反応

「おはようございます」

「おお、三崎くんおはようー。

 …………って……え?」


 そんなざわざわと落ち着かない週末が開けた、月曜の朝。

 始業前の設計部門のフロアは、まだ社員の姿もまばらだ。


 デスクの前に立った俺の挨拶に顔を上げた藤木設計部長は、驚きに一瞬ぐっと固まった。

 すでに出勤してきている社員も、俄かに小さくざわつき始める。


 俺は、今日は薄手のサマーセーターとカーディガン、柔らかな生地のパンツというスタイルだ。

 そして、俺の横にはいつもの完璧なスーツ姿の神岡が、複雑に緊張した面持ちで控えている。


「……ど、どうしたの三崎くん……?

 副社長もご一緒に……?

 あっ、もしかして何かうちの部門に問題でも……というか三崎くんが何か!?」

 藤木は、一気に混乱した思考をまとめきれないままわたわたと慌てる。


「藤木部長。

 実は今日、僕と三崎くんからご報告したい重要な件がありまして……そのために、彼と一緒にここへ来ました。

 もし不都合がなければ、これからミーティングルームで少しお話しできたらと思うのですが」


「え……はっはいそれはもちろん! こちらへどうぞ」


 藤木は、いったい何の報告か見当もつかない不安げな顔で、俺たちの先に立ちミーティングルームのドアを開けた。









「部長。

 俺、今妊娠しています。……双子の子を。

 6ヶ月目に入ってます。

 ——神岡副社長と、俺の子です」


 ミーティングルームの席に着くなり、俺は口を開いた。


 ここまで来たら、前置きも何も面倒である。

 俺は、今日話さなければならない最重要な部分を包み隠さず藤木に伝えた。


「————……」


 藤木は、文字通り固まった。

 今聞いた情報をなんとか処理すべく、30秒ほど顔をがっちりとこわばらせた。


「——うん、三崎くん。

 一応わかった。

 だが……

 もう一度、確認していい?


 君は……今、妊娠中なんだね……双子の赤ちゃんを?

 それで……その子たちの父親が副社長……

 そういうことで、間違いないかな?」


「はい、間違いありません。

 ——俺も男なんで、両方父親ですけど」


「……」


 どうしても理解の追いつかないようにふにゃりと微笑んだままの藤木の様子に、神岡が静かに説明を始めた。


「三崎くんは、僕のパートナーです。

 僕たちの関係を、これまで隠してきたわけではなく——こういう形でオープンにするきっかけが、これまでなかった……というのが実際のところです。


 体調不良をきっかけに病院で精密検査を受けたところ、彼は体内に女性の機能を併せ持っていることと、その機能が正常に働いていることがわかり……僕たちは、新しい命を迎えたいと強く望みました。

 それが、今目の前にあるこの状況です。

 前例のないケースだと、医師からも驚かれましたが——大切な人との子供を望むことは、ごく自然な流れだと僕たちは思っています」


「……ああ……

 なるほど……

 そういうことだったのですか……」


 神岡の冷静な言葉をじっと受け止め、藤木は動揺を拭い去ることはできないながらも真剣な表情で頷いた。

 そして、少しの間、深く何かを考えるように俺へ視線を向ける。


「——三崎くん。

 そういえば君……少し前に、ひどく顔色が悪かったり、怠そうにしていた時期があったね。

 どうしたのかと、少し心配だったんだ。

 今思えば、あれはつわりだったのかな?」


「あ、はい……かなりひどくて……」

 どういう言葉を浴びせられるかと、俺はしどろもどろに小さくそう答える。


「——そういうことは、我慢せずに相談してくれたらよかったのに」


「……」


「うちの妻も、妊娠中つわりがひどくてね。

 妊娠ってこんなにも大変なものなんだと、改めて思ったんだ。……そういう大仕事をやってのける女性というものは、本当にすごい、と。


 私には、新しい命を宿したいと思った君の気持ちが、分かるよ。

 妻の妊娠や出産を目の当たりにして、男にもこんなすごい仕事ができたら……なんて、私もちょっとだけ考えたことがあったから。

 ——むしろ、君が少し羨ましいくらいだ」


 藤木は、どぎまぎと複雑な顔になる俺を優しい眼差しで見つめ、そう微笑んだ。


「藤木部長。

 こんな風に理解を示してもらえて……嬉しいです。

 今のあなたの言葉に、僕も三崎くんも、どれだけ救われたか……」


 藤木の反応を驚いたように受け止め——やがて神岡は、緊張がひとつ解けたように微笑んだ。


「救われるなんて、そんな風には仰らないでください。

 今日、お二人で私にこの件を報告にいらっしゃったいうことは……このことを、社内全体に報告されるつもりでいる、ということですね?

 とんでもなく驚いてはおりますが——私は、副社長と三崎くんを心から応援します。


 ……ただ、全ての人間がそう思うかどうかは……」


 藤木はそこで視線を少し伏せ、そう呟く。


「そのことは、副社長とも話しました。

 きっと、いろいろな反応や意見がある。それは間違いないと思います。

 でも、ここを避けていては、結局この先の道が全て閉ざされてしまう。そのことに気づいたんです。

 それに、自分達の選んだ物に自信が持てずにこそこそ逃げ隠れるような真似は、何より自分達が一番惨めです。

 ならばいっそ胸を張って、全社員に報告したい。

 ですから……女子社員が妊娠した時と全く同じように、部長も通常通りの手続きを進めていただけたらと思います」


「このことは、社長へはすでに報告済みですので——僕からも、どうかよろしくお願いします」


 細やかに気遣ってくれる藤木へ、俺達はそう深く頭を下げた。


「わかりました。

 そういうことでしたら……今朝のミーティングで、三崎くんの妊娠を部門メンバーに私から伝えます。今後は部門全体で三崎くんの体調に配慮していきますので、副社長もご安心ください。

 通常の手続きと同様、総務の方へも今お聞きしたことを詳しく報告します。

 三崎くん。体調が思わしくない時は、何でも私に言って欲しい。絶対に無理はしちゃだめだからね。

 ——実際のところ、私個人としては君の順調な妊娠や出産がもう楽しみでたまらないよ」


 これから、俺たちのことが、この部屋から社内全体へ広がっていく。

 何とも言いようのないその不安感を、藤木の温かい笑顔が少しだけ和らげてくれた。









 その日は、一日中なんとも落ち着かない気持ちで過ごした。


 俺と神岡がパートナーという関係であること。

 そして、俺が現在彼との子を妊娠中であること。

 朝のミーティングで、部門メンバーはもう既に詳細を知っている。

 藤木の報告により、このことは他の部門の社員へも一気に広まるだろう。


 休憩室や廊下で部門メンバーと顔を合わせる度に、「おめでとうございます」と笑顔で祝いの言葉をかけられる。

「ってことは、これからしばらくスーツは着られませんね。でも、そういうラフなスタイルも新鮮ですよねー」

「双子って、普通の妊娠よりも大変ってよく聞きますから。いろいろ本当に気をつけてくださいね」

「ありがとうございます」


 心から、そう言ってくれる人。

 そうでもない人。


 ……笑顔を向けながら、陰ではどうなのかわからない人。

 離れてから、ひそひそと何か囁き合うような気配を漂わせる人。


 ——自分のいない場所では……

 一体、どんな言葉が飛び交っているのだろう——?


 暗く冷ややかなそんな思いが、むくむくと心を占領しそうになる。

 その息苦しさに、気づけば何度も小さなため息が漏れる。


 ……駄目だ。

 それを考え出しては、きりがない。

 そういう底の知れない沼に思考を引っ張り込まれてはいけない。


 他人は他人。

 自分は自分なのだ。


 忘れるな。

 自分の選んだものに、自信を持て。胸を張れ。


 心の中で、何度もそう繰り返す。

 大きく一つ息を吸い込むと、ぐっと仕事に向き合った。


 ——そんな心の呟きでは振り払えない激しい敵意が、やがて自分に向けて襲いかかってくることを、この時の俺はまだ知らなかった。



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