第112話 江戸城包囲
/
時をやや遡る。
慶長十年八月一日。
宇都宮城にあった徳川家康は、江戸城への撤退の決断を下し、その残存兵力は二手に分かれて退却に及んだ。
家康率いる主力は江戸城に。
徳川秀忠率いる一部の軍勢は河越城へと向かい、江戸防衛のために態勢を立て直すことを余儀無くされた。
翌二日には、鎮守府軍が宇都宮城を包囲。
激しい籠城戦が繰り広げられることとなる。
一方、越後方面に目を向ける。
八月六日には鎮守府方の春日山城が落城。
翌七日には福島城も落城し、上杉照虎は頸城郡より撤退し、新潟城に入った。
新潟城はかつて上杉家に対して反旗を翻した新発田重家が築いた城で、これを支援した色葉が滅んだ後に、重家も上杉家によって滅ぼされている。
新潟城は史実ではそのまま廃城となる運命であったが、この世界では朝倉家が健在の間に強固な城と化し、城下も発展させたこともあって、引き続き使用され、拡張されていたという経緯があった。
照虎はその新潟城に籠り、ひとまず幕府軍の侵攻に対抗しようとしたのである。
このように越後方面においては、松平秀康率いる越後方面軍が、優勢に事を進めていたといっていい。
そして八月十日。
宇都宮城において、これを死守し、鎮守府軍の進攻を少しでも遅れさせるべく命を受けていた城主・蒲生秀行は、寡兵でありながらも頑強に抵抗し、鎮守府方を手こずらせていた。
しかしこの日、かねてより直江兼続と紅葉の調略を受けていた蒲生家臣・岡重政が、城内で謀反を起こす。
岡重政の正室は家康と戦って佐和山城にて玉砕した石田三成の娘であり、その縁もあって、兼続の誘いを受けていたのだった。
辛うじて敵の攻撃を防いでいた城方にとって、重政の謀反は致命的となる。
秀行は城を枕に討死し、宇都宮城もこの日のうちに落城することとなった。
「紅葉を呼び戻せ。前に出すぎであろう」
宇都宮城に入った景勝は、一旦進軍を止めて下総国で暴れまわっていた紅葉の別働隊を呼び戻し、態勢を整えることになる。
これは越後方面での敗退を受けて、兜の緒を締め直すためでもあった。
八月十三日。
宇都宮城落城の報を受けた幕府方の上野方面軍は、侵攻を取りやめて撤退に及ぶ。
また越後方面軍も、幕府主力の敗退を知り、進攻を停止。
完全に守勢に回った幕府方に対し、鎮守府方ではこれ以上の侵攻の是非について、議論されることとなった。
「敵の軍勢を撃退し、下野国を得た。一方で越後方面ではやや旗色が悪い。ここらで幕府と和睦交渉をするのも、一つの手と思うが」
宇都宮城での軍議の中、景勝の言に、諸将の多くから同意の雰囲気が伝わってくる。
元々劣勢であった戦である。
このようにひとまずは勝つことができているが、長期戦となるとどうなるか分からない。
単純な底力では、幕府の方が上であるからだ。
情報によれば、西国には予備兵力が集められており、これが投入されることとなれば、当然苦しい戦いとなることだろう。
慎重を旨とする者などは、それらを考慮して景勝の言に賛同を示したのだ。
ところがこれを、真正面から否定してみせたものがいたのである。
「無用、無用」
誰であるかなど、確認するまでもない。
那須や水戸、その後は下総国で抜群の活躍を見せていた紅葉は、まるで疲れた様子も無く、例の如く主戦論を唱えたのだった。
「今こそ幕府の鼻をへし折る好機。江戸を侵さずして何とするのじゃ?」
「鼻をへし折る程度ならば、すでに十分、それは達成できたと思うが」
勇んで会津を攻めたにも関わらず、撃退されて逆に下野国を失った時点で、景勝の言うように幕府の面子を丸つぶれにしたと言って過言ではないだろう。
それは諸将の認識の一致するところであり、大きな成果であったといえる。
