朝倉慶長始末記

たれたれを

序章

第0話 慶長十六年三月二十八日

 

     /?

 

 慶長けいちょう十六年三月二十八日。

 この日、日ノ本ひのもとに激震が走った。

 

 外から聞こえてくる喧噪にわたしは顔をしかめ、手にしていた書物から目を離す。

 ずっと抱いていた嫌な予感。

 そんなものが、現実になったような気がしたからだった。

 

「――姫様っ! ただちにお逃げ下され!」

 

 片桐かたぎり且元かつもとの京屋敷にて待っていたわたしの元に、大野おおの治長はるながが飛び込んで来るのに、そう時間はかからなかっただろう。

 刀傷を受けたその姿を見て、わたしはこめかみを押さえる。

 

「……何があった?」

「――徳川とくがわ家康いえやす殿ご乱心にて、秀頼ひでより様が――」

「秀頼様がどうした」

「お討死にございます!」

「――――」

 

 ああ、と思った。

 まさかこんなことになるとは。

 今日この日、うまくいけば豊臣とよとみ家、徳川家の和解が成立し、しばしの天下泰平が継続するはずだったのに。

 

「……わたしのせいだ」

「ひ、姫様……?」

「なまじ史実を知っているものだから、油断したんだ。…………狸爺め、やってくれたな」

 

 今さら後悔してもどうしようもない。

 きっと、乙葉おとはは泣くだろう。


 わたしはどうなのだろうか。

 夫が死んだというのに、涙は出てこない。


 今は、まだ。

 

直澄なおずみはどうした」

「直澄殿は我らを逃がすために孤軍奮闘され、されど徳川兵多数に囲まれては恐らくは……!」

 

 滅ぼされたか。

 本当に……やってくれるものである。

 

「徳川の兵が迫っております! お早く脱出を!」

「ふん。わたしもついでに殺しにきたというわけか」

 

 わたしはゆっくりと立ち上がると、隅に控えていた長身で偉丈夫の武将に声をかける。

 

「聞いての通りだ。直澄のことは残念だった。許せ」

「……いえ。それよりも……お悔み申し上げます」

「弔意は後で聞く。それよりも直隆なおたか、大坂まで治長の護衛をしろ。治長、お前は正則まさのりと合流して急ぎ撤退だ。わたしのことは置いて行けばいい」

「姫様!? そ、それに、ここで退いては――」

「弔い合戦でもする気か?」

 

 準備でも兵力でも負けているのに、今戦っても勝てるわけがない。

 そういうのは後だ。


 わたしに睨まれて、治長は身を震わせて言葉を失った。

 若干十五歳程度の小娘を相手に戦慄するなど、どこか滑稽ですらあったが、まあいつものことでもある。

 それでも抗弁しようとしたのは、主を想ってのことだろう。

 

「さ、されど……!」

「とにかく行け。負け戦はしない主義だ。……乙葉にはわたしからうまく言う」

「……は」

 

 頷く治長に代わり、直隆が進み出てわたしに太刀を差し出してきた。

 何も言わずとも、意を酌んでくれたらしい。

 

「ご武運を」

「ふん。ただの八つ当たりだがな」

 

 太刀を抜き放った瞬間、わたしの身体に変化が起きた。

 長く黒い髪が狐色に染まり、まるで獣の尾のようなものも現れる。


 狐憑き。

 そんな姿になったわたしを見て、治長はやや唖然となった。

 

「……本当に、姫様は、色葉いろは様だったのですな」

「前からそう言っているだろう?」

 

 そういえば治長にこの姿を見せるのは初めてか。

 驚いたようだが、しかし忌避する様子は無い。

 それはずっと以前に見慣れた姿だったからだろう。

 

「早く行け。今のわたしは虫の居所が悪い。妖気を抑える気も無い」

「はは!」

 

 もはや何の迷いもないように、治長は生き残った随行の者をまとめ、西に向かって脱出した。

 

「……これで、夫を亡くすのは二度目になるな」

 

 前回はそんな感傷に浸ることもできなかったけれど。


 そんなことを思っているうちに、屋敷は再び騒がしくなった。

 徳川の雑兵らしき連中が、数十人ほど雪崩れ込んでくる。

 

