第110話 出陣の是非


     ◇


「――お待ちを!」


 その日の夜、急遽開かれた評定の場は、予想通り紛糾した。


「東国の戦はこの豊臣家と無縁。介入する必要などありますまい!」

「然様。徳川にしても上杉にしても、豊臣家からすれば家臣筋。どちらに肩入れしても、後が面倒ですぞ」

「そのような蝙蝠をしたからこそ、関ヶ原の後、徳川の専横を許したのではないか!」

「いや、幕府は豊臣に対しての礼は失してはおらぬでしょう。秀頼様がご成人あそばした暁には――」

「そのようなことを言っておるうちに、次の将軍は誰となったか!」


 などなど。


 わたしはこの大坂に来て初めて評定の場に出席したが、どうやら思っていた以上に徳川嫌いの家臣どもが多いらしい。


 ちょっとびっくりである。


「――ちょっとみんな、うるさいわ」


 わたしが眉間に皺を寄せたのを不機嫌だと勘違いしたのか、乙葉がたしなめるかのように口を挟んだ。

 途端に静かになる。


 しばしの沈黙ののち、その中でまず声を上げたのは、大野治房だった。

 兄の治長と違って、武勇に秀でており、性格も武断的だ。


「淀の方様にお伺いしたい。江戸に援軍を送るということは、幕府を助けるということ。本当にそれでよろしいのか」

「これ、治房!」

「兄者は黙っておられよ! 幕府はこの豊臣家を辱める諸悪の根源。むしろ兵を送るというならば、上杉と呼応して一気に江戸城を攻め落とすが良かろうというもの」

「たわけが! 千姫様の前で、何という暴言を!」


 あ、治長が珍しく怒った。


 それで短気で直情的な治房もはたと思い至ったようで、慌ててわたしを見て、次いで乙葉に視線を向けて小さくなる。

 でかい図体のくせに、何やら可愛い仕草につい笑ってしまった。


 治房は忘れっぽいし、今も忘れていたのだろうけど、当然ながらわたしのことを知っている。

 というか大野家自体が、だ。


 そもそも大野一族は乙葉の完全に隷属している上、その乙葉がわたしに絶対服従であることも、心得ているのだ。


 そして生前のわたしのことも知っている。

 その所業も含めて。


「――各々方にもご意見はありましょうが、此度のことは、秀頼様自らがお決めになったことであられる。否やはないのだ」


 治長の意見に、家臣たちの何人かが困惑した様子を見せた。


 それもそうだ。

 いったいどうしていきなりこういう話になったのか、さっぱり分からなかったこともあるからだろう。


 幕府への援軍派遣。

 秀頼はわたしの前で承知してくれたが、それだけでは話は進まない。


 次に乙葉の説得に向かったわたしであったが、意外にも乙葉はまったく反対しなかった。


 行くなら自分も行きたいとまで言う始末なので、それを翻意させるための説得をする方が大変だったくらいである。


 本来ならば、他の重臣連中にも評定の前に話を持ち掛けて、ある程度協調させるように水面下で動いておいた方が良かったことは、分かっている。


 しかし時間が無い。

 辛うじて治長には伝えられたが、あとはぶっつけ本番とするしかなかったのだ。


 治房がまず反対したのも、その辺りの準備不足のせいである。


「それともう一つ。今回の戦、秀頼様御自らご出馬される。それをここで明言しておく」

「なんと!」


 治長の言に、集まった重臣たちが色めき立った。

 誰もが思わぬことであったからだろう。


「では、此度が初陣になると……そういうことですか。それは、淀の方様も承知されてのことですか?」


 そう尋ねたのは、片桐且元。

 主に豊臣家の外交を一手に引き受けている、豊臣家の重臣の一人だ。


 そんな且元の問いに、周囲の目が乙葉に集まる。

 何だかんだ言っても、この大坂城の主は乙葉なのだ。


「ええ。妾も承知したわ。いずれ経験しなくてはいけない初陣ならば、この機会であっても悪くないでしょうから」


 周囲がどよめく。

 豊臣の古参の家臣ならば、乙葉の武勇を知らぬ者はいない。


 しかし一方で、秀頼のことは過保護に過ぎるくらい、大切にしていたことも知られている。

 大坂城をほとんど出たことが無いのも、その証左だ。


 わたしがこれまで何度も秀頼を外に誘ってもなかなか応じてくれなかったのは、秀頼自身が乙葉の気持ちを慮ったせいでもある。


 それが、いきなり初陣。

 家臣どもが驚くのも無理はない。


 驚く一方で、家臣たちの雰囲気にも変化が見られた。

 単純に豊臣が兵を出すだけではなく、秀頼自ら総大将となるというのでは、話が変わってくるからだ。


 これで戦勝すれば、豊臣家の威信を強化できる上に、幕府への貸しもできる。


 さらには初陣。

 これ以上のめでたいこともないだろう。


 今後の幕府との関係を考えた上で、悪くない一手であると考えた者どもも出てきたということだった。


 もちろん、良いことばかりではない。


