第6話
※ ※ ※
放課後、私は江本先生に呼び出された。
「ちょっと、原田先生」
メールをBCCで共有されたお陰で、事情を知っている牧野先生が、頑張れ~とでもいうような顔で送り出してくれる。
「メールの件、読みました」
「すみません、ありがとうございます。何せ私もうっかり噛んでしまった身ですから、なにかとお申し付け――」
「そもそも誰がこの相談を?」
「A組の
「そう。どうして、担任の私ではなく、原田先生に?」
お、面倒くさいお気持ち質問来たぞ。ベテランで、優秀で、生徒との信頼関係を築くことのできている私を差し置いて、なんの関係もないひよっこ教師のあんたにどうして? ってやつ。正直、そのお怒りのテンションは私ではなく生徒に向けるべきものだとは思うが、この際致し方ない。
「やはり、普段から関わりが深くて、皆のことを大切に思っている先生を悲しませたくないんじゃないですかねえ。それよりは、第三者っぽい教師の方が気楽だったのかも。はっきりとは言いませんでしたけれど、東さんの態度を見るにそんな感じかなって思いました。推測ですけどね」
江本先生を少しだけ持ち上げるような発言で、機嫌をうかがう。江本先生は分かりやすい性格をしている。これは、私が学生時代から英語教師として働いていたその姿を見ていても分かることだった――その証拠に、彼女の勢いは少々緩んだ。
「まあ、そういうことなら仕方ないですけど。それはそれとして、これって東さん一人から聞いた話ですよね」
「そうですね、相談してきたのは彼女だけです」
「それなら分からないじゃない、本当にいじめがあるのかどうか。――ほら、例えば東さんが誰かとケンカをしていて、その子たちを陥れたいとか」
「ああ。でも、一部の被害については私も見ているわけですし」
「そんなの、思い過ごしよ。あなたたちだって、学生時代よくやってたでしょう、私の英語の授業でわざと寝る、とか」
正直、江本先生の授業は寝ていた。単純に眠くなるのはそう、そして、教科書を音読するだけの意味のない授業であったのもそう。
「あのくらいの年齢の子によくあることなのよ、授業妨害って」
「東さんの相談内容と照らし合わせれば、本当にいじめの一端かもしれないと疑うのは自然かと思うのですが……」
江本先生は大袈裟にため息をついた。
「あなた、自分の授業が未熟だから生徒に聞いてもらえないのを、生徒に責任転嫁してない?」
「そんなつもりはないです。他の学年の生徒は問題なく聞いていますし、中三A組の生徒さんだって、普段はちゃんとしているんです」
「じゃあ何? 私のクラスに本当にいじめがあるっていうの?」
その旨記載したメールを送ったのですが、お読みになられてないのですか? ……と言うのは、さすがに憚られた。
「学生が複数人集まれば、当然争いが起きることはあり得ます。それが、大人の預かり知らぬところでいじめに発展することはよくあると、研修でも習いました。いじめが起こるのは当然だけれど、それを見過ごさないべきだっていうのが、常識じゃないですか」
「そりゃあもちろん、いじめが本当にあるのなら、それは見過ごさないべきよ。……でも原田先生。この歴史ある名門校で、本当にそんなことがあると思っているの?」
鼻で笑いながらそう言うけれど、正直こっちが鼻で笑ってやりたいよ。歴史ある名門校は、こっち側の事情。いじめを行っているのは、人生一回目、たった十五年しか生きていない、愚かな女の子たち。
「……あなたたち、何を」
「教頭先生。読まれました? 原田先生からのメール」
江本先生が媚びるような目付きで、教頭の佐伯先生にすり寄る。
「ええ。――原田先生、まずあの話は本当なんですね」
「はい」
佐伯先生は、穏やかな顔で微笑む。
「ご報告ありがとうございました。でも、江本先生のおっしゃることもまた確かです。生徒は、時として私たちには思いもよらないような事情を抱えていることがあります。東さんが嘘をついていたとしたら? それであなたが東さんの言うことを頭ごなしに信じて、中條さんたちの運命を変えてしまったとしたら責任はとれる? ……それに学生同士って、たまにキツいものの言い方をすることがあるじゃないですか。そうね、私よく覚えてますよ。あなたと春子さん――永野春子さんは、仲の良い友人同士だと言っていましたけれど、原田先生、当時かなり厳しいことを春子さんに言っていましたよね」
こういうときに、OGはやりにくい。未熟な学生時代を取り上げられ、さも「お前にはものを言う資格はない」と言わんばかりの態度である。そうだ、佐伯教頭は私たちが高二のときの担任、春子へのいじめを見て見ぬふりをした張本人だった。
「それはそうかもしれないですけれど……でもとにかく、『これはいじめです』って明確に相談を受けているのにもかかわらず、放置ってまずくないですか? もちろん私だって思い過ごしだって信じたいですけれど、万が一、対応が遅れたせいで自慢の母校がニュース沙汰になるとか、私は嫌ですよ」
教頭は、「歴史ある」「名門」「誇るべき」という言葉に弱いことをよく知っている。
「……では、こうしたらいかがかしら。原田先生が相談を受けたのだから、基本的に原田先生が対応する」
「教頭先生、原田先生はまだ三年目ですよ? それに中三のことだって知らないし――」
「まずは原田先生。東さんの相談内容が本当であるのかどうか、証拠集めをしてくれるかしら。事実確認は大事よ」
いじめや嫌がらせは、教師の見えないところで行われる。そのことを教頭はよく分かっており、どうせ私がそんな証拠を集められないと思っている。
「分かりました。嫌がらせの証拠があれば、対応していただけるということですね」
「よろしくね」
教頭は取り繕った笑顔を向ける。
「いやあ、あのメールはビックリしたわ。なんとなく気づいてたけど、原田ちゃんって結構好戦的よね。あんなん書いたらアカンよ、と言いたいところだけど、正直応援したくなってる自分がいる」
「アカンポイント、ありました? あのメール」
緊急(?)で開かれた若手会、場所は夜九時の物理実験室。集まったのは二年目の牧野先生(雑用による残業後)と、四年目の竹下先生(見回り担当)と私(いじめの証拠探し)。一年目の三島先生は、自己研鑽日だ。お酒は無し、ひそひそ声で語り合う。
竹下先生は、私のことを攻撃的なやべえやつだと思っているようだ。
「いじめ相談ですって言い切ってしまうところと、あの淡々とした文面ね。俺だったら、あくまで『生徒はいじめだと言っているようですが、
実際のところは不明です』っていうスタンスで報告しちゃうんかなあ」
「ああ、あれは正直、むしろ自己保身のためですよ」
私は自分の考えを話す。
「実際、生徒は『いじめがありまして』って相談してきているんです。そうすると今、私がその『いじめ爆弾』を抱えている訳じゃないですか」
「いじめ爆弾」
「いじめ問題に対する責任、ってところでしょうか。そんなものは、できることならさっさと手放してしまいたいです。だから、本来の担当である江本先生に、明確にいじめがあります、と伝えました。これで、万が一親御さんや外部から追及されたときに、『私は見て見ぬふりなんてしていません』っていう客観的証拠が残ります」
「なるほど。確かに万が一のことを考えた保身ってのも、考えた方がいいんだろうな。……それにしても予想以上に教頭たちからの風当たりが強いねぇ」
「もしかして学生時代かなりやんちゃしてました? なんか、江本先生と教頭は、原田先生に個人的な恨み辛みがありそう」
牧野先生がニヤニヤしながら私のことを見る。
「江本先生の英語の授業は、毎回最初から最後まで寝てた。そのことを当時担任だった佐伯先生に報告されて、叱られた経験はある」
「やんちゃというより、目立った悪いこともしない代わりに勉強もしない子じゃないですか」
「ははっ。これじゃあ私自身が江本先生みたいだ」
「江本先生?」
「……こっちの話」
後輩の前で、あまり先輩教師の悪口は言わない方がいい気がしている。それはそれとして、私は佐伯教頭の言った言葉が忘れられずにいた。春子に、相当厳しいことを言っていた。やはり、第三者の目線で見ても、私は彼女に辛く当たっていたのだ。
「でも、昔の友人関係を掘り返してゆすろうとするなんて、教頭もセンスなーい」
「ダメダメ、そんなこと言っちゃあ」
牧野先生の毒舌が炸裂する。おっしゃるとおり、センスもなければとても幼稚だと感じる。しかし、それを言うなら私も私だ。高校時代の無念を今さら仕事で晴らそうなんて、子どもじみている。――こんな教師には絶対になりたくない。学生の頃、まるで生徒と友人のように接する教師――いわゆる「友だち先生」の姿を見て、そう思っていた。自分の学生時代を、現在学生をやっている子どもたちに投影してはいけない。
春子が先に帰宅していた。
「ただいま」
やはり返事がない。キッチンから音が聞こえたので、そっちの方へと歩いていくと、春子が真新しいエプロンをつけて料理をしていた。
「た・だ・い・ま!」
「ああ、おかえり」
鍋を注視していた春子が、顔を上げた。どんだけ集中して料理してるんだよ。珍しく、艶やかなロングヘアーを後ろで縛っていた。そのため、彼女の顔の輪郭が珍しく露になっている。
春子はかなり可愛らしい顔をしている、と思う。隅々まで手入れの行き届いた髪。一重だけれど、決して小さくはなく、黒目がちな瞳、小ぶりな鼻に、血色の良い唇。ゴージャスなわけではないものの、全体的に上品な目鼻立ち。大人っぽい印象を抱くのは、長く美しい弧を描いた眉のせいか、パーツの配置のせいか。そんな彼女は、高校時代からなぜか自分の見た目にコンプレックスを抱いていた。痩せているはずなのに顔が丸く見えるだとか、実年齢より年上に見える、とか。だから彼女が他人の前でポニーテールにすることは珍しい。
「なに作ってるの」
「ビーフストロガノフ」
「ああ、あのムズいって有名なやつ」
「そうでもないけど……」
春子は首を傾げた。ビーフストロガノフは難しい、これって料理界の常識のような気がするけれど。
「いや、申し訳ないね。春子も今日は仕事初日だったでしょうに」
「料理は好きだから」
春子は非常に家庭的な女性なのである。学生時代から、確かに彼女は料理が好きだった。たまに、クッキーやお菓子を焼いて、こっそり学校に持って来ては私と一緒に食べたし、週末はよくご飯を作ったと報告があったりもした。当時、彼女の家に遊びに行ったことは無かったが、なんらかの機会に彼女の部屋を写した写真を見る機会があって、よく片付いているな、という印象を持った。そして、これは高校生当時から度々聞かされていたことだったのだが、彼女の本当の将来の夢は、「素敵なお母さん」だった。
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