第108話 政宗の野心
「……実に妙な会話であられる」
わたしと朱葉のやりとりを耳にしていた政宗が、世にも不思議な顔をして、ぽつりと漏らしていた。
さもありなん、であるが、詳しく説明してやる義理もない。
「今のは聞き流しておけ。それよりも政宗。分かっている情報はそこまでか?」
「まだ続きがありますぞ。水戸を救った鎮守府軍別動隊は、佐竹勢と合流し、八月二日には下総国に侵攻したとのこと」
「……畳みかけてくるな。宇都宮の方は」
「一日の時点で、幕府軍は撤退。翌二日には鎮守府軍主力が到来し、宇都宮城は包囲されて激戦となっているとか。わしが知り得ておりますのは、ここまでですな」
「江戸まで退いた、ということか」
どの程度やられたかは知らないが、主力が撤退したということは、そこで態勢を立て直すことは不可能だと考えたからだろう。
しかし江戸まで退いたとなると……敗色濃厚だ。
これでは……。
「あと一つ」
「……何だ?」
「我ら上洛軍に、幕府より正式に関東出兵の命が下りました。準備が整い次第、まずは清州に向かうことになるかと」
窮地にある幕府にしてみれば、すでにまとまった兵力として存在している上洛軍を、すぐにでも援軍として呼び寄せたいと考えるのは当然だ。
そしてその指揮を執るのは、清州の忠吉叔父上だろう。
「必ず、上様をお救いしてみせますが」
「……?」
そこで政宗が見せた妙な雰囲気に気づいて、わたしは改めてその顔を見返した。
この男……。
「何を考えている」
「いえ、大したことではありませぬ。姫は、この大坂でじっとされているおつもりかと思いましてな」
「どうしろと言うんだ。以前とは違う。わたしに兵権などないんだぞ」
わたし個人がいくら強かろうとも、それで戦に勝てるほど世の中甘くない。
直属の家臣もいくらかはいるが、それで江戸に向かって何になるというのか。
「何を仰せになるか。姫には豊臣家があるではありませぬか」
「は?」
わたしは間抜けな声を上げ、すぐにもその意図を悟って驚いた。
「お前、豊臣家に援軍を出せと、そう言っているのか」
「秀頼様のご正室の、ご実家を救うために兵を出すことに、何の不自然やありましょうか」
「そんな単純な話じゃない」
豊臣と徳川が心底友好関係にあるのならば、それも通じるだろう。
しかし両者の関係は、残念ながら、という他無い間柄である。
「わしは建て前を申し上げておるのです。兵を出すための名分が立つのであれば、何でもよろしいのですよ。そのようなこと、姫ならば分かっておいでのはず」
「…………。お前は、わたしが兵を率いて江戸に駆け付けたいと思っていると、そう言うのか」
「違いますかな?」
「違わない」
それは、認める。
鎮守府軍との戦で、幕府がどうなろうが知ったことではないが、しかしそれは、雪葉や秀忠を見捨てることとは違う。
少なくともあの二人は助けたい。
そしてそれを他人に委ねることは、控え目に言っても苦痛だった。
できることならば、自分でやりたいのだ。
「違わないが、それでもさっき言ったように、そんな単純な話じゃない。わたしは別に、豊臣家を牛耳っているわけじゃないんだ。そのつもりも無かった。それを今、都合よく利用できるはずもないだろう」
「ならば、牛耳ればよろしいではありませぬか」
「お前」
「かの朝倉の狐姫ならば、容易であると推察致しますが」
……こいつ。
またわたしを煽ってくる。
野心が見え見えで、隠そうともしていない。
なるほどわたしが政宗を利用して情報を得ようとしたことを逆手にとって、直接わたしに会える機会を活かし、唆す腹積もりだったのだろう。
「先ほど、必ず上様をお救いしてみせると申し上げましたが、それにはやはり、姫にその気がなければ話にならぬというもの。姫は、我が主というわけではありませぬゆえ、従う義務はありませぬ。なればこそ、姫に恩を売り付けることができるのであれば、最も高く売れる時を見定めるのは至極当然のこと」
「ぬけぬけと」
「正直者ですからな」
どの口が言うんだか。
「わしは一度、姫の本気を見てみたいのです」
「本気、だと?」
「然様。その本気が痛快であるならば、恩を売るどころか、進んで義務を得ましょうぞ」
「――――」
つまりこの男はわたしの決断次第では、わたしの家臣になってもいいと言っている……のか?
