#002 虹のふもとで
私の故郷には不思議な伝承があった。
ある空の高く晴れた日に、神々の住む島から虹の橋がかかり、輝く巨人のような神様が村の娘をひとり迎えにくるというものだった。
それは百年に一度とも、五十年に一度とも言われていて、はっきりしない。
村の古老は前に来た神を見たことがあるという。
その予兆は、空が高く見える雲ひとつない日に、神々が住むという島から、こちらに向かって虹の橋がのびてくることで分かる。
虹はゆっくりとのびる。
その七色の煌めきを村の誰かがその目で見てから、生贄の娘を選ぶのにちょうど足りるぐらいの時間をかけて、ゆっくりとのびるのだ。
ちょうど、今みたいに。
私が立つ断崖絶壁の向こう側に、神々の島があり、それは恐ろしく高い石の柱のように見える島だ。正確には島とは言えない。島のふもとには水はなく、樹海がひろがっている。
私たちが住むのは深い樹海から生えた、柱状の台地の上で、目も眩むほどの高さがある。
断崖を伝って樹海へ降りようとする者はいない。
これまでに降りて行った者が、誰一人帰って来なかったからだ。
私たちの世界は、この島が全てだ。必要なものは全部ここにある。
足りないものが何なのかも、誰にも想像がつかないんだもの。
私は真っ白な薬の粒を握りしめて、のびてくる虹の橋を見つめた。
薬はこの島に生えるキノコを粉にして固め、乾かしたものだ。
飲むと娘は目が覚めなくなる。ずっと一生。
その方がいいんだと、以前やってきた神を見たという古老が言っていた。
だからお前はその時にはこの薬をお飲み。安らかな気持ちで神々の島へ行けるように。
私は頷いて、その薬を入れた小さな袋を受け取った。
私は生贄だ。もうすぐ死ぬ。
もうすぐ死ぬの?
死ぬより恐ろしい目にあうのだと村の皆は信じていて、私の親や親族は泣き、それでも逃がしてはくれなかった。
逃げる気もないのだけど。逃げるところもない。
それが自分に決まったと分かった時、何とも言えない気持ちになった。
怖い。つらい。苦しい。逃げ出したい。
でも、こうも思った。
ああ……そうか。私はとうとう、ここを出ていけるんだわ。
もうすぐ虹の橋がかかるだろう、その麓の土に、私は小さな穴を掘って、古老にもらった薬を埋めた。小さなお墓みたいだった。
いずれ神が迎えに来て、あの橋を渡る時、私は後悔するだろうか?
あの薬を飲んで、残りの一生を眠って過ごせばよかったと。
そんなことはないわ。
私は虹と、どこまでも続く樹海と、高く見える空の青さをじっと眺めていた。
渦巻く上昇気流に長い髪を吹かれながら。
END
●原案となったカード
『空が高く感じる日に / 虹のふもとで / 白い錠剤を / 傷ひとつつけないようにしまいました』
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