第95話 毛利家存亡の危機


     ◇


「……山崎殿。これは如何にも失態ですぞ」

「め、面目ござらん」


 真柄直澄にそう指摘されて、山崎景成は小さくなるしかなかった。


「みなに迷惑をかけたこと、陳謝いたす……」

「待て待て。別段、貴殿に手落ちがあったとも思えませぬが」


 そう助け船を出すのは後藤基次である。


「運が悪かった、ということではないのか?」

「その運の悪さに色葉様を巻き込んだことこそが、問題なのだ」


 とは、真柄直隆である。


「されどかの方は、如何にも冷静であられたようにお見受けしたが」


 伊達成実は御用になった瞬間を思い出して、そう口を挟む。

 大人しく皆が捕まったのも、色葉が言う通りにしろ、と命じたからに他ならない。


「伊達殿。貴殿は色葉様の恐ろしさを知らんのだ」


 溜息をつく、直澄。


「それにこのようなこと、乙葉様に知られては如何なるお叱りを受けることか」

「それを言うならば叔父上、雪葉殿に知られることの方が恐ろしいというもの」


 とは、真柄隆基。


「……我ら三人が雁首揃えておきながら、この様とは……。何としてもお助けしたいところではあるが」


 唸る直隆。

 その気になればこのような牢など即座に打ち破り、色葉の元に馳せ参じることは、さほど難しくない。


 しかし恐らく色葉はそれを望んでいない。

 でなければ、大人しく捕まるはずがない道理である。


「色葉様の傍には朱葉様がおられる。万が一、ということも無いと思うが……」

「いいえ父上。あの時の朱葉様の鬼の形相、ご覧にならなかったのですか。あれは別の意味で、かなり、まずいかと……」

「む、むぅ……」


 屈強な真柄の三人組が、どこか困り果てたように悶々とする姿に、木村重成や成実、基次などは顔を見合わせるばかりである。


「……千姫様とは、かように恐ろしいお方なのか」


 成実がそう口にすれば、


「姫様などと呼ばれてはおりますが、かなりお転婆であられるのは確かです」


 重成はそう答える。


「腕もかなり立ちますからな」


 一応、尋常な立ち合いの末に敗れた基次などがそう言えば、


「……確かに重長も、完敗であった」


 成実が頷く。

 重長とは片倉重長のことで、伊達家重臣・片倉景綱の嫡男である。


「というか、豊前では妖怪変化を相手にあの立ち回り。あれには我が目を疑った」

「噂に聞く平家の落ち武者の霊か」

「如何にも。……まあ、姫自身、まともなひと、というわけではないようだが」


 成実などは、色葉が平家の落ち武者と戦った際に、狐憑きの姿になったことを目の当たりにしている。


「人ならざる力か。我が槍では敵わぬわけよ。しかし……成実殿がこうして我が主と共にあるは、伊達のご主君の命であると窺ったが」

「然様。殿はどうにも色葉様をお気にかけているようで、その一挙手一投足を見逃すまいと、それがしを遣わされた。確かに面白い方とは思うが」

「ふーむ。もちろん存じておられようが、黒田家としても同じである。大殿が、絶対に敵にするなとそう仰せられておった。それゆえ、こうしてここにおるのだ」


 話し込む二人の視線は、自然、気落ちしている景成へと向けられた。


「山崎殿。我が主はいったい何者であられますのか?」


 基次の問いに、景成などは苦く笑うのみである。


「……深入りされるな。お二方。後に戻れなくなりますぞ」


 やや警告じみた言に、しかし簡単に引き下がる二人でもない。


「それはどういう意味か」

「深入りし過ぎれば人の道を踏み外しかねぬと、そう申しておるのだ。言っては何だが、そこな真柄殿たちは元より外れておるし、それがしなども、すでに多少は狂っているのだろう。それだけに蠱惑的な方ではあられるがな」

