燻った思い

空き家を占拠し、はや1ヶ月。メサイアは図書館から本をくすねて読書をしながら生活している。食べ物も俺が調達してくる空き缶などで賄ってはいるが、彼の栄養バランスは果たして整っているのか、わからない。


「ねぇ、ラルフ。そろそろ次の場所に移動しよう」


名付け親の彼はそう提案する。確かに、それはありだと思う。何せ、この隠れ家もそろそろまずい。私服に変装した尖兵を何人も見てきた。彼らにはバレないようにできるだけ隠れてやり過ごしていたが、それもそろそろ限界だ。的が絞られてきている。逃げるなら今だろう。


「わかった。行く宛てはあるのか」


「子供に聞くの?君の方がよほど詳しそうだ」


彼のその瞳には以前の闇と光を湛えたまま、知性が少しずつだが感じられ始めた。それは以前の子供とは思えない恐ろしい頭の回転を彷彿させるものだ。故に疑問が生まれ、質問した。


「…前の襲ってきた人間はどうなったと思う?」


「死んだだろうね。仲間に殺られたか、出血多量か、多分後者だろう。負い目を感じてるの?」


瞳に宿す闇が一層深まり、それはまるで冷徹な機械のようで、無機質感に恐怖する。さらにそこから俺を恐怖させるような言葉を発する。


「ラルフは殺したくなかった。だからこそ、僕は君にあーいう命令をした。絶対に口封じをする必要はあったけど、出来ないから気絶させた」


その態度はどうでもいいと言った様子で、適当な気遣いか気絶させたと表現している。遠回しに殺したと言っているのだろう。その反応と、その外れた気遣いと隠しきれていない事実が俺には心無いものに見えた。


「そうか、死んだか。俺が殺したのか」


「違う。僕が殺させた。勘違いしないでよ」


本を手に取って彼は続けた。


「君は自分の意思で殺したと思ってるかもしれないが、僕というしがらみがなければ逃げていただろ?だったら僕が強制させたと言っても過言ではないよ」


「ならなんで彼を殺した。ただ合理的に殺したのならそれは機械と同じだ」


それに憂いと怒りを込めてメサイアは反論した。


「…そうだね…僕は機械と同じかもしれない。だけどそれは君もじゃないのか?意思なく僕の命令に従った。それは論理的思考からか?それとも単に命令に従っただけか?どちらにせよ、その行動は機械と何ら変わらない!」


彼は真っ直ぐに俺を睨んでいる。心做しか、うっすらと濡れているようにも思えた。


返答を待っているのだろうか。俺には分からない。分からないが、このままでは彼の言う通りただの機械だ。だから、俺はこう言った。


「然し、君よりも心がある。心を理解している」


それに嘲るように彼は言い返した。


「心がわかる?本当に言ってるのか?冗談にしても面白くないな」


「なら、メサイアには分かるというのか?心が理解できると、定義できるというのか」


「…くだらない。場所の移動をしよう。持ち物はどの程度持ち歩ける?」


少し計算して、その答えを言った。


「5キロだな。メサイアを担いでいく上、相手が戦闘を仕掛けてきたときに不利になる。持ち物の重さは5キロ程度、それでなら高速で移動出来る」


「なら、ここの本を2冊。それ以外はもういらない」


その分厚い本を指さして彼は他を放棄すると言った。


その量凡そ60冊。簡単な理科や語学本から、中学生の学ぶような数学まで幅広いジャンルの本が整理されて置かれていた。


それらはもう読み終えた本だから彼はいらないと言ったのだろう。だったら確かにいらないのだが、どのように放棄するつもりなのか。


「どう処分するつもりだ」


「燃やす?」


「借り物だろう」


「…なら返す?」


彼はいまいち要領の得ない回答を繰り返す。いつもなら決断する時間もその正確性も高いというのに、今日に限ってはかなり遅い。俺は寝不足を疑ったが、彼の脳波や様子からその可能性は低いと判断し、なら何故こんな反応をしているのかと不思議で仕方なかった。


「疲れたのか?」


「…どうせ捨てる場所なら、この本の処分なんてどうでも良さげかなって」


彼は少し伸びた前髪を左手で弄りながらその理由を述べ始めた。


「ここには指紋やらなんやら諸々の個人情報、僕の生体情報が残っている。それを危惧したのかもしれないが、そんなものとうに相手に知れてることなんじゃないか、もしくはいつかはバレることだろうし、時間の問題なんじゃないかなって」


「…だから、処分するだけ無駄だと」


「…バレてない可能性に賭けて、ここで処分するのは悪い選択ではないと思うからラルフに任せる」


「わかった。次の隠れ家と逃走ルートの選定、この本の処分を今晩済ませる。明日の深夜帯に移動開始だ」


コクリとメサイアは頷いて、そのまま睡眠をとり始めた。彼は頭をよく使うからか、睡眠をとる時間が平均値よりかなり長い。推測だが、脳の中で莫大な情報を引っ張り出しては片付けてを繰り返すからその疲労と終わっていない整理を纏めて終わらせてしまっているのだろう。


「…さて、どう処分したものか」


いざ処分するとなると案外手間だ。択が無いわけではないが、相手がどれだけ情報を持っているかで変わりはする。安定は燃やす。彼の言う通りだ。然し、何故メサイアは『返す』という選択をあの時掲示したのか、分からない。彼が、全くの善意でそんなことを口走るとは到底思えないのだ。だから、絶対に意味があるはずだ。


理解できないまま、俺は図書館に本を返しに行くことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る