第97話 五郎太石事件


     ◇


 慶長十年七月二日。


 この日、毛利輝元は五郎太石事件に際し、熊谷元直、天野元信両名に非ありと断罪し、手勢を差し向けた。

 もう一方の当事者である益田元祥はお咎め無し、である。


 ここまでくると、どちらが本当に悪かったのかとか、そういう次元ではなくなっていたと言っていい。


 輝元が益田方に立った理由は、かなり政治的なものだった。

 それは吉川広家の存在である。


 広家は関ヶ原の後、毛利家存続に尽力したが、しかし家中では幕府との関係が深いとされ、警戒されていた。


 そして益田元祥は吉川家と縁が深い。

 その益田を罰せば、今回の事件の影響が吉川にも及ぶことを憂慮したのだろう。


 吉川広家に対し、家中では幕府との親密さからその進退を疑う者も多い。

 そんな広家に悪影響が及んだとすれば、それは幕府の心証をも悪くするかもしれない、ということになる。


 輝元としてはそれを恐れ、配慮せざるを得なかったのだ。

 実に政治的な判断である。


 輝元は温厚ではあるが、そういうことのできる人物、ということでもあるのだ。

 わたしとして素直に感心していたくらいである。


 毛利家自体には、幕府に対する反骨精神のようなものは、確かに存在する。

 しかしそれを表立って表す時期でないことも、弁えている。


 面従腹背の類ではあるが、しかし史実においての幕末期、長州藩が為したことを知っているわたしとしては、この時の輝元の判断や行動が、のちのちに繋がったんだろうと、そう思うのだ。


「しかし色葉様……。何も好き好んで、他家の騒動を見物なされることもないでしょうに」


 趣味が悪いですぞ、と苦言を呈してくる景成を、わたしはじろりと睨む。


「いい勉強になるじゃないか」

「色葉様にとっては、今さらのような気も致しますが」

「何を言う。わたしは生まれてこの方、政を担ったことなど一度もない小娘だぞ? あと、公の場では色葉と呼ぶな」

「はっ……申し訳ありませぬ」


 しゅん、となる景成。


 いつもならもう少し皮肉の利いた台詞でも吐くのだろうけど、わたしが牢に放り込まれた責任は自分にあると思っているのか、それとも知らないところで朱葉に責められたのかは知らないが、どうにも元気が無い。


 これではいじめ甲斐が無いし、陰気臭いのは鬱陶しい。


「朱葉」

「はい」


 名を呼べば、しずしずと朱葉が近寄ってくる。


「せっかくの機会だ。魂を集めておけ」

「! はい!」


 嬉しそうに、朱葉の顔が明るくなる。


 朱葉はわたしが積極的に魂を食べて力をつけることを、推奨している。

 少しでも強くなって欲しいと、そう望んでいるからだ。


 わたしとしては今のままでの十分かと思うのだけど、朱葉からするとまだまだらしい。


 一乗谷に大量に保存されていた魂などは、すでにわたし専用に調整済だけあって食べ易く、美味であったが、生きた人から零れ落ちたばかりの魂は、それぞれ癖があるものの、あれはあれで味わい深いのだ。