「見つけたぞ!」

「捕らえよ!」

 

 数人がわたしに駆け寄って来るのを無感情に眺めていたが、触れられる前に太刀を持った右手を無造作に振るってやる。

 

「ぎゃああああっ!?」

 

 両断されてわたしの足元に転がった雑兵は、それでも即死することができなかったようで、うるさい絶叫をしばらく響かせていた。

 耳障りなのでその頭を踏み砕いて黙らすと、次々に標的を適当に選んで犠牲者を増やしていく。


 最初に屋敷に突入してきた三十人程度を皆殺しにするのに、さほど時間はかからなかった。

 屋敷の外へと出たわたしは、目的地に向かって歩を進めていく。


 途中、手当たり次第に殺戮を撒き散らしながら。

 

「お、鬼だぁっ!」

 

 殺してやった誰かがいまわの際にそんなことを口走っていた。


 残念だが外れである。

 わたしは鬼じゃない。

 鬼など大嫌いだ。


 もっとも、それよりもたちの悪い何か、なのだろうけど。

 

 つい、と視線を上げる。

 目指すのはそう、二条にじょう城だった。

 

     ◇

 

 江戸えど幕府ばくふ

 徳川家康が慶長八年二月に征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任官され、そして江戸に幕府を開いた。


 史実通りであったならば、この後の徳川家と豊臣家の関係は、じわじわと逆転していくことになる。

 いや、それをいうのならば、あの関ヶ原の戦いこそが岐路というべきだろう。


 だがわたしのいるこの世界では、かなり事情が異なっている。

 流れこそ似たようなものになっているのだが、決して徳川家が盤石の体制を築けているとは言い難いからだ。

 どうにか幕府は開いたものの、豊臣家以外にも不穏な勢力が未だ幅を利かせていたからである。


 例えば奥羽越後おううえちごの上杉家。

 例えば信州飛騨しんしゅうひだの真田家などだ。


 このような情勢下において天下泰平とは言い難く、しかし積極的に戦乱を起こす機運が高まることもなく、危うい平和が継続されていたが、ここにきて徳川家と豊臣家との関係をより強固にするために、徳川家康と豊臣秀頼の会見が、京の二条城にて執り行われることになったのだった。


 わたしとしても、この二条城会見は望むところであったといっていい。

 徳川家と豊臣家。

 この二つにわたしは深く縁がある。

 わたしの存在が、両家の友好の証であったと言っても、差支えはないだろう。


 会見を罠ではないかと危惧する声も、豊臣家中では確かにあった。

 乙葉などは最後まで反対していた。


 だが秀頼自身が強く望んだこともあり、わたしもさほど強く止めなかった。

 そして結果がこれである。


 本当にこの世の中は、ままならぬものらしい。

 

     ◇

 

 単身、二条城に乗り込む。

 それを阻もうとした雑兵など相手にもならず、邪魔する輩は全て殺した。


 直隆からもらった太刀はすでに刃はこぼれ、刀身は折れ曲がり、用を為さなくなったのでとうに放り捨てている。

 そのあとは殴る蹴るのみで蹂躙してやった。


 やや効率は損なったものの、わたしにしてみれば虫けらを踏み潰す程度の労力である。

 ついには誰もわたしに近寄れなくなり、道を開くのだった。


 しかし、これは……。

 

「……逃げ足が速いな」

 

 二条城にはすでに、徳川家の主だったものはいなくなっていた。

 洛外らくがいには徳川の大軍が待機しており、これらを指揮するために迅速に動いたのかもしれない。


 徳川勢以外にも、数では圧倒的に劣るものの、豊臣勢も控えている。

 事が起きた以上、一戦は免れないと考えるだろう。


 もっとも撤退するように治長には命じたから、即座に開戦には至らないだろうが。

 

「…………」

 

 二条城の会見の場であったと思しき場所にたどり着いたわたしは、打ち捨てられた死体を目にして目を細めた。


 転がるその死体には、頭部が無い。

 無いが、誰であろうと知れるというものだ。

 豊臣秀頼その人であろう。


 そしてその広間には無数の屍が転がっていた。

 護衛としてついていった直澄が、孤軍奮闘した結果だ。


 だがその本人も、ついには力尽きて討ち取られたらしい。

 屍の中に、無数の刀を突き刺された状態の白骨化した屍があり、しかも立ち往生している。


 真柄まがら直澄だ。

 五、六十は道連れにしたようだが、これまでだったのだろう。

 

