5.当たり前でも、難しいねがいごと。







「知紘の奴、遅いな?」

「うーん、でも気にしたら可哀想だよ」

「それもそうか」



 場所は変わって、エヴィの部屋にて。

 知紘はお手洗いに立ったので、ボクとエヴィの二人きりだった。そんな二人でやること、というのがイマイチ分からないので、ひとまずはラノベ談議に花を咲かせる。

 いつまでも語り合っていたい。

 しかしながら、少しくらい別の方向に逸れても大丈夫だろう。



「ところで、エヴィは日本でやってみたいこと他にあるの?」

「やってみたいこと?」

「そうそう」



 エヴィの過去に今更触れるのも気が引けた。

 しかし、やってみたいこと、つまりは未来に展望を向けるのは良いだろう。そう思ったのだが、彼女は存外に深く考え込んでしまった。

 どうしたのかと思っていると、エヴィは少し困ったように頬を掻く。



「えへへ。きっと、たくさんあるんです。でも、どれも漠然としているというか、あくまで理想というか……」

「それでも良いよ、言ってみて?」

「うぅ、笑いませんか?」



 そして、そんな風に話すのでボクが促す。

 するとエヴィは文庫本で口元を隠しながら、細い眉をへの字に曲げた。



「どうして笑うんだい?」

「だってこれ、ママにも言ってないし。それに――」



 ちらっと、ボクの顔を見て顔を赤くする。



「男の子に言うの、すごく恥ずかしいんです」

「…………?」



 オリビアさんにも話していない、男の子には恥ずかしくて言えないこと。

 それが思いつかず、ボクはますます首を傾げてしまった。

 そうしていると、エヴィは小さく深呼吸して言う。



「あの……もしも、ですよ?」

「ん、もしも、だね」

「はい。もしも――」



 そして、意を決してこう口にした。





「こんな私が、大好きな人と幸せな家庭を築きたい、って言ったら?」――と。





 とても控えめに。

 エヴィは、誰もが当たり前に抱く夢を語ったのだった。

 それを聞いてボクは、ほんの少しだけ息を呑む。その上で思うのは、それほどまでに彼女は自分に自信がないんだ、ということだった。


 いじめを受けた経験。

 その時に、なにを言われたのかは分からない。

 でも、こんな当たり前のことを不可能のように語るなんて、悲しすぎた。



「全然、おかしくなんてないよ。むしろ――」



 だから、ボクは不安げなエヴィを真っすぐに見て伝える。




「ボクはむしろ、エヴィには誰よりも幸せになってほしい」――と。




 素直な気持ちだった。

 つらい経験をしたからこそ、彼女はその分だけ幸せになるべきだ。

 それがボクの、偽りない気持ちであり、願い。仮にその時、彼女の隣にいるのが自分でなかったとしても。

 その願いを叶えるためなら、なんでもするだろう。

 そう思うほどに、ボクは本気だった。



「ほんと……?」

「あぁ、本当だよ」

「そっか。なんだか、少し安心しました」

「うん、よかった」



 その思いが伝わったのか。

 エヴィは小さく笑うと、今度は嬉しそうに口元を隠さず微笑んだ。

 ボクには、そんな彼女の表情が愛おしくて。将来、彼女と共に歩む人は誰であれ、とても幸せに違いないと確信した。

 だから、思わずこう口にする。




「エヴィはきっと、良いお嫁さんになるよ」

「ふえぇぇぇぇ!?」




 すると、エヴィは悲鳴を上げながら目を丸くした。

 視線があちらこちらへ、行ったり来たり。


 最後は完全に目を回してしまって、近くにあったクッションに顔を埋めた。

 どうしたのかと思い、声をかけようとする。――と、そのタイミングで。



「はーい、無自覚乙~!」




 知紘がどこか苛立った声色で、部屋の中に入ってきた。

 そして、完全にダウンしてしまったエヴィを介抱するのだ。ボクには何故か少しだけ白い眼差しを向けていたが、まったく理由が分からない。



 ただ、その時間。

 ボクは少しだけエヴィの心に触れられたと、そう感じたのだった。




 






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る