「お前こそ、本気か? こんな小娘に、伊達政宗ともあろう男が、進んで隷属するだと?」
「いけませんかな?」
こいつ、本当に本気で言っているのか。
わたしがこの世界に来てより、わたしに膝を屈してきた輩の中で、ここまで自身の野心を包み隠さず表明してきた者はいなかったかもしれない。
もちろん、政宗に負けず劣らずの野心家はたくさんいた。
だが曲がりなりにも隠してはいたはずだ。
黒田孝高然り。
羽柴秀吉然り。
徳川家康然り。
「――ふふ、あははははっ! 少し、愉快だぞ。こんな状況下でなければな」
「こんな状況下だからこそ、ですぞ」
「それもそうか」
豊臣家が軍を出す。
これまで考えもしなかったけど、やってやれないことはない。
時間はあまり無いが、この畿内ならばある程度の人員は集められるだろう。
幸い、銭ならば秀吉が残した財が、それこそ山のようにあるからだ。
ただ、ここで豊臣家が兵を出し、幕府を首尾よく救えたとしても、その後の展開はよく読めない。
いや、考えたくないというべきか。
政宗などは、その辺りまで見越してわたしを煽っているのだろうけど、わたしがそこまで思考を巡らせてしまったら、自縄自縛に陥る未来を想像してしまい、動けない羽目になるかもしれない。
だから、今はいったん思考を停止させた。
後のことは後の事だ。
今は雪葉や秀忠さえ救えれば、それでいい。
「豊臣が兵を出せば、お前はいの一番に従うと、そう思っていいんだな?」
「無論でございます。我が伊達だけでなく、他の西国の諸大名の中には、その旗に集う者も出てくることでしょう。――されど」
「されど?」
「それには条件がございますな」
勿体ぶって、政宗が言う。
「条件だと?」
「は。秀頼様、御自らのご出馬。これが必須でしょうな」
「――――」
わたしはすぐにも顔をしかめた。
「……秀頼様は、まだ幼い」
「存じておりますが、それは姫とて同じでしょう」
「初陣にはまだ早いだろう。あと、わたしと比べるな」
わたしよりは年上とはいえ、それでもまだ十二かそこらの年齢だったはずだ。
「お前だって、十五くらいだったんだろう?」
「よくご存じで」
「なら――」
「ご年齢など、この際は無視すべきこと。そして秀頼様自らがご出陣されるその意義を、姫ならば誰よりもよく分かっておられるはず」
「む……」
分かっている。
豊臣が兵を出すとして、秀頼が総大将となるか、誰かを名代を立てるかとでは、まったく士気が変わってくるからだ。
そして秀吉恩顧の大名どもにすれば、もし千成瓢箪を目にすれば、これを無視することができない輩も出てくることだろう。
政宗などは打算の上で真っ先に合流してきそうだが、例えば福島正則あたりなども、率先してこれに従う可能性は高い。
それは分かる。
分かるが……。
「乙葉が承知するかどうか……。それに……」
「勝利条件と、お考えを」
秀頼の初陣、か。
確かに勝利の確率を少しでも上げるには、必要なことかもしれない。
……史実の世界であるならば、今から約十年後にいわゆる大坂の陣が勃発する。
そしてその戦役の最中、秀頼は幾度も出陣を望まれつつも大坂城を出ることは叶わず、自刃して果てることになる。
勿論、秀頼が出たところで勝敗が変わっていたかといえば、そんなことも無いだろう。
しかし秀頼は一度も戦場にて戦うこともできず、一生を終えたのだ。
無念だったかどうかは知らない。
「なら、わたしが変えてやればいい」
秀頼のためなんかじゃない。
あくまでわたし自身のために。
わたしは明らかに人でなしの類だ。
だから、秀頼を利用する。
それでいい。
「……秀頼様はわたしが説得する。政宗、お前は豊臣に同心しそうな大名どもを見繕い、説得しろ」
「お任せを」
「あと、もう一つやってもらうことがある」
「清州、ですな」
にやりと笑う政宗。
話が早くていいが、どうにも思考を先読みされているようで、不愉快でもある。
「そうだ。少なくとも忠吉叔父上の了承は事前に得ておきたい。後が少しでも楽になるからな」
豊臣家が諸大名の一部でも率いて進軍するとなれば、物議を醸すことになりかねない。
しかし忠吉のお墨付きがあれば、多少でも幕府に対して言い訳ができるようにもなる。
幕府を助けに行くのに、幕府に対してそのようなことをしなくてはいけないというのは、如何にも面倒ではあるが、政治とはそういうものだ。
「わたしからも直接お願いする。叔父上はお優しく聡明な方であるから、この危急の際に難しいことは言わないだろうが、気にする連中も出てくるはずだ。政宗、お前は豊臣家の援軍の有用性を説明しつつ、一方で監視役を買って出るとでも言って、身を守っておけ」
「それはありがたく」
わたしが言わずとも、政宗ならばその程度のことは考えていただろうが、こういうことは先に言ったもの勝ちだ。
この程度で恩が売れるなら、当然売っておくに限る、というものである。
「明日までには決定させる。――いいか、政宗。お前は今回の戦でわたしを値踏みするつもりなのだろうが、わたしもそれは同じだ。陸奥を追われて四国の片田舎に飛ばされて腐っていた男が、本当に腐り果てているのか、それともまだ使えるのか。見せてもらうぞ」
「……またずいぶんと、容赦の無いことをおっしゃってくれますな」
「当たり前だ。わたしは朝倉色葉、なんだからな?」
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