「……あぁ、不愉快だ。本当に、たまらない……」

 

 夜の墓場のような静寂の中、しかし音がした。

 がちゃがちゃと甲冑の音がして、四方からやってきた者どもに囲まれる。


 完全武装のその武者姿の者どもは、あちこち傷だらけにはなっていたものの、まるで覇気は衰えていない。

 というかこの覇気は、ひとの放てるものではないだろう。

 妖気というか、鬼気という類のものだ。

 

「ふん、これが噂に聞く四鬼よんきか?」

 

 わたしを囲んだ四体などには目もくれず、いつの間にか上座に現れていた女へと視線を向ける。

 

「そうよ? あなたには初めてお披露目するのだったわね」

 

 どこか場違いな陽気な声。

 血生臭い屍の中にあって、その女は眉一つしかめることもなく、こちらを睥睨していた。

 

「……それ、あなたの使役する式神か何かかと思っていたのだけど、まさか亡者だったとはね。その子たちが四体がかりでどうにか滅ぼせたのだから、いったいどんな化け物だったのかしら」

 

 立ち往生している直澄のことを言っているだろう。

 なるほど、どうやら四対一で直澄は敗れたらしい。


 よし。

 ならば頑張ったとあとで褒めてやろう。

 

「それにあなたも、ね?」

 

 いちいち癇に障る女の言に、わたしは鬱陶しそうにねめつける。


 この場にあってどこか楽しそうにしている女は、正直歳の頃はよく分からない。

 生年を信じるならとっくに五十路のはずなのだが、そんな様子は微塵も無いからだ。


 が、名前は知っている。

 須和すわ、といい、あの狸爺たぬきじじいの側近――というか、側室の一人だ。

 最近では阿茶あちゃ、などとも名乗っているらしい。


 が、中身は化け物とか、怨霊とか、そういうものの類だ。

 こいつの父親が元は甲斐かい武田たけだ家の家臣だったとかで、この女も以前のわたしを知っている一人である。

 とはいえ当時はちらっと見たことがある、程度のものだったそうだが。

 

「わたしのことは知っているだろうに、今さら何だというんだ?」

朝倉あさくら狐姫きつねひめ……ね?」

「そういうお前は藤原ふじわらの千方ちかた、だったか?」

「同じ名前で嬉しいわ。千姫せんひめさま?」

 

 何が同じ名前だ。

 こちらは不愉快窮まりないだけである。


 ちなみにこいつの正体は、藤原千方という名の怨霊だ。

 それが阿茶局に憑りついているらしい。


 いつからかは知らないが、かなり前からなのは間違い無い。

 わたしが生まれてきた時点で、その正体をおおよそ看破していたらしいからな……。

 

「狸爺はどうした?」

「ご自分のお爺様に向かって何て口の利き方。今のあなたを見れば、大御所おおごしょ様はさぞお嘆きになることでしょうね」

「知ったことか」

 

 本当にこの女と話していると、反吐が出る。

 

「で、わざわざお一人でここまで来るなんて。ご用向きは?」

「だから爺はどこ行ったかと聞いている」

「もちろん、とうに立ち退いてもらったわ。だってあなたが一緒に京に来ていると聞いていたのだもの。事が起これば怒り狂ってここに来ることは読めていたし」

 

 危ないものね? と千方はおどけて言う。


 ……まあ、妥当な判断だろう。

 一応努めて冷静でいるつもりであるし、その上で宣戦布告に来てやっただけに過ぎない。


 あと、直澄の回収だ。

 が、この女の言うように、もし家康がいたらつい殺してしまうかもしれない可能性については、わたしも否定できない心境ではあった。

 

「大御所は可愛い孫娘をとても心配してらっしゃったわ。それなのに、そのお爺様に刃向かうと……?」

「千は死んだとでも言っておけ。さっきもお前自身が言っていただろう……? わたしは朝倉の狐、朝倉色葉だ」

 

