第42話 お花見弁当

 コロナ禍においてはめっきりご無沙汰となってしまったが花見のシーズンである。


 花見と言われて大多数の人がイメージするのは、ブルーシートなどを桜の木の下に広げ、酒やソフトドリンク、つまみの類などを各々持ち寄って、ワーッとやる感じのあれではないかと思うが、コロナ禍で酒も集団会食も封じられているとなると、もはやかつての賑わいはなかなか再現できないに違いない。


 などとそれっぽく書いているが、実のところおれは「旧態然とした宴会的な花見」があまり好きではない。


 理由はいろいろあるが、まず第一に思うのは、情緒がないということである。


 果たしてこの集団は、花見などと言いつつ、終始うわずった調子で適当な酒を適当に飲んでヘラヘラして、えぇ最後の方になってようやく「おぉ~今年も桜はきれいだなあ!」などとわざとらしい感想を述べたのち、ブルーシート際に脱ぎ捨てた靴を誰かの靴と間違えてつっかけながらフラフラ帰っていくのである。なんなら帰り際に二次会などと称してオネエチャンの居る店になだれ込んだりする集団だって居るにちがいない、というか、いた。


 にぎやかな酒を飲むためだけの花見は、それはそれで手段の一つとしてはアリだと思うが、あまりにも桜が脇役すぎるのである。おれはどうせやるのなら、桜がよく見える昼間に、ひとりあるいは少人数で、静かにやっていきたいのだ。


 とはいえ、別に桜の木の下で何時間も粘ったりとか、そういう感じのことはしない。ちょっとシートを広げて、ちょっとした飲食ができればそれでじゅうぶんだ。


 花見における飲食の最適解候補は色々あると思うが、おれは酒を飲もうが飲むまいが「幕の内弁当」がベストチョイスではないかと思う。


 基本的に幕の内弁当はいつ食べてもおいしいし、華やかな気分になる。それが花見の場合だとより増幅されるし、何よりまず弁当としての見た目と桜の相性がよい。普通の弁当、例えばほも弁の特のりタルなんかでもぜんぜんいいが、季節の食材があしらわれた幕の内弁当だと、見た目もちょっとリッチな雰囲気になる。良い感じを得るためのコスパとして、なかなか侮れない選択肢なのだ。


 桜の木の下という「屋外」で食べる幕の内弁当の風味は、屋内で食べるそれよりも、弁当の匂いのほかに、芽吹いた植物の匂い、桜の匂い、土の匂い、春のいろんな匂いが複雑に鼻腔を通っていく感じがよい。ペットボトルのお茶も、桜の木の下で「花見」というていで飲むと、なんか高級なお茶なんじゃないか、という錯覚を覚えたりする。


 おれは花見をするのなら、ぜひ桜の木の下で幕の内弁当をほおばりたい。別に高級なやつでなくてよい。この季節になるとスーパーや弁当屋、コンビニなどでわりと見かけるようになるので、それとお茶、座る用のシートを買えばいい。桜が無ければ梅でもいい。やってみると、酒で気分が良くなる以上の高揚感があるということに気づくだろう、というか、気づいてほしい。

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