第103話 宇都宮評定(後編)

 控え目に発言した秀忠に、周囲の視線が集まる。


「上様。その通りでございます」


 よく分かっておいでである、とばかりに高虎は頷いた。


「そうか、そうか」


 自身の意見を歴戦の武将に肯定され、それまでやや沈んでいた秀忠の顔に喜色が浮かぶ。

 もっとも、


「まあ、それこそが至難なのですが」


 即座にそう返されて、何か良い思案は無いかと巡らす秀忠であったものの、思い浮かぶことも無く、元の様子に戻ってしまう。


「……方策は、無いことは無いかと」


 主に倣い、控え目に意見を口にしたのは、利勝である。


「うむ。申してみよ」


 助け船に藁をもすがる思いで、秀忠はすぐにも利勝へと発言を促した。


「……水戸みと城へと、増援を送るのです」

「水戸に?」


 諸将が顔を見合わせる。


 現在、常陸水戸城を本拠としている佐竹義宣よしのぶは、鎮守府方である。

 奥州の諸大名と違って上杉家に臣従こそしていないものの、追従している関係だ。


「佐竹殿は、およそ一万ほどの兵を集め、常陸の防御に徹しております。こちらとしても本多殿らが一万五千の兵をもって、これを牽制する予定となっています」


 この常陸方面軍に関しては、当初より無理な侵攻はしないことになっていた。

 義宣の勇猛ぶりは、その父親である佐竹義重よししげ譲りといわれ、侮って良い相手ではなかったからである。


「あの律義者と直接事を構えるのは、どうにも避けたいところであるが」


 家康が言う。

 家康にしてみれば、上杉さえどうにか屈服させることができれば、自然と佐竹も幕府に靡くであろうという目算があったからでもある。


 義宣は律義者で知られ、豊臣家に対しての忠誠は未だ高く、関ヶ原の折も積極的に徳川の味方をしなかった上に、それより以前に窮地に陥っていた石田三成を個人的に助けてもいる。


 だが一方で、義宣の父親である義重は家康と親交があり、どちらかといえば幕府よりの立場であるという。


 状況によれば、佐竹は味方とならずとも敵にもならない可能性は十分にあったのだ。

 それを下手に刺激したくない、という思いが家康にはあったのである。


「されど大御所様。常陸国は江戸からそう遠いわけでもありませぬ。ここが敵か味方か分からない状況は、如何にもよろしくないかと考えます」

「それは……分かっておるが」


 この奥州征伐により、仮に上杉が降伏に及んだ場合、佐竹家もお咎め無しというわけにはいかない。

 その際は、奥州のどこか田舎に転封でもしようと家康は考えていたのも事実である。

 常陸は信頼できる家臣、もしくは身内に任せるべきであると。


「しかし常陸攻略を優先させる、という意味でもあるまい?」

「然様です。水戸に増援を送ればいよいよ佐竹殿も覚悟を決め、上杉に援軍を乞うことでしょう。そうなれば差し当たっては本陣の兵から割くことになり、目前の兵力が減少いたします」

「……景勝殿も義理難い男ゆえ、頼まれれば断れんでしょうな」


 とは、高虎。


「だがその策ではこちらの本陣も手薄になる」


 意味が無いのではないか、と宗茂などは疑問を呈す。


「はい。こちらが増援を送り、上杉も援軍を送るとなった際、必ず状況が変わります。要は上杉がどの程度援軍を送るかによって、その後の戦術が変わるということでしょう。援軍が少なければ一気に水戸を攻略し、その余勢を勝って本陣と共に会津を攻めます。無論、その間はこちらは極力決戦を避け、防御に徹する必要となりましょうが」

「逆に佐竹への援軍が多く、敵の本陣が手薄となったならば、こちらから決戦に持ち込む好機、というわけか」


 なるほどの、と家康は頷く。


「ふむ。さほど悪い策ではありますまい」


 高虎もまた、頷いた。

 そして難しい顔をしている宗茂へと尋ねる。


「宗茂殿はどうか?」

「私としては、やはり決戦は差し当たっては避けるべきかと考える」

「差し当たって、とは?」

「土井殿のご意見にあられた、常陸攻略を優先させるが良いのではないかと。やはり戦は数である。こちらも戦力分散をする以上、本陣での戦は極力避け、時を稼ぎ、増援を待つがよろしいかと愚考いたす」

「ふむ。増援か」


 それも一つの手であるな、と家康はつぶやく。

 鎮守府軍にも余力はあろうが、幕府方の方が余力の幅は大きいと言って間違いない。

 予備兵力として西国の諸大名にも動員がかけられており、今この瞬間にも上洛すべく、兵を進めている最中のはずである。

 それらを関東に運び、戦線に加えれば、一気に方がつくことだろう。

 宗茂はそれら増援を待って、決戦に及ぶべきと主張しているのである。


「増援にはそれがしも賛成ですな。上杉も思ったよりも兵を集めて参ったからには、こちらとしても十全に備えるがよろしいかと存じますぞ」

「それは良いが……。西国が手薄になるのも、気になりはすまいか」


 家康とて宗茂らの意見には賛成であったが、そもそも京に兵を集めたのは、万が一の際の援軍となれるまとまった兵力を用意しておくこと以上に、西国での変事に備えるためでもある。


