第107話 語る政宗


     ◇


 慶長十年八月九日。


 幕府軍敗退の一報から三日。

 ようやく正確な情報がもたらされることとなった。


「那須での戦いは七月二十八日に行われ、幕府方は敗退して宇都宮城に撤退。鎮守府軍はそのまま駒を進め、翌二十九日には大田原城攻略にとりかかり、同日中に落城したようですな」


 さも見てきたように語ってくれたのは、伊達政宗である。


 京にいるはずの政宗だったが、どうやらわたしが情報を欲しがっていることを聞きつけたらしく、僅かな供を引き連れてこの大坂城にやって来た、という次第であった。


 まあ情報源は、未だに大坂城に居座っている成実あたりだろう。

 あの男のせいで、わたしの近辺の情報が、政宗には筒抜けで困ったものである。


 とはいえ今回に関しては、わたしも積極的に情報漏洩を避けなかった。

 むしろ意図的に、政宗に伝わるように仕向けたくらいである。


 案の定、政宗はやって来た。

 しっかりと情報を携えて。


 だからこうして自身の居室にまで迎え入れ、会ってやっているのだ。


「……ちなみに、上様と大御所様はご無事ですぞ」

「そうか」


 あまり顔には出さなかったが、とりあえずほっとなる。

 家康はまあどうでもいいが、秀忠には死んでもらっては困るのだ。


「どうして負けたんだ」


 秀忠が無事ならば、あとの将兵がどれだけ死のうとわたしには思うところは無い。

 その程度には、人でなしであるという自覚はある。

 だからすぐに思考を切り替えた。


「確か父上には立花宗茂がついていたはずだし、お爺様に請われて東国の大名ですらない藤堂高虎なんかも参陣していたんだろう? 上杉も弱くはなかろうが、仮に負けたとしても、大敗というのは聞き捨てならないぞ」

「如何にもごもっとも。されど相手が一枚上手であった、と結論付ける他ございませぬな」

「だからどう上手だったのかと聞いている」

「やはりご興味がおありですか」

「焦らすな。今のわたしは虫の居所が悪い」


 多少冷静にはなれたものの、気が立っているのは変わらない。


 幕府が負けた那須の戦いからもう十日ほども経過している。

 戦局はかなり動いているはずだし、一度負けた以上、幕府方が劣勢なのは疑いようもないからだ。


「……どうやら景勝殿は、常陸の佐竹殿に援軍を送るとみせかけてその実送らず、されど敵は寡兵であると思い込んでまんまと誘い込まれた幕府方は調子づいて前進し過ぎ、結果、陣が伸び切ったところを、常陸に向かったはずの鎮守府方の別動隊に横っ腹を突かれて大混乱となり、そのまま総崩れ、という次第であったそうです」

「何だそれは。お爺様とあろう方が、何ともまずい戦をしたものじゃないか」


 耄碌したか、とわたしは顔をしかめた。


「そうはおしゃいますが、姫。この策は佐竹殿を見捨てる覚悟が無ければできますまい。わしとしても、意外の一言に尽きますぞ」

「ふぅむ」


 政宗の言いたいことは、まあ分からないでもない。

 要するに景勝の奴、佐竹を囮にしたということになる。


 あの義だの何だのと、謙信かぶれの男にしてみれば、如何にもらしくない行為だ。

 なるほど家康が油断したのも頷ける。


 とはいえ、だ。


「ふん。わたしなら油断しないぞ? 景勝は理想主義者かもしれないが、隣にいる兼続の奴は、景勝とは違った意味での理想主義者だ。理想のためなら手段を選ばないだろうし、な」