が、紅葉にしてみれば不満であるらしい。
「ここで一気に江戸城を落としてしまえば、幕府などすぐにも瓦解しよう。勝敗を決する千載一遇の好機ではないか」
紅葉の言にも一理あり、諸将の中にも少なからず、戦を継続する声があったのも事実である。
幕府は強大であるが、成立してからまだ日が浅く、特に西国の諸大名は心から臣従を誓っているとは言い難い。
徳川家に変事があれば、この機を逃すまいと、独自の行動を取る者も出てくることだろう。
「のぅ、佐竹殿。もう少しで下総を奪い取って、佐竹殿に合力の礼としてくれてやろうとわらわなどは考えておったに、慎重過ぎる夫殿のせいで、与え損なったのじゃ」
「はあ」
軍議に参加していた佐竹義宣も、紅葉の勢いには曖昧な返事をする他ない。
勇猛で知られる義宣ではあったが、ここ数日の紅葉の戦い振りを間近で見て、度肝を抜かれていたのである。
「であれば江戸を落とし、改めて恩賞を考えねば佐竹殿にどう報いるのじゃ?」
「……紅葉よ。佐竹殿をだしにして、みなを煽るでない」
景勝にたしなめられて、紅葉は舌を出す。
「まったく真面目な夫殿じゃ。佐竹殿も律儀に過ぎよう。このような場であるからこそ、欲を出せばよかろうに」
「奥方様は、欲に塗れておりますからな」
思わず口を挟んでしまった最上義康の言に、場には笑いが起こったが、当の本人である紅葉がにこにことして義康に威圧を与えたので、背筋を凍らせた義康は慌てて次の言を放つこととなる。
「――さりながら、奥方様の言にも一理あり。江戸城を落とせるかどうかはともかくとしても、それ以外の城を攻め落とし、江戸を丸裸にすることは可能かと存じまする。であればのちの交渉も、今行うよりもなお、有利な条件で進められることは必定かと」
「とはいえ関東は広い。それに利根川を越えるのは、それなりの覚悟のいることぞ?」
そう答えるのは、義康の実父である最上義光である。
これを皮切りに議論は紛糾した。
しかしその議論の最中、坂戸城にあった直江兼続より書状が届き、兼続が紅葉と意見を同じくしていたことを確認した景勝は、主戦に意見を転じることとなるのである。
「さすがは義父上じゃのう」
事前に兼続を通して手を打っていた紅葉などは、この結果にほくそ笑んだものであるが、ともあれ軍議により進軍が決定され、幕府にとって厳しい戦いは継続することになったのであった。
八月十六日。
再編成された鎮守府軍は、江戸城を目指すべく進軍を開始。
その際に軍は二手に分かれ、江戸を守る要衝である河越と、国府台を攻略すべく、それぞれ進軍することになる。
翌十七日には主力の進軍に呼応して、坂戸城にあった直江兼続の別動隊も上野攻略のため、厩橋城を目指して出陣。
十九日には戦端が開かれ、厩橋城を守る城主・酒井重忠に対して直江隊は攻撃を開始。
厩橋城の戦いが勃発する。
また八月二十日には、江戸城を目指す紅葉率いる鎮守府軍別動隊と、江戸防衛のために打って出た幕府軍が国府台にて激突。
このいわゆる第三次国府台合戦において、幕府方は敗北し、江戸への侵攻を許すことになるのである。
そして同日、厩橋城落城。
城主・酒井重忠は玉砕して果てる。
兼続は即座に軍を進め、翌二十一日には景勝率いる鎮守府軍主力と合流。
二十二日には徳川秀忠の守る河越城を包囲した。
慶長河越合戦である。
この戦いは長期戦の様相を呈すこととなり、秀忠は必死に城を守り、鎮守府方も数の上で優勢であったにも関わらず、容易にこれを抜けなかった。
しかし国府台方面から進攻した鎮守府軍別動隊は、二十三日にはついに江戸城に至り、これを包囲することになるのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます