8.突発! 恋人限定喫茶店潜入 後編。
――そう、思ったんだけど。
「あれ、杉本くんは飲まないんです?」
「いやー……うん。かなり、勇気がいるというか」
いざ、カップル限定のドリンクが目の前に運ばれてくると。
それは想像以上に大きく、しかしストローの長さは微妙に足りず。もし同時に飲もうとすると、一歩間違えばエヴィと鼻先がついてしまいそうな距離感だった。
だから先ほどから、彼女がストローを離すタイミングを見計らっているが……。
「ん、美味しいっ!」
「…………」
エヴィさんは、ストローからまったく手を離さなかった。
それどころか常に唇を当てている。いつでも飲めるような状態を維持しており、時々に小首を傾げてボクを見てくるのだった。
これは、いったいどういう状況だ……?
「早く飲まないと、私が全部飲んじゃいますよ?」
「うぅ……!?」
しかし、ここで飲まないのも負けたような気がする。
というよりも、だ。何故かは分からないが、男が廃るというか、恥をかいているような気さえしてしまう。理由は分からなかった。
それでも、どうにかして一口でも飲まなければならない。
そう必死に考えた結果、ボクは――。
「あ、あれって何だろう?」
「なんですか?」
エヴィの後方を指さし、彼女の注意を逸らした。
そして、その瞬間に自分側のストローに口をつける。
「ん、く……」
「あーっ! それは卑怯です、杉本くん!」
口の中に、柑橘系の味が広がっていった。
爽やかな味が美味しいと思う反面、エヴィの視線は厳しい。子供のように頬を膨らした彼女は、ジッとボクのことを睨み続けていた。
「え、と……?」
「いくじなし」
「えぇ……」
そして、一言そう口にして。
プイっとそっぽを向いてしまうのだった。
どうやら、理由こそ分からないが怒らせてしまったらしい。とっさに謝ろうと思ったが、しかしここで問題理解せずに謝罪するのは悪手のようにも感じた。
だからボクはひとまず、時間を稼ぐために……。
「ちょ、ちょっとお手洗い行ってくるね?」
そう言って、席を外す。
お手洗いの前に移動して、中には入らずに状況を整理した。
そもそも、どうしてエヴィは不機嫌になってしまったのだろう。彼女は最後に「いくじなし」と言っていたが、それが関係あるのだろうか。
「もしかして、エヴィは本当の恋人みたいに……?」
そこでふと、彼女が語っていた憧れを思い出した。
もしそれが関係するなら、まだ巻き返しは可能かもしれない。
「あの、すみません」
「はい。いかがなさいましたか?」
「えっと、ですね――」
そうなれば、もう一か八か、だ。
ボクは近くにいた店員を呼び止めて、ある商品を注文する。それは他のカップルがみんなして、美味しそうに分け合っているサイズの大きなケーキだ。
多少の値は張るが、逆転するにはこれしかない。
「かしこまりました。それでは、お席でお待ちください」
「はい、ありがとうございます」
店員と別れて、ボクはエヴィのもとへと戻る。
彼女はまだ少し拗ねており、小さく「おかえりなさい」と口にしたが、それ以降は何も言おうとしない。ボクはその間に、一つ呼吸を整えた。
チャンスは一度きり。
最初の一回で、確実に決めなければならない。
「お客様。お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
「え? このケーキ、って……」
そうしていると、件のケーキが運ばれてきた。
エヴィは理由が分からずに、首を傾げてそれを見つめている。その隙にボクはフォークを手に取って、こう言うのだった。
「これは、さっきのお詫びというか。ボクなりのごめんなさい、なんだけどね?」
ケーキの側面を少量すくって。
まだ少し呆けている彼女に、差し出しながらこう続けるのだった。
「はい、エヴィ。……あーん」――と。
しばしの沈黙。
状況が分からないのか、エヴィはボクの顔とケーキを交互に見た。
そして最後の最後、こちらの意図を理解した瞬間に――。
「ふわあああああっ!?」
顔を真っ赤にしながら、口をぱくぱくさせるのだった。
明らかに動揺しているエヴィは可愛らしい。しかし、こっちだっていつまでも羞恥心に耐えきれるわけではなかった。
だから、ここは少しだけ強引に……。
「エヴィ、ほら……口あけて?」
「は、はひぃ……!」
そう言って、彼女の口にそっとケーキを入れる。
ゆっくりと閉じられたのを確認して、フォークを引き抜く。するとエヴィはケーキの甘さか状況の甘さか、あるいは両方にやられてしまった様子だった。
耳まで真っ赤になって、潤んだ瞳でこちらを上目遣いに見てくる。
その上で、またこう言うのだった。
「杉本くん、卑怯です……」――と。
小さく。――ぽつり、と。
だがしかし、そこには先ほどのような不機嫌はなかった。
「あはは、ごめんね。エヴィ」
「うーっ! こうなったら、お返しです!」
彼女はそう言うと、自分もフォークを手に取ってケーキをすくう。
そして、こちらに食べるよう促してくるのだった。
ここまできたら、恥ずかしさも消えていて。
最初は居心地の悪かった空間も、最後には良い思い出になっていた。
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