「それは関わるな、ということか?」

「そうでもないが」


 そこが複雑なところであると、景成などは思うのである。


「夢を見たくば……夢で良いのであれば。この世より微睡んでしまうも、また一興かもしれんがな」


     ◇


 慶長十年七月一日。

 萩へと帰還を果たした毛利輝元を待っていたのは、国元加判役である榎本元吉や井原元以、そして福原広俊である。


「お疲れのところ、まことに申し訳ございませぬ」

「例の件であるな」

「は」


 まず切り出した元吉へと、輝元はため息も露わに頷いてみせた。


「どうなったか」

「仲裁を試みましたが、如何ともし難く」


 無念そうに、元以がうなだれる。

 今年の三月に発生した石垣盗難事件は長引き、現在も収束に至っていない。


 当事者である天野元信と益田元祥、そして熊谷元直らの対立は決定的で、もはやこのままでは解決には至らぬであろう、様相を呈してしまっている。


「……このままでは家中の乱れが幕府に露呈してしまいます。ただでさえ、城の普請が遅延しておるのです。今、幕府の不興を買うは得策ならず、と」


 広俊の言に、げにもと輝元は頷く。


「やむを得ん。どちらかに罪を問うて、処断する他あるまい」


 しかし問題はどちらを選ぶか、でる。

 益田元祥は紛れもない毛利家の重臣であり、その正室は輝元の叔父・吉川元春の娘であり、親族衆でもある。


 数々の合戦に参加した武将であったが、それ以上に内政への手腕に優れ、あの徳川家康が勧誘したほどの人物だ。


 一方の、元祥と対立している熊谷元直は、これも紛うことなき毛利家の重臣である。

 これもまた吉川元春と縁続きであり、親族として重用されてきた。


 そして天野元信は元直の娘を正室としており、その一族である。

 このような重臣同士の対立は、家中の動揺を大いに招くものだった。


「……敢えて申し上げます。熊谷殿にしても天野殿にしても未だに天主教を信奉し、度重なる棄教の命を無視し、領内の吉利支丹どもの庇護者となっておりまする」

「……つまり、この機に粛清しろと、そう申すか」

「事ここに至ってはやむなしかと」

「やむなし……か」


 気は進まなかったが、しかし迷っている猶予も無かった。

 あまり時をかけては、それこそ由々しきことになってしまう。


「では、せめて自裁を」

「恐らくは受け入れぬかと思われます」

「我が好意を無駄にすると?」

「吉利支丹は自ら命を絶つことを禁忌としておると、聞き及びまする。であれば、腹は切れぬでしょう」


 広俊の言葉に、輝元は唸った。


「ならばどうするか」

「軍勢を送りなされませ。殿の権威を見せつけ、速やかにこれを討ち取るのです。その上で家中の動揺を抑えるべく、起請文を出させるがよろしいかと」

「見せしめか。……分かった。そのように致せ。幕府への対応も任すぞ」

「ははっ!」


 後味の悪い思いを味わいつつ、輝元は息を吐き出す。

 老齢の域に達しつつある輝元にすれば、今回の江戸までの往復や、今回の領内の事件など、かなりの負担になっていたといっていい。


 しかし毛利家の今後のためにも、最期まで尽くすつもりであった。

 自身に特別な才があるとは思っていない輝元にすれば、こういった地道な積み重ねこそが、いずれ結果を出すと信じていたからでもある。


「殿。お疲れでしょう。今日のところは」

「うむ……」


 元吉に促されて、頷きかけた輝元は、しかしすぐに首を横に振った。


「そうもいかぬ。わしが留守の間、問題もあったことだろう。諸事は片付けておかねばならん。どのような小さなことでもだ」

「それは……そうではありますが」

「特に変わったことは無かったのか?」

「変わったこと……ああ、そういえば」


 五郎太石事件のことで、重臣たちも頭が一杯であったが、輝元に尋ねられて元吉ははたと思い出していた。


「そういえば殿。つい先日のことではありますが、不審者を捕らえてあると報告が上がっておりました」

「不審者?」