 もっとも刺激的なのは、生きたままの人間から直接食らうことである。

 生前、特にこの世界に落ちたごく初期に何度かやったことがあるが、あれもいい。


 もっとも見た目がかなり残酷なので、朝倉家を再興してからは、ほとんどやっていなかった。

 むしろ乙葉などに、勝手気ままに人の魂を食らうのを戒めたくらいである。


「……最後にひとの魂を食ったのは、乙葉がわざわざ残してくれていた、秀吉の魂以来だな」


 わたしはつい舌なめずりをしてしまう。


「ご要望でしたら、主様に最も適した形に加工した上で、お渡しいたしますが」

「ん、いやいい。少しだけ食べたら、後は預かる。乙葉への土産にするからな」


 わたし以上にひとの魂を食らうのが好きなのが、乙葉である。

 が、以前に戒めたことを未だに遵守しているらしく、ここ二十年以上、食らっていないらしいのだ。


 その上自身の尻尾を斬り落としてまでして妖気を割いて、わたしの復活に尽力してくれた。

 そろそろ恩返しをしたいところでもあったのだ。


 乙葉はわたしの妖気と混じった魂を、特に好む。

 時間はかかるけど、大坂城に帰る頃にはいい塩梅になっていることだろう。


「まずは、主様の成長を第一に考えるべきかと思いますが。乙葉もそれを望むかと思います」

「そうかもしれないが、これは気分の問題だ。尻尾一本分の借りは、倍にして返したい。これまでの功を考えれば、九本分、全て与えたいくらいなんだがな」


 とはいえ雪葉との兼ね合いもあるから、乙葉ばかりを贔屓にはできない。

 どちらにも以前のように妖気を与えてやりたいが、今は朱葉が反対するし、二人も望まないだろう。


 あとでゆっくり渡していけばいいのだ。


「……ひとの世の会話とは思えませぬな……」


 近くに立つ景成などはそんな風に感想を漏らしていたが、そこに忌避する様子は少しも見られない。

 自分の主がそういう輩であると、最初からわきまえているからだろう。


 景成の奴も貞宗同様、人の道から外れかかっているな。

 結構なことである。


 そんなことをしているうちに、事は始まった。

 毛利の軍勢に包囲された熊谷の屋敷では、目立った抵抗は無かったといっていい。


 派手な斬り合いを期待していたのだけど、そういうことにはやはりならなかった、か。

 まあ刃向かったところで、運命が変わるわけでもないしな。


 そうしているうちに、熊谷元直に対し、この場にて自害すべしと要求がつきつけられたが、熊谷はこれを拒絶。

 あとで聞いた話では、天野の方も同様に拒否したそうだ。


 これは二人がキリスタンであったことに、理由がある。

 実際、今回の二人に対する罪状は、普請に関わるものというよりも、キリスト教への信仰を捨てず、それどころか親類縁者に伝え広め、挙句領内のキリスタンを庇護したことにあるというものだった。


 キリスト教に関しては、秀吉の時代から警戒されてバテレン追放令が出されているし、幕府としても徐々に警戒を深めている最中のはずである。


 史実において、幕府が最終的にスペインではなくオランダを貿易相手として選んだのも、このキリスト教の拡販を防ぐためでもあった。


 一向一揆に手を焼いたことのある家康にしてみれば、宗教の恐ろしさは骨身に染みて理解していたはずであるし、実際、スペインの思惑が宗教による精神支配による上での植民地化であったとするならば、当然の措置だったといえるだろう。


 史実でいうところの慶長の禁教令が迫っている現状、先手を打ったことは評価に値するかもしれない。


 そういうわけで、罪に問われたのは熊谷や天野ら両人だけではすまなかった。

 それぞれの妻子を含む一族郎党の大半が罪に問われ、討ち果たされたのだった。


「うーん……」


 それを眺めていたわたしは、やがて朱葉が届けてくれた魂の一つを舐めつつ、しばし考え込んでいた。


 今し方斬首された罪人たちのことなどに、一寸の同情もありはしない。

 無関係な相手に何かしらの感情をいだけるほど、わたしはお人よしではないからだ。


 それはともかくとして、秀吉の代では禁教令を出していた豊臣家においても、今ではまた南蛮の宣教師との繋がりがある。

 南蛮との外交は重要ではあるけれど、その目的を踏まえるならば、やはりスペインとの関係は見直す必要がある。


 わたしは宗教自体は容認するが、武器と結びつくのは嫌いだ。

 それこそ一向一揆の例があるからである。


 そして当時のわたしがやったように、そういった輩は徹底的に滅ぼすのがわたしのやり方だ。

 血も涙も無いが、この辺りは信長同様、である。


 しかしそうなる前に手を打った方が賢い。

 放っておけば、幕府はそのうち禁教令を出してキリスタンを弾圧し始める。


 そうなった時に、そういった人々の流れ着く先が大坂城であり、史実でいうこところ大坂の陣でも戦力の一部になった。


 そういうなし崩しは、正直御免被る。

 後が困るからだ。


「秀頼は優しいから、そういった輩を受け入れてしまうからな……。そうなる前に……治長に言い含めておくか。でもあまり口出しするのも……」


 基本的に、わたしは政治には関わるつもりはなかった。

 にも関わらず、最近はこんな風に考えることは多くなってきている。


 それはとりもなおさず、状況が差し迫ってきたという、漠然とした予感があったからかもしれない。


 実際、わたしが享受していた呑気で平和な日々は、この辺りで終わりを告げることになったのだから。

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