 わたしとしては、景勝よりも兼続の方を警戒したことだろう。

 あれはなかなか悪辣な手段も厭わない奴だ。

 そんな輩が景勝の傍にいる以上、化かし合いになるのは必然ともいえる。


「……さすがはかの朝倉の姫。戦国の世をよくご存じですな」


 周りに誰もいないと思ってか、朝倉の名を出す政宗を、わたしはじろりと睨んでやる。


「これは失礼をば」


 頭を下げる政宗を無視すると、わたしは話を続けた。


「でもちょっと変だ」

「とおっしゃいますと」

「兼続の策は有用だが、それでも理想的に過ぎて、最後は失敗する」

「はて。そのような話は聞きませぬが」

「だから変だと言っている」


 わたしが知る史実の兼続ならば、そうなのだ。

 史実の会津征伐然り。


 そして以前、あの男に会った時の印象も、そうだった。

 もう少し別の言い方をするならば、やや視野が狭いというか。


 ところがこの世界では、殊の外うまく事を運んでいる。

 上杉家をあそこまで大きくしたのは、やはり兼続の献策によるものだろう。


 無論、それだけではないだろうけど、その要因の大半を占めているはずである。


「うーん……」


 そういえばこの感じは、確か関ヶ原の時にも思ったことだった。

 史実とは違う流れを辿ってここに至っているのであるから、今の上杉家も当然変容しているはず。


 どうにもよく分からないが、もはや兼続以外の要因が存在しているとしか思えない。


「佐竹はどうなった」


 例えば今回のことでいえば、そこである。


 囮となった常陸の佐竹。


 聞けば幕府方はまず本陣から増援を送り、これをもって鎮守府軍の兵を割き、様子を見る策をとったと思われる。


 常陸攻略を優先させたとも思えるが、実際のところはどうだったのだろうか。


 あそこの佐竹義宣は手強かろうが、幕府軍相手では守る力はあっても攻める力は無いはず。

 幕府方としては、牽制するに十分な兵を用意しておけば、捨て置いても良かったはずである。


 現に当初はその予定であったはずだ。

 会津方面さえ攻略できれば、常陸は孤立し、早々に降伏する目算が家康にはあったことだろう。


 義宣はともかく、その父親である佐竹義重は家康と親交があったはずだし。


 となると、無理に増援を送る必要は無い。

 というか戦を仕掛けたのは幕府なのだから、事前に常陸攻略を十分に為せる兵を用意してから、侵攻しても良かったはずである。


 大軍は無論、銭も兵糧も必要だが、幕府の経済力ならばそこまで辛いものでもないし。


 そして予備兵力もある。

 現に上洛軍が待機している状況でもあるしな。


 つまり、これは鎮守府軍との決戦を想定した策ではなかったのだろうか。


 鎮守府軍の援軍が、もしその目的通りに常陸に向かっていれば、那須での決戦では幕府軍が勝利したことだろう。


 しかし鎮守府軍はそれを正確に読んでかどうかは知らないが、逆手にとって罠にはめ、大勝してみせたというわけだ。


「那須では負けたかもしれないが、常陸を攻略して佐竹を屈服させたならば、一勝一敗だ。鎮守府に与する勢力にしても、有事の際に援軍を送ってもらえないと知れると、士気に関わる。これは後々までのしこりになりかねないからな」


 まあ飛車角交換、といったところだろう。

 どちらが飛車で、どちらが角かは知らないが。


 とにかくそれならば、まだいい。


「那須にて幕府軍を蹴散らした件の別動隊ですが、どうやら深追いせずに即座に転進したようで、水戸へと駆け付け、それに呼応して城から打って出た佐竹勢と共に、まず幕府方の増援を率いていた土井隊を挟撃し、これを撃破したとのこと。この一勝と、加えて那須での幕府軍の大敗の報を触れ周り、元より常陸方面軍を指揮していた本多隊などは、状況不利とみて撤退に及んだとのことです」

