第111話 大坂出陣

「兄上は軍才もおありで、頭の良いお方。その兄上がこうも懸念を示されるということは、危うい戦であるということなのだろう」

「……は。その通りかと、心得ます」


 実際、秀景の言は多くの点で正しい。

 端的に言えば、まずはあまりに準備不足なのだ。


 持ち前の財力で強引にどうにかできるかもしれないというだけで、戦を預かる身としては、何とも不安に思うことだろう。


 加え、味方の状況、敵の情報がはっきりとしていないことも、素直に軍を出しずらい状況であることは、わたしも理解できる。


 そして何よりは、わたしの我が儘ではないかという秀景の懸念。

 それを警戒しているのもよく分かる。


 普段のわたしの我が儘っぷりを承知しているのだから、当然だ。

 何より正しいしな。


「しかしお千が困っている。私はそれを助けたいと思った。それでは駄目か?」

「先ほども申し上げましたように、私事で戦をしてはなりませぬ」

「むう……」


 秀景の正論に対し、秀頼も困ってしまったようだった。


 秀頼も感情的にわたしに賛同してくれただけであり、大局的見地や政治的な判断で援軍派遣を決定したわけではないから、反論は難しいだろう。


 何よりまだまだ幼いのだから、秀景に敵うはずもない。


「では、どうしても反対か」

「反対です」

「ならば仕方が無い」


 言うなり秀頼は立ち上がると上座をおり、下座まで歩を進めると、あろうことが跪いて皆に頭を下げたのだ。


 これにはみんな仰天した。

 秀景もだ。


「今の私では、持つべき戦略もない。しかしお千のために徳川家を助けたいのだ。そのためには皆の力を借りる他なく、こうして頭を下げて頼む」

「お、おやめ下され! そのようなことをされてはいけませぬ!」


 慌てた家臣どもは、みんな翻って頭を低くする始末で、見事な混乱に陥ったのである。


 わたしはそんな家臣どもをかき分けて秀頼の傍まで足早に駆け寄ると、頭を下げたままの秀頼を抱き起す。


「わたしの我が儘のために、そこまでしなくていい」


 ここまでのことを秀頼がするとは、わたしも思ってもみなかったのだ。


 夫婦とはいえ、あくまで政略結婚。

 お互い気を遣っていたこともあって、愛情などまだ芽生えてもいない。


 にもかかわらず、秀頼はわたしのためにここまでした。

 他でもない、乙葉の子にさせてしまったのだ。


 わたしとしては、忸怩たる思いすら湧いてきてしまう。


「悪かった。許して欲しい」

「お千が謝る必要は無い。私が好きでやったことだから。それに我が儘というなら……うん、私も初陣したいという気持ちがあったんだ。だから、おあいこだ」

「……ん、そうか」


 まったく晴景にしても秀頼にしても、わたしにとっては出来た夫すぎるな。


「――ほら、秀景」


 わたしと秀頼のやりとりを、家臣どもがほっこりしながら見守っている中、思わぬ事態に立ち直れていなかったのが、秀景だった。

 そんな秀景に、乙葉が声をかけていた。


「あなたはちょっと、真面目過ぎるわね。どんなに正しいことであっても、結果があれでは大失敗、でしょ?」

「……はい。母上」

「秀頼のためにあえて苦言を呈してくれたのは分かるけど、結局のところ、秀頼が望んだことであることは違いないのだから。それとももうちょっと、頑張ってみる?」

「……いえ」


 場の雰囲気は、すでに傾いてしまっている。

 所詮ひとは感情の生き物であり、結局のところそれを優先させるのだ。


「秀頼のこと、守ってくれるんでしょ?」

「もちろんです。母上」


 母上、か。

 秀景と乙葉は、どこからどう見ても親子だろう。

 それでいい。


 こうして豊臣家の援軍派遣は、正式に決定されたのだった。


     ◇


 豊臣家の援軍派遣により、西国軍は大きく二分されることとなる。

 松平忠吉を旗頭とする軍勢と、豊臣秀頼を旗頭とする軍勢だ。


 京に集まっていた西国の諸大名のうち、政宗の工作も功を奏してか、思った以上の大名がこれに追従した。


 このことはやはり物議を醸したが、忠吉が了承し、また江戸に危機が迫っていることもあって、議論の余地は無かったといっていい。


 ちなみにこの時の忠吉はかなり体調を崩しており、本来ならば出陣に耐える容態ではなかったという。

 しかしそれをおして諸大名をまとめた忠吉は、先駆けて江戸へと向けて出陣した。


 一方の豊臣家でも急いで兵が集められ、実に二万もの兵を集めることに成功している。


 この短時間で、これにはちょっとわたしも驚いた。

 どうやら秀景が有事の際に備えて色々していた結果らしいが、なるほど優秀だな。


 その豊臣主力に合わせ、追従した西国の諸大名を含めた軍勢は、以下のようになった。


〇西国軍…兵力計四万九千三百余騎

 先陣…兵力一万三全余騎

  先鋒 :朝倉秀景、北条氏盛 四千余騎

  二番手:福島正則 四千余騎

  三番手:伊達政宗 五千余騎

 二陣…兵力一万一千五百余騎

  先鋒 :黒田長政 三千余騎

  二番手:池田輝政 七千余騎

  三番手:山内康豊、毛利勝永 千五百余騎

 本営…兵力一万六千余騎

  前備 :片桐且元

  本陣 :豊臣秀頼、千姫

  後備 :大野治房

 後詰…兵力八千八百余騎

  先鋒 :浅野長政 五千余騎

  二番手:生駒一正 千八百余騎

  三番手:蜂須賀至鎮 二千余騎


 とこんな感じで、伊達家を始めとする四国勢はほぼ麾下となった。


 他にも豊臣恩顧の大名である、福島、池田、浅野といった大名も追従。

 意外だったのは、九州勢で唯一黒田家がこちら側についたことか。


 とにかく五万弱の軍勢に膨れ上がり、これはなかなかの戦力である。


 こうして慶長十年八月十九日にはどうにか準備を終え、大坂を出陣。


 二十一日には二条城を発ち、一路江戸を目指して東海道を行軍することになったのだった。

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