第96話 輝元の謝罪
/色葉
牢に放り込まれて丸二日。
そろそろ馴染んできたなと思っていたところで、わたしたちは牢から出ることになった。
わたしを牢から出したのは、何と毛利輝元その人であり、わたしの顔を見るなり平伏し、許しを乞うてきたのである。
一国……というか、二ヶ国を預かる藩主が、こんな小娘に何をやっているんだ、と思わないでも無かったが、自ら非を認めて謝罪する姿は、まあ悪い気はしない。
ちゃんと謝る奴を許すのは、わたしの基本である。
まあ、元よりさほど怒っていなかった、というのもあるし、もし本気で怒っていたならば、とうにこの萩は地獄と化していたことだろう。
「……誤解であったとはいえ、明らかに我らの手落ち。平に……平にご容赦いただきたく」
「ん、まあいい経験をさせてもらった。たまにはこういうもてなしも、悪くはない」
「申し訳ございませぬ……」
皮肉に聞こえたのか、輝元は額を床にこすりつけて謝ってくる。
割と本音だったんだけどな。
まあいいか。
「ただ、わたしの侍女が少し体調を崩しかけている。養生させてやれ」
「は……はは!」
気丈に振る舞ってはいたが、幼い千代保からすれば、それなりに堪えたのだろう。
食事も粗末なものだったしな。
ちなみに他の家臣どもも全て解放されて、わたしとは別室に通されているらしい。
わたしだけ特別扱いにした上で、こうして輝元の謝罪を受けているのだった。
藩主自ら頭を下げる姿など、余人にはあまり見られていいものではないだろうからな。
「そろそろ頭を上げろ。謝罪ももういい。それよりも、過失を補填することを考えるんだな。差し当たってはうまい飯と酒、そして暖かい寝床だ。わたしのことよりも、わたしの家臣どもの機嫌をとっておいた方がいいぞ」
変に吹聴されたくなかったらな、と笑顔で脅しておく。
「……かしこまりました」
ようやく、輝元が顔を上げた。
その顔は、心労が溜まっているのがずいぶんなやつれようである。
確か五十代前半くらいの歳であったと思うけど、何やら一気に老け込んだみたいな感じだ。
それもさもありなん。
ひっ捕らえていたわたしが本物であると気づいた時など、生きた心地がしなかったことだろう。
わたしに何かあっても、毛利家は責任を取らされることになるし、例え無事に解放したとしても、わたしの胸三寸次第では、十二分にお家劣り潰しの可能性もあったからだ。
早い話、わたしが秀忠や家康あたりに泣いて訴えれば、毛利討伐の兵くらいは出すかもしれないし。
まさにお家存亡の危機、である。
毛利家は、これまで幾度か滅亡の危機があった。
例えば天正年間に、朝倉政権に敵とされて、討伐されるかもしれなかった時。
あの時はわたしが本能寺で死んだことにより、救われた。
次は関ヶ原の戦いの時。
これも家康に通じた家臣らのおかげにより、減封とはなったものの、どうにかお家は存続した。
そして今回。
輝元も、実に気苦労が絶えないことだろう。
まあわたしの知ったことではないが。
「せっかく萩まで来たんだ。名所でも巡りたい。誰か詳しい者に案内させろ」
「は……。あ、いや、しばらく」
「? 何だ?」
頷きかけた輝元が、慌てたように首を振る。
「城下には、しばしお出にならない方がよろしいかと存じます。少々、騒がしくなる予定ですので」
「ふむ……?」
どこか言いにくそうな輝元の口ぶりに、わたしはしばし考えて、やはりかと納得した。
「今日は一日だったな。となると明日くらいに、熊谷や天野を攻め滅ぼすといったところか」
「な、なにゆえそのことを……!?」
やっぱりか。
どうやらここでも、わたしの知る史実通りに事は進んでいるらしい。
運命というやつは、なかなかどうしてちょっとやそっとじゃ変わらない、ということかな。
それはいいんだが、いやよく無いか。
それでは困るのだ。
このままでは、豊臣家の運命もまた、史実に沿うことになりかねない。
情勢はやや異なっているため、同じような道程とはいかないかもしれないが、しかし行き着く先が同じでは意味が無いのだ。
……あまり考えたいことではなかったが、しかしそろそろ注意しなくてはいけないか。
わたしの存在が、どの程度豊臣家にとって吉となるかは分からないが……。
ああ、ちょっと思考が逸れた。
「わたしを甘く見ない方がいいぞ? 全てお見通しだ」
驚く輝元へと、にんまりと笑って告げてやる。
「で、では、姫が萩に参られたのは、一連の騒動を知ってそれを調査されるために……?」
「ん、ただの物見遊山だが」
「で、ですが」
色々不安に思っているようで、輝元の顔がまた蒼くなっている。
「気にするな。――ともあれ、状況はある程度心得ている。家臣どもの不始末に、なかなかご苦労なことだ。同情するぞ?」
家臣同士の諍いというものは、ままあるものである。
豊臣家ですら、それはあった。
秀吉死後に表面化した、石田三成ら文治派と、加藤清正ら武断派らとの対立などは記憶に新しい。
そしてそれを家康に付け込まれ、関ヶ原の合戦の引き金となり、豊臣家臣は内輪もめの末に力を失って、今に至る、という体たらくなのだ。
何も毛利家だけを笑えるものじゃない。
わたしが朝倉家の実質の当主のようなことをしていた時には、そういうことはまるで起きなかった。
下手に喧嘩でもしたら喧嘩両成敗の精神で、わたしに殴られることをみんな知っていたからである。
もっともそのわたし自身が、家臣に殺されてしまうという、笑えない結果にはなってしまったけれど。
「だがまあ、せっかくなんだ。見物させろ」
「は……?」
「だから討ち入りの様を見てみたいと言っている。皆殺しにするんだろう?」
ついつい本音が漏れ出てしまって、わたしは薄っすらと笑んでしまった。
生前、よく雪葉に怒られたあれ、である。
生まれ変わってより、わたしは基本、戦場とは無縁の生活を送ってきた。
骸骨だの亡者だのといった妖怪変化を相手にすることはあっても、人の生き死にとはさほど縁が無かったと言っていい。
そういう殺伐とした雰囲気が、少しだけ恋しくなっていたのも事実だった。
まあそれこそが、わたしが人でなしの証拠なのだろうけど。
「そ、そのようなことに、ご興味がおありとは」
「なに、毛利輝元の手際をこの目で見てみたいだけだ。優れていれば、強権を発動して実にうまく騒動を治めていたと、そう父上らに報告してやってもいいぞ?」
「……是非もありませぬか」
「うん。ない」
にっこり微笑んで頷けば。
輝元もまた、承諾せざるを得なかった、というわけである。
よし、これで楽しみが一つ増えたな。
自身の性格も大概だなと思いつつも、わくわくしてしまうのだから、度し難いとはまさにこのことなのだろう。
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