第100話 薄田兼相


     ◇


 世間は戦の雰囲気に支配されつつある中、それはそれとしてご当地の観光に精を出していたわたしの元に、大坂からの使者が到着したのは七月十二日のことだった。


「姫様におかれましてはご機嫌麗しく!」

「……ずいぶんぼろぼろだな?」


 やって来た人物を広島城下の宿にて迎えたわたしは、やや呆れるようにそう感想を漏らした。


 年の頃はもう若くも無い。

 が、どこかに童じみた幼さが残るのが、目の前の男の特徴である。


 名を薄田すすきだ兼相かねすけという。

 秀吉、秀頼と親子二代に渡って豊臣家に仕える家臣の一人だ。


「いやぁ、途中で路銀が尽き果てましてな。姫様もお人が悪い。安芸におられるのであれば、最初からそう仰っていただければ良いものを」

「~~~~」


 珍しく、本当に珍しいことではあったけど、わたしはこめかみを押さえて何と答えていいのやらと、窮してしまった。


 まあ、この男のことだ。

 どういう状況でこうなったのかは想像に難くないが、何というか……ううむ。


「……千姫様に対し、無礼ですよ」


 不愉快そうにそう苦言を呈すのは、朱葉である。

 その隣では千代保が、嬉しそうに腕の中の千狸をあやしている。


「おお、これはご無礼を。つい本音が滲み出てしまいましたな。いや、それほど大変だったのですよ。その狸めには殺されそうになるし、いやはや酷いものでした」

「……お前、狒々ひひを退治したこともあるんだろう? それが狸如きに何なんだ」

「いやいやその狸、かつてそれがしが退治してのけた化け猿などよりも、ずっと恐ろしき存在ですぞ。というかそのような化け狸を飼いならしている姫様は何なのかと、そう思ってしまうところですが」

「これはわたしのものだからな。ちょっとはぐれていたんだ」


 この兼相という男、放っておくと自分の好きなようにしゃべり通して話が逸れに逸れて、まったく先に進まない。

 なので面倒だったけどわたしが誘導しつつ、どうにか状況を聞き出すしかなかったのである。


 ……案外、わたしの前ではぺらぺらしゃべる朱葉と似たようなものなのだけど、朱葉の前では言えないな。


「……まったく頭の悪い奴め」

「はははは。姫様はお顔は美しいが、お口が悪い。天は二物を与えずとは、よく言ったものですな」

「うるさい。あと少しは省みろ」


 溜息をつきつつ、わたしは兼相から聞き出した内容を整理する。


 まず兼相は、大坂の乙葉がわたしに寄越した使者である。

 これはいい。


 そして兼相が大坂を出立したのは、先月の十二日。

 つまりわたしの元に到着するのにひと月かかったわけだけど、これが早いか遅いかは何ともいえないところだ。


 この男、体力だけは無駄にある。

 剣の腕も確かで、狒々の妖怪を退治するような神通力すら持ち合わせた剣豪だ。


 乙葉が兼相を選んだのも、その体力を見込んでのことだろう。

 でもどうにもおつむが足りないのだ。


 陸路をのんびり歩きながら物見遊山に勤しんでいたわたしとは違い、海路を使えば一気に追いつけたはずである。


 しかしどうやら馬鹿正直に、わたしの歩いた道をそのまま追いかけてきたらしい。

 先々で情報収集し、先回りしようとか、そういう知恵は働かなかったようだ。


 単純に一人で走ってひと月で追いついたのは、まあそんなものかと思う一方で、しかしもう少しやりようはあったのではないかとも思ってしまう。


 おかげで情報は一ヵ月前のものであり、正直正則から聞いた情報の方が新しいくらいだった。

 無駄に体力があるだけに、頭を使うことを忘れてしまっているらしい。


 そしてこれは余談であるが、わたしの足跡を追って萩まで来たところで路銀が尽き、腹が減って山中で狸を捕まえて食おうとしたら、逆襲されて反対に食い殺されそうになったそうな。


