第25話 明太子は気体

 大食いタレントでおなじみだったウガンダ・トラ氏いわく「カレーは飲み物(正確には『カレーライスは飲み物である』)」。わざわざ補足するのもアレだが、要はそれくらい気軽に喫食できるし、大好きであるということの表現である。


 ある食べ物がものすごく好きで、それは自分にとって食べ物よりももっと摂取しやすい何かである、という表現をして、この「カレーは飲み物」のテンプレートを引用する例は多い。ラー油は飲み物だとか、とんかつは飲み物だとか、あとフォーマットは異なるがエビフライはタルタルソースを食べるための棒だとか、ラーメン二郎はラーメンではないとか、いくら大盛かにチラシ飯とか、グルメ界隈は実にいろんな表現にあふれている。


 おれにとっての「飲み物」があるとすれば、それはまさに明太子だといってよい。以前も書いたが、中学生の時に喫茶店で食べた明太子パスタに衝撃を受けてから今まで、通年機会さえあれば常に明太子を摂取してきた。たまたま明太子の本場である福岡に親戚の叔母さんが住んでいるというのも何かしら運命的なものを感じる程度には、明太子に入れ込んでいると自負している。


 この「カレーは飲み物」のフォーマットを借りて言うなら、おれの場合は「明太子は気体」になるだろう。飲み物を通り越し、もはや酸素や二酸化炭素と同じく気体の扱いである。気体を摂取するのに通販で取り寄せたりしなければならない大変さもあるが、それでもおれにとって「明太子は気体」である。


 おれが好きなグルメというのは、だいたい下のような性格をもつ。


 ・機能的であること(焼き鳥など)

 ・味を足さなくても、それ単品での旨味があること(フルーツ全般)

 ・2つ以上の旨味が絶妙に組み合わさっていること(明太子など)


 おれは、好きなものについては「無限に食える」という表現をよく使う。サンドウィッチマンの伊達ちゃんが提唱するゼロカロリー理論というものがあるが、あれに近い理論であり、よくある「『無限に食べられちゃいます』と表現したいほど好きなんだな」という解釈ではなく、本当に無限に食べられるという理論である。特にイチゴなんかは、本当に無限に食えるんじゃないかと思うときが何回もある、いや、無限に食えるんですけどね、マジで。


 グルメに関する表現というのは、ともすれば過激になりがちかもしれない。ただそれは、そのグルメへの愛が溢れるからであって、愛というのはいつも盲目的なものである。そういった故のものなので、大目に見てほしいと思うが、皆さんはどうか。


 気のおけない友人はローソンが大好きなのもあって「からあげクンは救済」という言葉をよく使うが、これも良い表現だと思う。おれはやはり明太子なので、おれにとっての明太子は気体かつ救済ということになり、ほとんど空気に近いような気がする。空気にお金がかかるなんて贅沢だと言われるかもしれないが、それでもおれにとっての明太子は気体なのだ。


 ちなみに妻曰く「そういうのはよく分からないが、森永乳業にマウントレーニアの2Lパックを出して欲しい」とのことだったので、至るところでこういった表現が跋扈しているな、と改めて気を引き締めるに至った。

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