第101話 政宗の御節介
◇
七月十四日。
乙葉からの手紙を受け取って以来、広島にて悶々としていたわたしの元に、今度は成実がやって来た。
「政宗から、だと?」
「は。姫様に書状でございます」
成実から受け取ったその書状は、確かに伊予の政宗からだった。
伊予からずっとわたし達にくっついていた成実は、その道中、実に細々と政宗の元に手紙というか、報告書を送っていたことは、わたしも知っている。
もはや監視でもされているような感じではあったものの、大して気にもしていなかった。
ともあれそういう事情もあり、政宗はわたしの動向を常に把握していたといっていい。
今回の書状も政宗が書いた日付からすると、かなりの速達だった。
まあ安芸広島と伊予松山は、瀬戸内海を隔ててすぐ近くである。
宛先さえしっかり分かっていれば、すぐにも届くというものだった。
「――ふうん。政宗も出陣する気か」
書状に目を通したわたしは、成実へと尋ね聞く。
「そのようにございます。無論、伊達家だけではなく、四国の諸大名、ことごとくに動員の命が下ったようではありますが」
「そうみたいだな」
幕府が奥州征伐の陣触れを発してから、それなりに時が経っている。
西国の大名の大半は、これに応じる構えらしい。
「それはいいが、どうしてわざわざわたしに文を寄越したんだ?」
政宗がわたしにこんな報告をわざわざする必要は無い。
普通ならば、だが。
「勿論、今回の件に関する姫様のお考えを知りたいが故ではないと」
まあ、そんなところか。
「考えも何も、わたしの意見が豊臣家の総意というわけではないんだぞ?」
「我が殿は、豊臣家の総意などよりも、姫様のご意見こそを知りたいのでしょう」
「…………」
政宗の奴め。
いったい何を考えているのやら。
「教えてやらない」
わたしが舌を出してやると、成実は渋い顔になった。
「それは困りますぞ」
「自身の野心にわたしを巻き込むなとでも書いて送っておけ。……それはともかく、これを読む限りでは西国の大名どもは、今回は傍観者だろう? 政宗こそ何をやる気になっているんだ」
政宗からの最新情報によると、幕府の軍勢は主に関東と北陸からかき集められ、十万を超える大軍である。
関ヶ原の戦いの時の、東軍の兵数を軽く超える軍勢だ。
それに加えて西国から集められる兵力が、まあどれくらいになるかは分からないものの、軽く五万は越えるだろう。
これらは尾張と美濃を治める我が叔父・松平忠吉の旗の下に集って、予備兵力となる予定だ。
忠吉は我が父である秀忠の次の弟で、これがまた秀忠には似ず知勇に優れ、器量良しと、かなりできた人物なのである。
それでいてしっかりと秀忠に仕えており、ある意味で理想的な兄弟だったといえるだろう。
ただし、噂ではここ最近、体調が優れないという。
今回、江戸への参陣を見送ったのも、その辺りが理由かもしれないな。
一方の上杉も、それなりの兵力を集めはするだろうが、幕府の動員力に敵うはずもない。
戦は数だけではないが、それでも基本は数である。
事前に数を用意できる戦略を駆使することこそが、勝利へのもっとも確実な方策であることは、疑いようもないのだ。
「兵力でも経済力でも、幕府の方が勝る。順当にいけば、勝利は疑い無しだと思うぞ?」
「しかし戦とは、やってみなければ分かりません」
「それはそうだが」
幕府には人もいる。
我が父はともかくとしても、家康などは百戦錬磨の老将であるし、それに従ってきた者どもも、今ではみな老いてしまってはいるものの、代わりに次代が育っているのだ。
秀忠の側近連中も、皆使える有能な奴らばかりである。
そうそうまずい戦はしないと思うのだけど。
「それに幕府方は十万を号してはいますが、まとまって進軍するわけではありませぬからな」
「らしいな」
政宗からの情報によれば、幕府方は大きく四つに分かれて上杉領を侵す予定らしい。
一つは主力である会津方面軍。
兵力は五万で、総大将は家康であり、これが幕府方の中核を為す軍勢であることは間違いない。
次が越後方面軍。
大将は松平秀康で、主に北陸勢にて編成された軍勢だ。
兵力は三万弱。
そしてもう一つ越後を目指す軍勢として、上野方面から進出する部隊があり、大久保忠隣が大将を務めている。
甲斐の武田景頼も、この軍勢に所属しているらしい。
これが一万三千ほどとか。
最後に常陸方面軍。
これは本多忠朝や正木時茂らによる部隊で、常陸の佐竹を牽制するためのものだろう。
基本的には会津と越後に対して同時侵攻する作戦らしい。
「兵力の分散はうまくないが、しかし分散といっても元が大軍だからな。これは対応する上杉の方が難儀しそうだぞ」
幕府軍が分かれた以上、鎮守府軍としては越後か会津のどちらかに傾注すれば、互角以上に戦えるかもしれない。
しかし捨てた方は、攻め取られてしまう公算が高くなってしまう。
越後は一国といっても広い。
片方の戦場で勝利したとしても、そこから駆け付けるには遠いのだ。
逆に幕府方としては、片方に敵の戦力を集中させつつ決戦を避けて長期戦に持ち込み、その間にもう一方を攻め落としていく戦術を使えば、それなりに堅実に勝利を重ねていくことができるだろう。
逆に鎮守府軍としては、どうにか決戦に持ち込み、局所的な戦闘で勝利していくしかない。
「まあ、わたしたちは高みの見物でいいんじゃないか? どうせ何もできないし」
「……本意ですかな?」
「政宗に何を吹き込まれたかは知らないが、あまりわたしを疑うな。痛くも無い腹を探られるのは不愉快だ」
「……失礼致しました」
まったく。
「下がれ」
わたしは成実を追っ払うと、珍しく傍にいた千狸を膝の上に乗せて、小さく吐息をつく。
「面倒なことにならなければいいが」
この時のわたしは、心底そう思っていたと言っていい。
しかし。
そういうわけにはいかないのが現実である。
慶長十年七月十七日。
出陣の準備の整った福島勢と共に、わたしたちは大坂に帰還することになったのだった。
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