第104話 紅葉の戦略


     ◇


「佐竹殿より救援の使者が参っております」

「……うむ」


 その報告に、景勝は重々しく頷く。


 下野国を目前にして陣を張る鎮守府軍の主力本陣において、水戸からの使者が到着したのは、七月二十五日のことだった。


 幕府軍の本多忠朝らが率いる常陸方面軍が水戸城に迫り、攻撃を開始したという。


「佐竹殿は一万の兵力。対して幕府方は一万五千。守りに徹すれば、十分に耐えられる戦力のはずだったのですがな」


 そう言うのは最上もがみ義光よしあき

 本陣にあって、景勝がもっとも頼りとする人物でもある。


「然様。しかしまさか、主力を割いてまで増援を送るとは」


 由々しきことであると唸るのは、南部なんぶ利直としなお


「ともあれ情報によれば、水戸に向かったのは土井利勝率いる一万。これでは佐竹殿も苦戦は免れんでしょうな」

「援軍は送る。問題は誰を送るか、であるが」

「待て待て、待つのじゃ我が夫殿よ」


 軍議の席に唯一女としてあった一人の人物に、視線が集まる。


 四辻紅葉。

 景勝の正室である。


 景勝に比べてずいぶん若くはあるが、かつて行われた出羽合戦もあり、その軍才を疑う者はこの席にはいなかった。


 当時、敵として相対した義光なども、その才を高く評価していくらいである。

 その紅葉は景勝の言葉を遮り、否であると主張したのだ。


「援軍など不要。送るでない。これは敵の思惑ぞ?」

「……すると、姫は兵力の分散こそが、敵の思惑とお思いか」

「他に何があると言うのじゃ?」


 利直の問いに、当然であろ、と紅葉は答える。


「考えられる敵の戦術は、二つであろうよ。一つはこちらの主力の戦力を少しでも削ぎ、正面決戦に持ち込んで、即座に勝負を決する策。もう一つは逆に主力に兵を集中させ、他を手薄にし、左右から徐々に侵攻しようという策。どちらにすべきか、どうにも迷っておるのじゃろうな」


 幕府方の意図を指摘しつつ、そこで紅葉はにやりと笑ってみせる。


「ゆえにこの戦、どう受けるか、攻めるかを決めるのは、我らという次第じゃ」

「……なるほど」


 そこで義光が頷いた。


「大御所は我らがどう動くか見定めてから、方針を決するおつもりか」

「その通り。水戸に兵を送ってみせたのは、これに我らが乗れば正面決戦を、乗らぬのならばそのまま水戸城を攻め落としてしまえという、そういう腹積もりじゃろうな。じゃがな、それでも家康の意図は見え隠れしておる」

「と仰せられると?」

「家康は決戦を避けたく思っておる。間違いなかろ」


 断言する紅葉に、周囲は顔を見合わせる。


「紅葉よ。如何なる存念にてそう思うのだ?」


 首を傾げたのは景勝だった。


「家康は野戦が得意であるし、関ヶ原でも見事勝利しておる。そもそもにして、臆すような輩ではなかろうに」

「夫殿よ、それはかつての話であるぞ。家康ももはやしわくちゃの爺。関ヶ原とて完勝したわけではないからな。あのような綱渡り、一生に一度で良いと、そう思っていることじゃろ。他に楽で堅実な策があるのであれば、そちらを選ぶが自然なことよ」

「かもしれぬが、他に根拠はあるか」

「最初から決戦を挑むつもりであるのならば、そもそもにして戦力を分散させず、十万の大軍をもってこの会津を目指したであろうに」


 紅葉の言に、一同は唸った。

 如何にもその通りに聞こえたからである。


「であれば、家康の嫌がることを仕掛けるが、最上の策ではないかのう?」

「ふうむ……」


 腕を組み、景勝は考え込む。


 鎮守府軍は幕府軍に対して兵力で劣る。

 これを打開するには、決戦に勝利する他無い。


 もしくは徹底的な長期戦に持ち込み粘った上で、幕府方の厭戦気分を誘い、和睦するという手もあるが、これでは意味が無いのだ。


 なぜならば今回、ある意味で戦を仕掛けたのは上杉であるからである。

 攻め込んできたのは幕府であるものの、そのきっかけを作った鎮守府大将軍を自称したのは、景勝であるからだ。


 無論、戦を誘発する覚悟あって、のことである。


「つまり、紅葉はこのままの決戦を望むとそう申すか」

「無論じゃ」

「されど、それでは佐竹殿を見捨てることとなる」


 佐竹義宣は上杉家に賛同してくれている、貴重な協力者である。

 ここで援軍を送らず、万が一にでも降伏してしまえば、鎮守府軍は一気に劣勢に立たされることになるだろう。


「それは義に反する。私にはできぬ相談だ」

「……どうしても?」

「どうしてもだ」


 断固たる景勝の意思を見とって、紅葉はため息をついた。


 義宣も律義者と噂であるが、景勝も景勝で真面目に義理を重んじ過ぎる。

 これでは戦略や戦術の幅が狭まってしまう道理である。

 が、そんなことは、紅葉にしても織り込み済であった。


「では、仕方ないのう」

「……紅葉よ。否やは無いのか」

「あるぞ。大いにある。どれだけ佐竹を救ったところで、ここで敗れれば全て終わりであるからのう。とはいえ、そんな我が夫殿の誠実さに、義光や利直なども一定の信頼を抱いているのであろうから、悪くは言えぬが」


 やれやれ、と肩をすくめる紅葉に、名指しされた義光や利直は微妙な表情を返すのみだ。


「されどわらわを納得させるのに、一つ条件がある」

「その条件とは?」

「佐竹への援軍。わらわに任せて欲しいのじゃ」

「紅葉自ら水戸に向かうと申すか」

「然りよ」


 胸を張る紅葉に、景勝は即断できずに唸った。


「……義光殿。貴殿は如何お考えか」

「奥方様であれば、勇猛果敢、加えて出羽をかすめ取る程度の悪知恵も働くお方。一軍の将としては申し分ないでしょう。我が愚息もお供することでしょうし」


 義光の子である義康などは、当然ながら紅葉の麾下として従軍している。


「なんじゃ。出羽にてわらわと我が父に敗れたからといって、皮肉を言うとは女々しい奴め。とっとと隠居して義康に家督を譲れというものじゃ」

「そう急かされますな。あと、わしは奥方様のことを買っておりますぞ」

「……ふん?」


 紅葉を見る義光の視線に、気づいたか、とばかりに紅葉は舌を出してそっぽを向いた。


 事実、この場において、紅葉の意図を正確に読み取っていたのは義光だけであったと言っていい。


「で、我が夫よ。わらわを行かしてくれるのか? くれぬのか? 駄目と言われるなら、拗ねて国許に帰るまでじゃが」

「無理を言ってついて来たのはそなたであろうに」

「そんなこともあったかのう」


 空とぼける紅葉。

 もっとも結果的に見れば、紅葉の望む通りの展開になったのであった。

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