 その瞬間、わたしはずっと抑えていた妖気を解放した。

 妖気はそのまま強烈な風圧になり、わたしを囲っていた四体の鬼どもを吹き飛ばす。


 その妖気にあてられた途端、立ち往生していた直澄がむずむずと動き出した。

 最初はぎこちない動きだったが、やがてわたしに気づき、跪く。

 

「モ、申シ訳……ゴザイマセン、デシタ。秀頼様、ヲ、オ護リ、デキズ……」

 

 髑髏のままだというのに、どこからか軋むような声が聞こえてくる。

 とりあえず動けるようになった、ということか。

 

「お前までなくしたら、乙葉が余計に悲しむからな。……秀頼様のことは、気にするな」

 

 と言っても無理だろうが。

 

「あらあら。なんておぞましい妖気」

「ふん。怨霊そのままのお前が言うな。……あと、聞いておく。秀頼様の首はどうした?」

「共に持ち帰ったはずよ? あとで三条河原さんじょうがわらにでも晒さないといけないし」

 

 罪人扱いする気か。

 頭に血がのぼりそうになって、このまま徳川の陣に押しかけてやろうかとも思ったが、堪えておく。


 わたしは強い。

 はっきりいって、千やそこらの雑兵相手ならば、相手にもならない。

 その気になれば国の一つくらい、この身だけで滅ぼせるだろう。


 だが、無敵でもなければ最強でもない。

 千方のような化け物の類は、この日ノ本には数多く潜んでいる。


 かつてのわたしがまったく敵わなかった鈴鹿すずかという鬼や、人の身でありながら神通力じんつうりきを極めた人間なども、実は脅威だ。

 例えば上杉うえすぎ謙信けんしんなどには一度、殺されかかったこともある。


 その上杉家には、わたしと伍する存在といって過言ではない鬼もいる。


 それに鉄砲。

 こういった武器も侮れない。


 矢くらいならばどうとでも捌けるが、鉄砲となると無理だ。

 撃たれれば傷つくし、それで滅びることはないとしても、捕らえられてしまう可能性は十分にある。


 これまで日ノ本には何体もの強力な妖が現れて、時の政権を脅かしはしたが、結局その全てが討伐されてしまっている。

 ある意味では前回のわたしも、その例の一つになるのかもしれない。


 ともあれそういった歴史を学んだ妖は、じっと身を潜めているか、もしくは時の権力者に近づくことを覚えた。

 この千方などもそうだろう。

 豊臣家にわたしがいるように、な……。

 

「直澄、戻るぞ。……秀頼様も忘れるな」

「――ハッ!」

「あらあら。本当に徳川と敵対する気? こちらには雪の方もいらっしゃるのに」

 

 雪の方というのはわたしの母親の名前だ。

 そして向こうにはわたしの父親や、あと妹や弟どももいる。

 ある意味で人質のようなものだろう。


 踵を返しかけていたわたしは、そこで振り返り、笑みを浮かべて言ってやった。

 

「母上のご機嫌は十二分にとっておくことだな? あれはわたしなどよりも情が無いから、命じれば江戸城など一人で地獄に変えてしまうぞ?」

「怖いわねえ……」

「ふん」

「でも、無事に帰れるかしら」

 

 わたしを阻むものは、四体の鬼だけのはずがない。

 恐らく城を出れば、軍勢がわたしを待ち構えていることだろう。

 このわたしを討ち取るために。


 ふん、望むところだ。

 わたしを殺せるというのならば、殺してみるがいい。

 どのような犠牲を払ってでも、大坂城に帰ってみせる。


 絶対に、だ。

  

     ◇

 

 二条城会見。

 この日の惨劇はのちに血の二条城会見と呼ばれ、大乱勃発の発端となる事件として、後世に知られることになる。

 乱世が再び、泰平の世を侵しつつあったのだった。

 

 だが今日この日に至るまでのことを、ほんの少しだけ、まず語っておかねばならない。

 あくまで伝え聞いた話だから、正確さに欠けるところもあるだろうけど、些細なことだ。

 

 今を遡る天正てんしょう十一年六月二日。

 この世界でいうところの、いわゆる本能寺ほんのうじの変の日から。



あとがき↓

https://kakuyomu.jp/users/taretarewo/news/16816700429414477708

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