第15話

「……良かった」

「当たり前じゃん、あれだけ匂わせといて今さら何緊張してんのよ」

「いや、プロポーズする側は緊張するものなんだって」


 気持ちは分からないではない。どんなに関係がうまく行っているように感じていても、それはあくまで自分の立場からの見え方にすぎず、相手がどう考えているかなんて分からないものだ。冗談めかして笑ってしまったが、私に智輝を笑う資格は本来ない。

 私たちはディナーの続きを楽しんだ。メインディッシュには魚料理を選んだ。ひとつひとつは大変上品なサイズで、もっと食べたいと思わせつつも、デザートが出る頃にはほぼ満腹。甘いもの担当の春子を召喚したい気分になったものの、なんとか完食する。食の細い智輝も、かなり腹一杯になった様子だった。総じて満足度は高く、忘れられないクリスマスディナーとなりそうだ。


「美味しかったね。……このあと、この辺ぶらぶらしてから帰りますか」


 レストランを出てしばらく歩くと、並木道がある。街路樹が一本一本ライトアップされている。


「なんとなく気づいたんだけどさ、ここ最近、青の照明が人気だよね」

「たしかに。……クリスマスと言えば、赤とか緑だったのにいつの間に」

「青色LEDがノーベル賞を受賞して以来かな?」


 クリアな碧はひんやりとしていて、冷たい空気によくマッチしている気がする。


「夜になって、仕事や勉強で疲れ目になってくるとさ、なんだかイルミネーションがいい感じに滲んで、きれいに見えるよねえ」


 智輝がしみじみとそう言った。彼も、私の見ていないところで頑張っているんだよな、と改めて感じる。下まつ毛が長い彼の瞳を見つめた。寒さでほんのり目の下が赤くなっていた。


「こんなこと、許されるのだろうか」


 ふと、そんな言葉が口をついて出た。


「何が?」

「幸せが渋滞している気がする。……ありきたりな、何の根拠もない不安だけどさ、ここまで良いこと続きだと、そろそろ絶対なんかやべえことが起きる気がするよね」


 仕事仲間には恵まれている。頭の固い教頭や、腰の重い先輩教師は居ないでもないが、なんやかんや皆人間味がある。特に、若手会のメンバーには、本当によく助けられている。

 さらにこの冬、春子と再会した。同居生活は面倒なこともあるが、かつて分かり合えなかった友人の新たな一面を知ることができ、学生時代の後悔を少しずつ取り返すことができている気がする。

 そして、智輝との関係は、恋人でない期間を含めると既に十年近い。青春時代の大半を共に過ごした彼と、もうすぐ私は結婚をする。

 人間関係に恵まれ過ぎているのだ。


「縁起でもない。……せっかく幸せなら、素直に幸せだなって思っておかないと損だよ」


 智輝はほんの少し困ったような顔で、微笑んだ。


「そうだよね。結婚してる人なんて、普通にそれなりに居るしね。大袈裟か」

「……大丈夫だよ」


 そう言って智輝は私の手を握った。


「美雨は、幸せになれる人なんだよ」


 残念ながら、智輝の勘はいつもそこまであてにならないけれど、彼がそう願ってくれるのであれば、私はその期待に応えてあげたいな、と思うのだった。







「じゃあ、年明けに親御さんたちと会うってことで、話を通しておいてもらえるかな」

「了解」

「特に問題なさそうだったら、その足で指輪でも見に行こうか。そうだ、一緒に住む家……」

「ごめん、それはちょっと待って」


 ワクワクとした様子でスケジュールを語る智輝を、慌てて制した。


「え?」

「ごめん。一緒に住むのだけは、もう少し待ってくれないかな」

「そうなの?」


 なんだか悲しそうな顔で私のことを見つめる。


「マジでごめん。引っ越すのが億劫とか、人と一緒に住むのが嫌だとか、そういう話じゃないからね? ちょっとここ最近、マジで仕事が忙しくなりそうで、住環境を変えたくないっていうか」

「分かった。いつ頃なら大丈夫か、分かる?」

「えっと……」


 春子の再就職はいつなんだ? 事情が事情だけに、あまり就活については急かせないようにしているものの、半年とか一年とかになってくると、さすがにちょっと困ってしまう。


「……ごめん。生徒次第、みたいな部分もあるし、はっきりとは言えない」

「そうか。大丈夫、特に焦っているわけではないから、美雨は自分のペースでお仕事頑張って」


 智輝は少しだけ残念そうな様子を滲ませながら微笑んだ。


 帰宅する頃には、日付を越える直前だった。


「おかえり、どうだった」

「うん、楽しかった」

「それだけ? ……イルミネーションとか見たの」

「もちろん」


 春子の顔を見るだけで、罪悪感が押し寄せる。つい最近まで、春子との同居が終わらなければ良いとすら思っていたじゃないか。それなのに、智輝にプロポーズされた瞬間に彼女のことを邪魔に思うだなんて、人道的にどうかしている。


「智輝くん、元気にしてるの?」

「……うん、とても」

「大学、法学部だったよね。どこに就職したの」

「えっと、院に行ったから……まだ、見習い期間、みたいな」

「そう」


 ロースクールに通った後、司法修習生をやっていると答えなかったのは、智輝がハイスペックだと思われたくなかったから。春子はそれ以上、あまり興味を示さなかった。


「……えっとね」

「ん?」

「いや、なんでもない」


 私は迷った末、春子に智輝との結婚のことを話すのはやめた。自殺未遂まで追い詰められてからさほど日が経っていない女に、自分の幸せな姿を見せつけるのはなんだかイケていない。それに、報告には順番がある。――両親や、職場の上司すら知らないことを、春子に知らせるのは礼儀に反している気がした。そもそも、こうして偶然再会することがなければ、結婚の報告なんてしないような仲だったはずだった。結婚の件は、いつかはバレる。しかし、今ではない。






 それから無事に冬休みに入り、私と春子はお互いの実家に帰省した。その際に、両親には智輝との結婚の予定を伝え、無事に顔合わせの日程を取り付けた。高校時代までは、娘が恋愛をすること――それどころか、お洒落をすることすらあんなに毛嫌いしていたはずの両親が、智輝との結婚を喜んでくれたことに、とてもホッとした。

 帰省の間、春子ともちょくちょく連絡を取り合った。明けましておめでとう、とか、正月のテレビ番組とか、雑煮の餅の形は何派か、とか、そういうどうでもいい話題。母親が関西地方出身の春子は、丸餅に白味噌の味付けが主流らしい。我が家では角餅にすましの味付け(智輝も同様)。人様の家で変わったレシピの雑煮を食べるのが夢だ、という話をしたら、呆れられてしまった。

 社会人になってから、冬休みが過ぎるのがとても早く感じる。ただのんびりしているだけではなんだかもったいないな、と感じ、なんとなく大学以来久しぶりに髪の毛を染めに行った。八トーンのオリーブアッシュ、地毛よりは少し柔らかく見える髪色に、心が弾む。智輝に気に入ってもらえるといいな。春子にはなんて言われるだろう。牧野先生には気づかれたいけど、教頭には気づかれない方がいいな。そんなことを考えながら、私は人生で最高の年末年始を過ごしたのだった。



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