノックする。
「どうぞ」
リナリーの声でオードバルがドアを開けると応接間にはリナリーとノアが座って待っていた。
ジンを見たリナリーが立ち上がるとそのまま駆け寄ってジンに抱きつく。ジンもリナリーを受け入れる。
「毎度ごめん」
「もう慣れそうです」
リナリーはジンを見上げてそう言うとジンからゆっくり離れる。
ジンはノアに目を向けると前より少し窶れているように見えた。
「昨日はすみませんでした」
「いや、俺の方こそ急遽で、すまない。少し二人と話したいことがあるんだ」
「二人、ですか」
「ああ」
リナリーの態度に少し違和感を感じたが、ジンは何も言わずに話を進めようとする。
「では、こちらにどうぞ」
リナリーはジンが昨日座った場所を手の平で指し示して着座を促す。
ジンはそれに応じて椅子に腰掛けてから二人を交互に見た後、口を開く。
「今日来たのは」
「ジン様」
ジンが話始めようとした瞬間、リナリーがジンの話を遮る。
「どうした?」
「ジン様のお話を聞く前にお渡ししたい物が」
そう言うとリナリーがお茶を持ってきたオードバルから一枚の紙を受け取り、そのままジンの前に置く。
ノアはこの時、逃げ出してしまいたいと思うほど怯えていた。
その理由は遡ること一日前、ジンが帰宅したのを確認してリナリーとノアは馬車で王城へと向かっていた。
「リナリー様?いきなり殿下にお会いになるなんて恐れ多いのでは......?」
「大丈夫です」
「でも」
「ロイ殿下には許可を頂いていますし」
その後もノアの言葉をリナリーは何一つ取り合わなかった。
結局、馬車は城に着くまで止まることなく進み。城に着けばあれよあれよと言う間に王城の一部屋に通されてしまった。
ノアは王城に来ることが殆どなく、記憶では一回パーティに参加して以来だった。
ソワソワしているノアと背筋をビシっと伸ばしたリナリーとで対照的な二人の元にとうとうロイがやってきた。
ロイが入って来ると二人は立ち上がり、ドレスの端を両手で摘んで頭を下げる。
カチカチに固まったノアを置いて、リナリーが先に顔を上げてる。
「今日は急なお呼び立て、大変申し訳ありません」
「構わんよ。親友の婚約者だ、まぁそれを抜きにしてもリナリー嬢のお願いを断ったとあっては、姉上になんと言われるか、分からんしな」
「恐縮です」
「堅苦しいのはやめよう。座ってくれ」
「失礼します.......ノア」
「はい!今日はお日柄もよく!」
「落ち着きなさい。はい座る」
リナリーは動転しているノアを座らせる。武園会でロイとの面識はあったが、この少人数でロイと会うというのは、また別だった。
「本日は彼女の話をしに参りました」
「だろうね。だが、悪いが私には何もできない。噂を私が撤回しようとすれば足をすくわれ兼ねない。だが今回の事で私も思うところがあってね、まぁ簡単に言うと腹わたが煮えくり返っている。話だけは聞こうか」
ロイはノアに視線を向けてからリナリーに視線を戻す。
「今日ここに来たのは殿下に一筆認めて頂きたく思い、お願いをしに参りました」
「一筆?」
「はい」
そこからリナリーの話にノアはロイがいることを忘れて立ち上がると声を荒げる。
「リナリー様!」
「ほう」
ノアとは対照的にロイは面白そうに頷く。
「どうでしょうか?ロイ殿下としては特にメリットはございません。更に言えばデメリットすらありますが」
「構わん。引き受けよう」
「殿下!?」
同意するロイにノアは目を見開いて顔を向ける。
その顔は、面白い物に貪欲な子供のような目をしていたのだった。
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