「豊臣家ですな」


 すぐに意を悟って、高虎が答える。


「大坂は未だに帰趨を明らかにしておらん。敵にはなっていないようであるが、味方とも言い難い。様子見を決め込むつもりであろうが……」

「お待ちを、父上」


 慌てたように、秀忠が口を挟んだ。


「大坂にはお雪を通して使者を遣わせております。それにお千もおるのですぞ。万が一などあり得ませぬ」

「わしとてそうは思いたいが、豊臣の家中では我らに対する敵愾心もあろう。警戒もしているはず。この機を好機と思う輩もいるやもしれん。ただ信用するだけでは、この世は渡ってはいけぬぞ」

「それは……心得ておりますが」


 戦国の世であれば、親兄弟で殺し合うことすら日常茶飯事だったのだ。

 泰平の世に近づきつつあるとはいえ、失念するには早すぎることでもある。


「まあまあ」


 そこにやんわりと割って入るのが、高虎のいつもだった。


「雪の方様と大坂の淀の方様とは実に仲がよろしいと窺っております。淀の方様はまあ、短気ではあられるが、情の深い方としても有名ですからな。雪の方様の申し出ならば、無下には致さぬでしょう」

「……高虎殿は、我が義姉殿をよくご存じなのか?」

「それがし、秀長様に長くお仕えしておりましたからな。太閤殿下が関白になられるよりも以前から、朝倉の狐姫の妹君に懸想されていたことは、家中では割と有名でしたもので」


 懐かしいですな、と高虎は昔を思い出すかのように、遠い目になる。


「宗茂殿とてよくご存じであろう?」

「はあ」


 そこで何やら曖昧な相槌を打つ宗茂に、高虎はもちろん、家康も人の悪い笑みを浮かべてみせた。


名護屋なごや城でのことは、わしもよく覚えておるぞ」


 家康の言う名護屋城でのこととは、ちょうど朝鮮出兵の折のことである。

 この場にいる宗茂も高虎も渡海しており、日ノ本を不在としていた頃のことだ。


 ある時秀吉は、宗茂の正室であった立花誾千代ぎんちよを名護屋城に呼び寄せ、手籠めにしようとしたことがあった。

 女好きの秀吉ならではの、ありそうな話である。


 ところが父・立花道雪どうせつ譲りの勇猛な姫に成長していた誾千代は、秀吉の意図を察知し、自らは武装しつつ、周囲の侍女どもに鉄砲を持たせた上で、城に乗り込んだのだという。


 そんなことを予想だにしていなかった秀吉は、それはもう慌てて逃げ回ったそうな。


 ところが話はそれで終わらない。

 その名護屋城には秀吉に同伴していた淀の方こと乙葉がおり、当然黙っているはずもなく、それはもう、壮絶な一騎打ちを演じることになったのだ。


 同じく名護屋城にあった家康らに止められるまでそれは続き、どちらも一歩も退かないそれは見事なものであったという。


 結局その一騎打ちは引き分けに終わったものの、以来、淀の方と誾千代は親しくなり、夫である宗茂とは不仲だったこともあってか、誾千代はかなりの淀の方びいきになってしまったのだ。


 秀吉は失敗したものの、結局淀の方に手籠めにされたのでは、というのが当時の専らな噂でもあった。


 もっとも淀の方は、夫婦仲の悪かった二人の間を取り持ち、ずいぶん世話を焼いたりもしてくれている。


 これは男勝りで例え夫であろうと同格と見なしていた誾千代の性格によるものだったが、淀の方に色々諭されたようで、それなりに丸くなったのは確かである。


 宗茂にしてみても、実のところ頭の上がらない相手だったりするのだ。


「ま、まあ、そのようなことは良いのです」


 やや浮いた話に、宗茂は珍しくも話を逸らすことにした。

 文武両道で、なおかつ人格者という宗茂であったとしても、苦手な話題というものはやはり存在するものである。


「淀の方様ならば大丈夫でしょう。藤堂殿のおっしゃる通り、情の深い方。そして千姫様とは良好なご関係と窺っておりますゆえ、万が一にも幕府と敵対する道は選ばれないかと存じますが」

「ふうむ……」

「何ならば、この私自ら大坂に使者として立ちますが」

「いやいや、それには及ばん。それにここでおぬしに抜けられては叶わんからな」


 そこでしばし考え込んでいた家康であったが、やがて意を決したように頷いた。


「よかろう。まずは利勝の策に乗ってみるか。事態は流動的となろうが、その都度修正していけば良い」


 こうして大まかな方針が定められ、更に細かい詰めが為された上で、幕府方は主力よりその一部の兵を、常陸国へと差し向けることとなったのであった。

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