 それがはぐれていた千狸だった。


 兼相にとって不幸だったのは、わたしが千狸に妖気を分け与えていたことで、手に負える存在ではなくなっていたこと。


 逆に兼相にとって幸いだったのは、兼相がわたしにとって縁の者だったことである。


 千狸は千狸でわたしと合流しようとしていたらしいが、完全にはぐれてしまって途方に暮れていたところを兼相と会い、これを従える過程でわたしとの縁を知り、ならばとわたしのもとへと案内させたらしい。


 千狸を抱えて兼相が現れた時、一瞬だけ嬉しそうにわたしの元に飛び込んできた千狸だったが、すぐにもいつもの澄ました顔になって、千代保の方に行ってしまった。

 このええ格好しいめ。


 まあそれはさておき、だ。


 乙葉からの書状には、今回の幕府による奥州征伐が決行された場合の豊臣家の帰趨についてどうすべきかと、相談のような内容だった。


 そしてさりげなく、雪葉からの手紙があったことも記されている。

 明言はされていないが、乙葉にしてみれば幕府に味方することもやぶさかではない、といった感じだ。

 もちろん、雪葉のためだろう。


 乙葉にしても雪葉にしても、個人的な感情や思いはあるものの、わたしのことを慮ってか、はっきりと望みを告げてこない。


 わたしがどう思い、どう考えるのか分からないし、それを邪魔したくないとも思っているのだろう。

 可愛いやつらである。


「しかしもう少し、欲深くなってもいいと思うんだがな」


 一方でそう思う。

 これまでずっと我が儘を通してきたわたしであるが、あの二人の望みであれば、極力叶えてやろうとは思うのだ。


 それくらい、二人の功は大きい。

 でも何も望みを口にしないものだから、仕方ないのでわたしの妖気を分け与えたりして報いてはきたけれど、今となっては二人とも十二分に強くなってしまったし。


 とはいえだ。


「わたしは豊臣家の主というわけでもないし、裏から牛耳るつもりもないんだけど」


 どうも乙葉などは、わたしが大坂に来た時点でわたしが大坂の主、みたいに思ってしまっているみたいだけど、そんなつもりはない。


 豊臣家の主は秀頼であるし、事実上の大坂城の主は乙葉であることに、何の異論も無いからだ。


 それに二人を補佐する朝倉秀景や大野治長らを始めとする側近連中も、わたしが見た限りではまあ優秀だ。

 内向きのことは治長がうまくやっているし、軍事に関しては秀景がいればさほど心配も無い。


 わたしが気を付けているのは幕府との関係だけで、あとは干渉する気もなく、こうやって自由な時間を自分の為に費やしているくらいである。


 今回の件に関しては、確かに幕府との関係が絡んでくる。

 それだけでなく、上杉との外交関係にも影響する。

 古参の豊臣家臣からすれば、関ヶ原のこともあって、徳川よりも上杉寄りの者が多いだろう。


 しかしわたしは徳川寄りだ。

 乙葉にしてみても、雪葉が江戸に残った以上、幕府とあからさまに敵対する意思は無い。


 ならば基本方針は幕府の味方でいいじゃないか、という話になるのだけど、先の先まで見越すとそうもいかないのだ。


 もし奥州征伐が成功し、上杉が滅亡なり屈服なりしたあと、残された豊臣家はどうなるのか、という話である。


 勢力的には豊臣家では幕府に対抗し得ないものの、格の点に関しては対等かそれ以上なのだ。これほど目障りな存在も無い。

 となると、史実のように事が展開する可能性も十分に出てきてしまう。


 そうならないためのわたしだと思ってはいるが、果たしてどうなるか。


 単純な話、上杉という幕府にとっての当面の敵が存在し続けた方が、豊臣家は安泰かもしれないのだ。


 本当、どうしたものやら、である。

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