「は。報告によれば、如何にも怪しげな一行であり、不敬なことにもその中に、豊臣家の姫を名乗る者がおるとか」

「豊臣の……姫?」


 輝元は首を傾げる。


「千姫様の名を騙っているようです」

「千姫様……じゃと?」


 輝元にしても、その名は十二分に心得ている。

 豊臣家当主である、豊臣秀頼の正室。


 二人は婚姻してまだ僅かであるが、その祝言の席には輝元も出席しており、またそれ以外でも何度か挨拶のたびに顔を合わせていたのでよく覚えていたのだ。


「幼いが、ずいぶん美しい方であられる。淀の方様が、我が子のように自慢をされておった」

「千姫様といえば、上様のお子であったはず。何故このような地に……?」


 首をひねるのは輝元だけでなく、元以や広俊も同様だった。


「ですからこのような地におられるはずの無い方なのです。騙っていると申し上げたは、まさにそれが理由でありまするが」

「妙な輩もいるものだ」

「しかし不敬が過ぎよう。それらの者の処遇はどうなっているか」


 広俊に聞かれ、元吉は唸ってみせる。


「未だ保留となっておりますが、事と次第によっては死罪もやむなしかと。それに、このような時期にあのような怪しげな一行が領内にあったは、如何にも不審であります。他国の間諜やもしれませぬ」

「……あるいは幕府の、な」

「だとすると、このまま死罪とするのはいささかまずいのでは?」


 三人が議論する間、輝元は一人黙りこくってしまっていた。

 一言でいえば、嫌な予感。

 そんなものが脳裏を駆け抜けたからである。


「待て……待て」

「殿?」


 小さく声を発した輝元に、三人は口を止め、何事かと見返した。

 そしてぎょっとなる。

 主の顔が蒼白になっていることに気づいたからだ。


「と、殿……? お加減が悪いのではありますまいか……!?」

「違う……い、いや、確認せねばならん。元吉よ、その者の……千姫様の名を騙っているという者の容姿は、如何なるものであったか」

「は? あ、いえ、私は直接見たわけではございませぬが」

「わしは……江戸から萩へ帰る道中、大坂にも立ち寄って、秀頼様にも挨拶をしてきたのじゃが……。その時、いつもは隣におられる千姫様が見えず、気になってお尋ねしたのだ」


 千姫は秀頼の正室である以上に、征夷大将軍である徳川秀忠の長女であるということの方が、重要な点である。

 その姫は秀忠や祖父の家康には随分可愛がられているとのことで、家康もずいぶん孫自慢をしていたものだ。


 幕府との関係を重視する輝元にしてみれば、秀頼以上にご機嫌伺いをせねばならない相手でもあったのである。


「話によれば、千姫様は旅に出られたとか……おっしゃっておられた」

「旅……ですと?」


 その一言に、元吉ら三人も嫌な予感を覚えたのだろう。

 面に緊張が走る。


「さ、されど、豊臣のご正室が、このように忍んで旅をされるなどと、とても考えられることではありますまい」

「――いや、噂では千姫様はご聡明な方ではあられるが、ずいぶんなお転婆であるとも聞く。その上、淀の方様の覚えもめでたいことから、大坂城にあっては我が物顔で歩かれているとか」

「実家が将軍家ですからな……」

「で、では、まことに本物であると貴殿らは仰せられるのか……?」

「よもやとは思うが……」


 もはや顔面が蒼白となりつつあったのは、輝元だけではなくなっていた。


 もし牢に放り込んであるのが、まことに千姫であるのならば。

 現在、領内で勃発している騒動など些事としか思えないほどの、大事件の引き金になりかねない。


「な、何ゆえ天は、この毛利家に、このような艱難辛苦をお与えになるのか……」


 そう呻いて天井を仰いだ輝元は、そのままひっくり返って気を失った。

 蓄積された疲労と、衝撃の事実に意識が飛んでしまったのである。


「と、殿!?」

「い、いかん! 誰ぞ、すぐにも医師を呼べ!」


 こうして。

 再び毛利家存亡の危機が訪れることになったのであった。

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