「やっぱりか」


 そんなところだろうと思っていた。


 示し合わせたように佐竹が城から打って出たとなると、事前に義宣も援軍遅延を承知していたということになる。


 鎮守府軍は、実に鮮やかに軍勢を運用して各個撃破に持ち込み、決戦と水戸城救援を同時にやってのけたわけであるが、綱渡りもいいところだ。


 事前にこれを承知させていたとなると、そうさせた人物がいる、ということにもなる。


「兼続はどこにいる?」

「どうやら越後方面の援軍を任されていたようで、七月二十七日に越後坂戸城を攻略し、幕府の上野方面軍を迎え撃つ構えをみせていたとのことですから……」

「決戦の場にはいなかった、ということだ」


 もう間違いない。

 兼続以上の策士が、景勝の傍にいる。

 しかも景勝の意思を、多少なりとも捻じ曲げるような真似のできる立場に。


「……その鎮守府軍の別動隊を指揮していたのは誰だ」

「最上義康、戸沢政盛、津軽信枚……そして、紅葉姫であると聞いております」

「――ああ、そいつだ」


 最上でも戸沢でも津軽でもなく、その紅葉姫とやらだと、わたしは直感した。

 その名はわたしも風の噂で耳にしたことがあった。


「確か景勝の正室、だったな?」

「かように聞き及んでおりますな」


 確か昨年のことだ。

 上杉景勝に待望の嫡男が誕生したという話は、上方でも噂になっていた。


 景勝にはすでに菊姫という名の正室がおり、これがかの武田信玄の娘である。


 もっと言えば、生前のわたしの夫であった、朝倉晴景の同母妹でもあり、晴景はこの縁談を殊の外喜んでいたことを、今でもよく覚えている。


 なかなか聡明な人物だったようだけど、残念なことに、景勝との間に子はできなかったらしい。


 そうこうしているうちに、景勝に見初められたのが、その紅葉姫とやらだった。

 公家の出で、名を四辻紅葉とかいうらしく、しかもあっさりと嫡男を出産したことで、当時は色々噂になったものである。


 その手の噂は伏見にいる五郎八からよく聞いたものだ。


「何故、そのように思われますのか?」

「その女、景勝が惚れ込んだ相手なんだろう? その尻に敷かれているのであれば、多少の無茶もできる」

「なるほど。ご経験がものを言いますな」

「わたしは別に、晴景様のことをこき使ったりはしなかったぞ」


 政宗の如何にもな物言いに、わたしは唇を尖らせて抗議する。

 ちゃんと立ててやったし、わたし自身が朝倉家の当主になることもなかった。


 ……まあ、それがどうした、というくらいの権力はあったけれど、それでもわたしなりに晴景には気を遣ったのだ。


「あと、女だてらに戦場に出るなど、尋常じゃない」

「それも姫が仰せになられると……いや、失言でしたな」


 わたしに睨まれてそっぽを向く政宗。


「とにかく、そいつだ。――朱葉、ちょっと来い」


 別室に控えている朱葉を、わたしは呼びつける。

 すぐにも現れた朱葉を近くに座らせると、いったん政宗のことは放っておいて、聞くべきことを尋ねた。


「上杉景勝の正室……というか、継室のことを教えろ」

「はい」


 わたしの問いに、朱葉はすぐにも答えてくれた。

 朱葉は今でこそひとの姿をしているが、元は怪しげな本である。


 その元となった本も本能寺で燃えてしまったけれど、受肉していたせいもあって、その知識は今もなお、朱葉自身に受け継がれているのだ。


桂岩院けいがんいん――四辻公遠の娘のことですね]

「ああ、それだ」

「本名は伝わっていないようです」

「そんな情報はいい。それよりも確か、早死にしていなかったか?」


 わたしも生前、戦国の世に関わる知識は例の本を読んで、ことごとくを身に着けたつもりでいたけれど、当然全てをはっきりと覚えているわけでもない。

 そういう時は、朱葉に確認するのが一番だ。


「――はい。慶長九年に、死去しています」


 やはりか。

 確か嫡男を産んだ後、その経過が悪く、そのまま早世したのだ。


 そんな些末な出来事が記憶に残っていたのには、多少理由がある。

 同じ年の少し前、景勝の正室であった菊姫が死去していたからだ。


 わたしとはさほど接点も無かったが、それでも当時のわたしの義理の妹だった相手だ。

 乙葉や雪葉とはまた違うが、赤の他人、というわけでもなかったからである。


 まあそれはいい。


「ところがこの世界では、今でも生きている、か」


 その紅葉という、四辻家の娘が何者なのか、調べた方がいいのかもしれないな。

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