6.ミュラー家での昔話。







「え、っとー……?」

「あらあら、そんなに緊張しないでね。エヴィの彼氏さん」

「ママ!? 杉本くんは彼氏じゃないよ!?」



 ミュラー家のリビングまで通されて、羽の上に乗っているかのようなソファーに腰かけて。出されたコーヒーを震える手で飲みながら、ボクは思考停止していた。

 エヴィと彼女の母――オリビアさんが、嬉々として何か話している。

 しかし、それも別世界のなにかのように思えてしまった。


 状況を整理しよう。

 こういう時は、まず素数を数えるんだ。

 えーっと……1、2、3、4……ってあれ、なにか変だな。



「それにしたって、エヴィがお友達を連れてくるなんて初めてでしょ?」

「そうだけど! だからこそ、そういう関係じゃないんだよぉ!!」

「あらあら~? ずいぶんと、顔が真っ赤じゃないの」

「もう、ママなんて大嫌いっ!!」



 さて、気付けば何やら口喧嘩になっている様子だった。

 だがしかし、すぐにそれも収まって。子供のように頬を膨らしたエヴィは、スッと立ち上がってリビングから出て行こうとする。



「あら、どうしたのエヴィ?」

「うー! お花を摘みに行くの!」



 オリビアさんが訊くと、彼女はツンとした口調でそう言った。

 そして、やや乱暴にドアが閉められる。結果的にボクと、彼女のお母様だけが残される形となった。娘が部屋を離れたのを確かめてから、



「あらら。少し、茶化しすぎたかしら?」



 オリビアさんは、しみじみと言うのだった。



「それにしても、あの子に友達ができるなんて。本当に嬉しい」――と。



 それを聞いて、ボクは思わずこう訊ねていた。



「あの……! 少し、教えていただきたいのですけど――」



 緊張で唇が渇くのを感じる。

 それでも、確かめなければならないように思えた。だから、



「エヴィ……さんに、ドイツでなにかあったんですか?」

「………………」



 ボクが帰路で抱いた疑問を口にする。

 そうすると、オリビアさんは小さく息をついてから言った。



「えーっと。日本だとこういう場合は、こう言うのよね? ――『キミのような勘の良いガキは嫌いだよ』って」

「言わないですね」

「あら……?」



 ボクの指摘に、首を傾げるエヴィ母。

 どうやら娘さんの影響で日本にかんして、間違った知識があるらしい。しかしながら、いまはそれを掘り下げている場合ではなかった。

 こちらの真剣な表情に気付いたのか、オリビアさんは咳払いを一つ。

 改めて、こう語り始めた。



「エヴィはね、とても引っ込み思案だったの」――と。



 そして、ゆっくりと立ち上がり。

 彼女は本棚から一冊のアルバムを取り出して、こちらに手渡した。

 頷きで促されたので、それのページを開くとそこにいたのは――。



「これ、エヴィ……ですか?」

「そうよ。いまよりも、ブスーってしてるでしょ?」

「え、えぇ……」



 ――大きなメガネをかけた幼いエヴィ。

 仏頂面、といえば良いのだろうか。表に出ることを拒む性格だったようで、彼女は常に誰かの陰に隠れていた。

 そのページを見ながら、オリビアさんは懐かしそうに言う。



「本当に昔から臆病で、人の顔色ばかりうかがってたわ。親戚の前でも、ずっと私や旦那の後ろに隠れて出てこようとしなかったの」

「そう、なんですか……?」



 今のように、陽キャグループの中心でいるエヴィとは正反対だ。

 そう考えたところで、ボクはそれが誤解だと気付く。


 ――あぁ、そっか。

 きっと今も昔も、エヴィはエヴィのままなんだ。

 周囲にヲタク趣味を告白できないで、ずっと抱え込んでいるのだから。



「それに元々、あまり目が良くなくてね? いまはコンタクトだけど」

「……………………」



 ボクはそれに気付いてから、黙ってしまった。

 それをどう受け取ったのか分からない。


 オリビアさんは、ボクの顔をちらりと確認してからこう言ったのだ。




「それで、あの子は……いじめに遭ったの」――と。




 ボクはそれに、耳を疑う。



「え……?」




 予想だにしない言葉だったからか。

 ボクの思考は、しばらくそこで止まってしまっていた。



 



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