第2話 兄貴が風邪ひいたのでパシられる その1


「げほっげほっ......」


「兄貴、なんか欲しいもんあるか?」


「別に......」


冷えたタオルを額に乗せ寝込む優梨。所謂夏風邪である。


カーテンを開けると、窓から太陽の光が差し込む。優梨が眩しそうにしているのを見て「ああすまん」と謝り、すかさずカーテンを閉めた。


時計はおよそ8時半を指しており、近所の小学校からかすかにチャイムの音が聞こえてくる。


「てかお前、学校行かなくていいのかよ....」


「今日は休む。俺が行ったら兄貴ひとりになっちまうだろ?」


あいにく、2人の親は旅行で明日まで帰ってこない。それ故今日は自分一人だけで看病するしかないと優人は考えていた。


「お粥作ってきてやるから、安静にしてろよ」


そう言って部屋を出て行く優人。優梨は布団に顔を埋めた。


「なんでそんな優しくすんだよ.....」


小さな声でそっと呟いた。


静かな部屋にカチッ、カチッ、と秒針の音が響く。しかしそれを掻き消すかのように胸の鼓動が大きく早く脈打っている。ドクンドクンと、煩いくらいに....


(くそ、顔が熱い....)


燃え上がるような熱が身体を伝う。

優梨は、ひどい病熱に苛まれていた。



一方その頃優人は、不器用ながらも優梨に食べさせるお粥を一生懸命作っていた。


(おっと....!)


手を滑らせて危うく指を切りそうになるが、気合でなんとか野菜を切り終える。


ひと段落ついて(俺ってやっぱ世話焼きなんだな..........)などと感慨に浸っていると、鍋のお湯が沸騰し始めた。


そこでハッと気がつく。


(って、なんで俺こんな時まで兄貴にパシられてんだよ。立場を分からせてやるチャンスだろうが)


つい昨日まで使いっ走りの立場にうんざりしていた筈なのに、いつのまにか自分から優梨の世話をしていることに気がついた。


人の弱っている姿を見ると放っておけなくなるが彼の性だった。


(俺はまた余計なことを。あん時と同じじゃねえか...)


優人自身も気がついていた。その人助け根性が10年前のあの時から一切変わっていないことに....。


◇◆◇


「zzz.....」


優梨は夢を見ていた。それは昔の記憶だった。


「こいつ、男なのに女の格好してるぜ」


「きもちわり〜」


優梨が女装し始めたのは、小学2年生の頃。髪を伸ばし女の子らしい服装で学校に通ったが、当時は周囲に受け入れてもらえず、男子生徒たちも優梨の女装をからかって遊んでいた。


今思えば気に入った対象についちょっかいを出してしまう的な小学生男子特有の可愛らしい心理だったのかもしれないが、それでも優梨の敏感な心には深い傷をつけた。


そうやって優梨はずっと、傷を抱えたまま苦悩してきた。


しかしある事をきっかけに優梨の心は動かされていく。


それは、いつものようにやんちゃ坊主たちにいじめられていた日のこと。


「お前ほんとにちんこついてる?」


「脱いでみろよ」


男子は人目のつかない場所に優梨を連れ込み、スカートを脱がしてやろうなどとふざけていた。


「いや....!」


「恥ずかしいなら俺らが脱がせてやるよ」


「やめて....!」


なんとか反抗するも、優梨は力が弱く複数人の男子生徒の手を振り解けずにいた。


そんな時だった。


「兄ちゃんに手ェ出すな!」


偶然その場に出会した優人が、上級生である男子生徒たちを強く殴り飛ばしたのだ。


「うぐっ!」


突然の出来事に驚く男子生徒たち。しかし....


「何すんだテメェ!」


ドガッ、と反撃の一撃を食らう。


「やっちまえー」


「次俺にも殴らせろー」


当然複数人に対し1人で挑んでも勝てるわけがなく、結局返り討ちに遭いボコボコにされて帰ってきたのだった。


「優人、立てるか?」


優梨は手を差し伸べた。


よく見てみれば、顔はあざだらけで服もズタボロ。さらには鼻血のおまけ付き。散々である。


しかし痛々しい格好にも関わらず、一切苦痛の表情を浮かべなかった。むしろ笑顔で、差し伸べられた手を取って言った。


「兄ちゃんが無事で良かった」


その一言が、優梨の心を動かした。



——————そう、俺はあの笑顔に絆された。


そのせいで俺は随分と変わってしまった。


それからというもの、優人と顔を合わせる度緊張してまともに話すことすら出来なくなった。俺は普通に会話したいだけなのに、会う度どうしても冷たく接してしまう。


でもあの馬鹿、俺がどれだけ冷たく接してもずっと優しいままだ。文句垂れながらなんだかんだ俺の我儘聞いてくれるし。学校休んでまで俺の看病してくれるし。


もう絶対嫌われてると思ったのに。


馬鹿。ほんと馬鹿。なんで全然俺のこと突き放さないんだよ。


お前が優しすぎるせいで俺は————————





「おーい兄貴、起きろ。お粥できたぞ」


「んえ.....?」


「起こしちゃって悪いけど、早く食べないと冷めちまうからな」


突然呼ばれて目が覚める。ここでやっと、自分が夢を見ていたことに気がついた。


寝ぼけた頭もだんだん覚醒してきて、重たい瞼が少しずつ開いてゆく。


ぼやけた視界がはっきりとしていく。


そこで一瞬、固まった。


「おはよう、兄貴」


至近距離だった。


「きゃあ!」


パチンッ!


乾いた音が響く。優人は驚いた表情をしていた。


「え...?」


「あっ......顔、近かったから....」


「ああ、わり。寝顔見てた」


「.......っ!」


パチンッ!


もう一発食らわせた。


「きも........」


「ご、ごめんて。お粥作ったから食えよ」


そう言うと優人はスプーンを手に取って茶碗の中身を掬った。


「フー、フー、はいあーん」


「えっ⁉︎いや、自分で食えるから!」


「いいから病人は大人しく世話されとけ」


そう言ってスプーンを口に近づける。優梨は仕方なく口を開いた。


「あむ.....」


「どうだ?美味いか?」


「ふ、普通....」


舌が感じたのは優しい味だった。

中には優梨の好きな焼き鮭が細かく刻んで入れてあり、明らかに自分のためを思って作られていることが分かる。


「はいあーん」


「あむ....」


「あーん」


「あむ.....」


一口、また一口と小さく開けられた口に運ばれていく。優梨はいつの間にかその味に夢中になっていた。


お互い無心で口と手を動かしているうちに、茶碗の中身は着々と減ってゆく。やがて優人が「あっ」と言って手を止める。茶碗は空っぽになっていた。


「.....ご馳走様」


「あれ、もういいのか?まだおかわりあるけど」


「もういい」


「もしかして、そんなに美味くなかったか?」


「えっ、いや、そうじゃなくて.......」


優梨は急にあーんが恥ずかしくなってきて遠慮しただけだった。


素直に「美味しかった」と言えないのがもどかしい。


「まあ、俺料理とかわかんねぇしな。悪りぃけど、晩飯も同じでいいか?」


「うん.....」


「分かった。じゃあおやすみ」


そう言って食器を片付ける優人。優梨は再び布団を被って横になった。


優梨の口は、お粥の味を忘れられずにいた。

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俺は兄貴のパシリかよ⁉︎ 犬皮脂 天尾 @Yaju0810

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