第99話 広島城と福島正則


     ◇


 慶長十年七月七日。

 萩を出たわたしたち一行は岩国を経て、広島へと到着した。


「……結局、千狸はいなくなっちゃいましたね」


 寂しそうにそう言うのは、千代保である。

 千代保の言うように、はぐれてしまった千狸とは未だ会えずじまいであった。


 一応捜したのだけど、相手は小動物。

 捜し出すのはけっこう至難である。


 とはいえ化け狸の類であるし、そこらの狸よりは賢いだろうから、いずれは、とは思うのだけどな。


「逃げたのであれば、あとで捜し出して狸汁にしてしまいましょう」


 などと本気で言うのは朱葉である。


「千代保が泣くからやめておけ」

「ですが。主様の力を与えられながら、裏切るなど言語道断です」


 朱葉の言うように、わたしのものになった暁というか、所有権を周囲に示す意味も込めて、ちょっとだけ妖気を分けてやったのだ。

 理屈としては、雪葉や乙葉に魂を分け与え、その存在力を向上させたことと同じである。


「小動物相手にムキになるな。というか逃げ出したと決まったわけじゃない」

「同じことです」


 朱葉はご立腹。

 萩で牢に放り込まれたことを未だに根にもっている上に、わたしが自身の力の一部を削ってまでして千狸に力を与えたことが、どうにも愉快ではないらしい。


 まあ、正確には力を分け与えたことよりも、わたしの力が減じることを危惧しているというか。

 忠誠が高いのも結構なのだけど、主がさほど気にしていないのだから、気にするなというものだ。


 それに、だからこそ萩では敢えて生ものの魂を食べたりして、補充と回復も兼ねたのだから、問題なかろうというものなのに。


 第一、今のわたしの妖気は自分自身ですら、ちょっと持て余し気味なくらいである。


 馴染んでいくのに時間がかかるだろうから、今は不必要に持っていても宝の持ち腐れだと思うんだけどなあ。

 ……まあ、本能寺の変があっただけに、そうもいかないんだろうけど。


 ある意味では可愛いやつでもあるのだ。


「ぶーたれるな。ほれほれ」


 わたしはえいっ、とつま先立ちになると、手を伸ばして朱葉の頭を撫でてやった。

 朱葉はすぐにも嬉しそうな顔になって跪き、わたしに為されるがままになる。

 図体は大きくなったけど、これもまだまだ子供なのだ。


 ちなみに広島までの旅は順調だった。

 というか道中を心配した輝元によって護衛が付けられる始末で、鬱陶しかったくらいである。


 とはいえ旅の安全も完璧であったし、宿に困ることも無かった。

 わたしはけっこう無計画に歩き回っていたので、他の連中は宿の手配にも一苦労していたくらいだったこともあり、広島まではずいぶん楽な旅になったと言えるだろう。


 福島領に入ってからは、待ってましたとばかりに、向こうの連中の出迎えを受けた。

 輝元が事前にひとをやって、正則に連絡しておいた結果だろう。


 そういうわけで禍も無く無事に、広島城に入ったのである。


     ◇


 安芸広島城。


 広島城は安芸と備後二ヶ国による四十九万八千石の広島藩の拠点であり、紛れも無い大藩だ。


 元々は毛利家の所領であったものを、のちに福島正則が入って成立した藩でもある。


 奪われた輝元は二十九万石の藩主に甘んじたのであるから、これが勝者と敗者の差というものだろう。

 それでもまあ、取り潰されなかっただけでも感謝すべきだろうけどな。


 そういうわけで、この広島城を普請したのは正則ではなく、輝元である。


「お待ちいたしておりましたぞ」


 広島城に入ったわたしを出迎えたのは、福島正則その人であった。


「ん、待たせたか」

「いえ。ちょうど準備が整ったところでございますれば」

「そうか」


 わたしと正則は、実は仲がいい。


 正則にしてみれば千姫という存在は、幕府にも豊臣家にも忠節を尽くせる対象である。

 そのため当初から良くしてくれていたのだ。


 わたしもおだてられると弱いので、調子に乗って子供らしく振舞ってみせ、遊んでもらったものである。


「しかしかような所で旅をされておられるとは……いささか驚きましたぞ」

「輝元にも言われた。しかも最初、不審者扱いされて捕まってしまったからな」

「なんと」

「あ。今のは忘れてやれ。輝元が泣くからな」


 いきなり口が滑ってしまったが、まあいいか。


「広島には初めて来たけど、いいな。本当ならもっと大坂と交易をして欲しいところだが」


 広島は瀬戸内海を通じて大坂との海運に恵まれている。

 これを利用することで畿内との取引が活発となり、うまくやれば互いに利益を出せるのだ。


「まあ幕府に睨まれるから、そうもいかんのだろうけど」

「なかなか難しゅうございます」


 とは正則。

 十にも満たない子供と何の話だか、と思われないでもなかったが、ちゃんと付き合ってくれるのが正則らしい。


「それよりも正則。城下が物々しかった。あれは何だ?」


 萩とは別の意味で、この広島城下も何やら物騒な気配が漂っていたのである。


「幕府より動員がかけられましてな」

「……上杉の件か?」

「姫様はよくご存じで」

「輝元が言っていた」


 どうやら正式に陣触れがあったらしい。


「とはいえ予備的なものであるそうで、有事に備えて上洛し、待機せよとの命が下っております」

「上洛、ねえ」


 まあ穿った見方をするならば、だ。


 西国の軍勢を上洛させて駐屯させることは、摂津の豊臣家と信州の真田家を牽制する意味もあるのだろうと、そう考えてしまう。

 要はおかしなことをしないように、見張らせておくというわけだ。


 もちろん、関東にて万が一のことがあれば、速やかに軍勢を送れる位置取りでもある。


「すぐにも出陣するのか?」

「いえ、命が届いてよりさほど時も経っておらず、動員にはもうしばし時がかかるかと」

「動員の日付は?」

「六月二十日になっておりましたな」

「二十日、か」


 今日は七月七日。

 西国の方に命が行き渡るにはもう少し時間がかかるだろうが、東国に近い諸国においては、すでに関東に向けて軍を進めている公算が高い。


 となると、半月もしないうちにあっちでは戦が始まるかもしれないな。

 物騒な世の中になったものである。


「正則」

「は」

「そちらの準備が整ったら、一緒にくっついて大坂に帰りたい。それまで広島に滞在して構わないか?」


 あちこちで軍勢の移動が起きるとなると、しばらく旅がしにくくなる。

 だったら軍勢そのものと一緒に移動すればいいのだ。


「勿論ですとも。道中の安全はこの正則にお任せあれ」

「心強いな」


 快く受け合う正則に対し、素直にそう思ったものである。

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