第2章

1.ちょっとだけ、昔の記憶。







 ――一人の女の子が、泣いていた。

 ボクは、何もできずに見ていることしかできない。彼女はボクの中学時代の友達で、かけがえのない友達で、絶対に守ってあげるんだ、って思ってた。

 それなのに、どうして……。


『おい、こいつ吐いてるぜ! きったねぇ~!』


 一人の男子生徒が、彼女を指さしてそう嘲笑った。

 周囲も笑う。その中でボクだけが、ヒドイ頭痛に苛まれていた。

 助けなければ、と思った。それでも手が、足が、全然動かないのだ。彼女を助けたら、次は自分がその標的になる。そう、分かっていたから。


『なんだぁ? アイツ、今日も学校サボりかよ。つまんねぇ』


 翌日から、彼女は学校に来なくなった。

 理由は分かり切っている。それなのに誰も、彼女の心配はしなかった。

 それどころか、休んでいることさえも笑っていたのだ。ボクはそれが許せなくなって、いよいよ感情を爆発させた。


 周囲のボクを見る目が変わった。

 ボクは、一人になった。


 でもそれで、ようやく彼女の気持ちが分かったのだ。

 だから――。



『ねぇ、少し話がしたいんだ』

『………………』



 電話をかけた。

 彼女は黙ったままで、ボクだけが必死に話していた。

 世間話に、互いの共通の趣味の話に、それに部活でのこととかを。でも、



『杉本は、どうして助けてくれなかったの……?』



 その一言で、背筋が凍った。

 通話は切られて、そこからは沈黙がボクを包む。

 思い出したくない記憶。それはもう、忘れたと思い込んでいたものだった。





 






 エヴィはボクに訊ねて、小首を傾げている。

 たしかにいくら日本の治安が良いといっても、高校生が一人暮らしだなんて滅多にある話ではない。さらに言えば、ボクは部活の特待生でもなければ、成績だって中の上が良いところだった。

 だとすれば、疑問に思われても仕方がない。



「そう、だね……ははは、なんでだろう」



 乾いた笑いが漏れた。

 誤魔化すにしては、まるで出来の良くないそれだ。

 エヴィもボクの変化に勘付いたらしい。髪を乾かし終えて、ゆっくりとこちらへとやってきた。そして、



「どう、したの? 杉本くん」

「どうもしてないよ」



 そう、静かに訊いてくる。

 ボクは最大限、気丈に返した。でも、



「嘘です」

「……え?」

「杉本くん、嘘をついています」



 エヴィはボクの前に正座して、心配そうな表情を浮かべる。

 そして、こう言うのだった。



「だって、杉本くん。いまにも泣き出しそうで……」



 それは、憐れみだったのだろうか。

 それとも友人として抱く、哀しみだったのだろうか。

 ただ、いまのボクにとってはどちらも辛い。唇を噛むしかできなかった。




「あぁ、ごめんね。エヴィに、心配かけて」

「いいんです! そんな!」




 絞り出した声に彼女は首を左右に振った。

 互いに沈黙し、ただただ時間が過ぎていく。それは、ずっと続くようにさえ思われた時間でもあった。

 雷が鳴り響く。

 外では、依然として大粒の雨が降っているようだった。



「あの、杉本くん……?」

「……なに? エヴィ」



 そんなことを思った時だ。

 エヴィが意を決したように、こう語り掛けてきたのは。



「私は杉本くんに、とても感謝しています」

「え……?」



 そして、もっと驚いたのはその後だった。



「だから、少しでも良いから力になりたいんです」

「え、ま……ちょっと待って、エヴィ!?」

「待ちません!」



 温もりに包まれる。

 ボクはいつの間にか、エヴィに優しく抱きしめられていたのだ。

 思わず逃げ出そうとするこちらを、彼女は逃がさない。より強く抱きしめて、やがて優しく背中を軽く叩くのだった。

 それはまるで、子供をあやすかのように。



「杉本くんは、優しいです。私が一人でいるのを見て、誰よりも傍にいようとしてくれました。そんな貴方が、私には眩しかったのです」

「……………………」

「ですから、もしもいま貴方が苦しんでいるなら。その苦しみを、分けてはくれませんか?」

「エヴィ……?」

「だって、ズルいじゃないですか。私ばかり、貰ってばかりなんて」



 ボクが小さく名を口にすると、彼女は本当に優しく微笑んだ。

 そして、最後にこう言うのだった。



「大丈夫ですよ。私と杉本くんは、友達、なのですから」――と。






 その言葉を聞いて、ボクは心を決めた。

 彼女にならすべてを話そう、と。



 これは、雨の夜。

 ボクとエヴィが互いの秘密を共有した時の話だ。



 





 

――――


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