 目立てば警戒される。

 出る杭は打たれるのが世の常。


 そういった不利益も予想されたが、今はそれをわたし自身も敢えて無視していた。

 考えていては、何も行動できないからである。


 ともあれ雰囲気も前向きになってきたことだし、ここは最後の押しで決定させてやる。


「幕府は千姫様のご実家。これを豊臣家が救うに、これ以上の大義名分はございますまい。そしてこの度の出馬には、千姫様も従軍されることを付け加えておく」


 この治長の宣言で、わたしに縁があって、なおかつその正体を知り得ている者どもは、全てわたしの意思であったと、この瞬間に理解したことだろう。


 場が静まり返る中、しかし思わぬところで待ったが入った。


「私は反対です」


 決して大きな声では無かったが、場に響く声。

 見れば上座に座している若者が、難しい顔でそう口を開いたのである。


「――秀景」


 乙葉が思わず非難の声を上げる。

 この期に及んで反対を表明したのは誰であろう、朝倉秀景だった。


「この戦、やはり関わるべきではないと心得ます。幕府を助けるということは、鎮守府を敵に回すということ。今の上杉家には、勢いがありましょう。幕府の大軍ですら蹴散らしたとなれば士気上がり、また相当な戦上手もおると思われます。安易に兵を出し、これに敗れ、秀頼様の御身に何があれば、豊臣家は瓦解いたしますぞ」


 そう一息に言い切って、秀景はわたしを見た。


 まるでわたしが諸悪の根源であると知っているかのような視線に、わたしは思わず息を呑み込んでしまう。


「戦は、私事ですべきではありませぬ。千姫様のご実家を救う、これはまことに美しきことではありますが、本当に現実的な話であるのか、今一度お考え直しすべきではと愚考いたすところです」


 ……ある意味で、正解だ。


 わたしが政宗に対して当初渋ってみせたように、これはわたしの我が儘で豊臣家を巻き込んでいるに過ぎない。

 冷静な議論の末に導き出された結果とは、とても言い難いものだったからだ。


 秀頼にすれば、まさか秀景に反対されるとは思ってもみなかったのだろう。


 秀景は乙葉に育てられたこともあり、これを母と慕い、秀頼も秀景を兄と呼ぶほど親しい関係だ。


 しかし言うべきことは言う。

 わたしに対しても恐れずに物を言ってくる。


 そんな秀景を、わたしは少しだけ感心してしまっていた。

 が、退くわけにもいかない。


「現実的な話になれば、いいのだろう?」


 初めてわたしは口を開いた。


「そのようなことに、なりますか」

「時が無いのは承知の上だ。しかし集められるだけ集める」


 大坂城には蓄えが多い。

 銭も武具もある。


 兵糧は早急に搔き集める必要があるが、大坂には蔵屋敷があり、米自体はこの大坂に集まっている。

 比較的短時間で用意できるだろう。


 あとは人だが、農村から集めるには農繁期でやや都合が悪いものの、ここは史実の大坂の陣にならって、浪人を搔き集めることで対応する。


 どれくらい集められるかは分からないが、こればかりはやってみなくては分からない。

 しかし一定数は揃えられるだろう。


「仮に兵が集まったとしてもです。京に集まっている西国の軍勢や、尾張の松平忠吉殿がこれをどう見るか。最悪、東海道の進軍すらままならず、西国軍がこちらに警戒して援軍が遅れた結果、関東への救援が間に合わないといった、本末転倒な事態になり得るかもしれません」

「そのための、秀頼様の出馬だ」


 いつの間にか、場はわたしと秀景の舌戦の場となってしまっていた。

 周囲の者は、乙葉すら、固唾を呑んでその様子を見守っている。


「秀頼様が自ら出陣となれば、幕府の旗ではなく、豊臣の旗に集う者も出てくる。これらを糾合すれば、それなりの軍勢とはなるだろう」

「しかし余計に警戒されるのでは」

「手は打つ。忠吉叔父上の了承は、事前にとる。叔父上は話の分かる方だ。面倒な交渉とも思えない」

「兵が集まり、行軍が首尾よくいったとして、関東の地ではどう戦うおつもりなのです。この上方に伝わるのは、僅かな報せのみ。鎮守府の陣容、戦略も明らかならぬ今、無暗に進んでも危ういと思われますが」

「こちらの戦略が曖昧であることは認める。しかしそのようなことは、進みつつ情報が明らかになっていけば、自ずと定まっていくものだ」

「軍勢を動かすということは、他人の命を預かるということ。そのような行き当たりばったりなことでは、とても出陣を容認できませぬ」


 火花を散らすわたしと秀景に、乙葉ですらおろおろとなった。


 ……わたしと秀景の関係は、まあ複雑だ。

 わたし自身、正直どう接していいか分からない相手である。


「秀景――」

「秀景兄上」


 乙葉がどうにか口を挟もうとしたところで、秀頼もまた、滑り込ませた。

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