最後の晩餐

ハクセキレイ

レトルトカレー

目を覚ますと、窓から明るい光が差し込んでいた。


俊輔は慌てて枕元のスマホを掴む。

今日は十二月二十四日。時刻はなんと昼の十二時を過ぎてしまっている。


そんなのありえない。大遅刻だ。

職場までは歩いて二時間。いつもは朝六時には家を出ているのに。


職場に電話をかけようとしたところで手が止まる。

そうだ、今日は有給取ったんだった。

俊輔は再びベッドに横になる。思わず笑みが漏れる。

有給を取ったのはいつ以来だろうか?思い出せない。


「本当、真面目だねぇ。他の連中みたいに黙って休めばいいのに」


有給の申請をすると、上司は苦笑いを浮かべていた。


「まぁ、同じように出勤してる俺がいうことでもないけどさ」


上司はそう言いながら、有給申請書の承認欄に判を付いた。


もう少し寝ていても良かったが、流石に膀胱が限界を訴えているので、仕方なくベッドから這い出した。

トイレを済ませると、急激に空腹を感じる。


冷蔵庫を開けてみるが、中身はほとんど空っぽだ。残っているのは、いつからあるのかわからない調味料だけ。冷凍庫も探る。保冷剤の山をかき分けるが、何も見当たらない。諦めきれずに探っていると、引き出しの後ろ空間に何か落ちているのが目に入る。カチカチに凍った食パンだった。いつからそこにあったのかはわからない。


まぁ、食べられなくはないだろう。


俊輔はカチカチのパンに賞味期限の切れたマヨネーズをかけてトースターに放り込んだ。


数分で香ばしい匂いが立ち上ってくる。久しぶりにまともな食事だ。昨夜は賞味期限切れのパスタソースを舐めただけだった。あのソースをとっておけばもっと美味しいパンになったのに。


パンが焼けた。焦げ目がついたマヨネーズは熱々で、空っぽの胃に染みる。


パンを齧りながらテレビを付ける。ほとんどの局は試験放送のカラーバーをたれ流すばかり。NHKは報道番組を流しているが、お通夜のように暗い顔をした人たちが小さな声でポツポツ話していて、観ているだけで気が滅入りそうだ。


俊輔はテレビを消して、家を出る準備を始める。トーストはあっという間になくなってしまったが、空腹は根深く胃を刺激してくる。

とりあえず、食料を探してみよう。おそらく望み薄だが、まぁ、ダメで元々だ。


さっとシャワーを浴びて、服を着替える。電気や水道、ガスという最低限のライフラインが途切れていないだけで本当にありがたい。


玄関を出るとゴミの匂いが鼻をつく。収集車が来なくなって、もう二ヶ月は経っただろうか。アパートのごみ収集ボックスは遠の昔に溢れかえっている。気分は悪いが、今日で終わりだと思えば我慢できる。


まずは近所のコンビニに向かうことにする。昨夜仕事終わりに通りがかった時には、まだ電気が付いていた。もしかしたら食料が残っているかもしれない。


コンビニまでは歩いて5分ほど。天気が良く、空気はすっきりと澄んでいて、散策するのにピッタリの気候だ。


アパートを出てすぐの公園には、老若男女が屯していた。皆一様に惚けたような、無気力な顔をして、日向ぼっこをしている。俊輔には彼らの気持ちが手にとるようにわかった。今日という日がこんなに穏やかにやってくるとは誰も思っていなかったのだ。


俊輔が子供の頃に思い描いた世界の終わりは、もっと派手で、絶望的なものだった。そう、ハリウッドのパニック映画のような悲鳴と怒号、絶望と諦観に満ちた、そんな劇的な有り様を示すはずだった。


だが、実際はまるで違っている。街はとても静かで、逃げ惑う車が通りを埋めるような事はないし、スーパーやコンビニを襲う群衆の姿もない。


世界が終わることが判明してから、およそ二年。それは映画のように騒ぎ立てるには、あまりに長い時間だった。二年前、国連の事務総長が会見を行った直後は熱の入った報道が繰り返されていた。陰謀論や希望論が飛び交い、皆その報道に一喜一憂を繰り返していた。だが、半年もすると迫りくる滅亡も当たり前になった。テレビのニュースは淡々とカウントダウンを始め、訳知り顔のコメンテーターが各国政府の対応を褒めたり貶したりするだけになった。


日常は緩やかに衰退していった。ガソリンの価格が高騰した。テレビは昔のドラマの再放送ばかりになり、放送時間が短くなった。夜の11時にはもう試験放送に切り替わる。コンビニやスーパーの品揃えが悪くなった。ここ一ヶ月はほとんど食べ物が手に入らない状態が続いている。


目当てのコンビニにはやはり電気が灯っていた。自動ドアも動く。店の中は静まりかえっている。以前は、途切れなくラジオが流れていたが、今はなんの音もしない。

棚にはほとんどなにも残っていない。あるのはゴミ袋とか、手袋、ノート、ボールペンとか、そんな雑貨ばかり。食料はことごとく消えている。


「もう、食べ物はないねぇ。申し訳ないけど」


レジの向こうに年配の男性が立っていた。話したことはないが、以前からこのコンビニで目にしたことのある人だった。


「今日はあの大通りの向こうにあるスーパーで特売してるらしいから、行ってみたらいいよ」

「入荷の車が来たんですかね?」

「さぁ、どうだろうね。まぁ、噂だからあんまり期待しないでね」


コンビニからスーパーまでは歩いて十分ほど。大した距離じゃない。行ってみても損はないだろう。


「店員さんはスーパーには行かれないんですか?」

「いやぁ、私は……うちは元々酒屋やってたんだけどね、この辺にスーパーが出来てから調子悪くなっちゃって、あれよあれよのうちにコンビニにやるしかなくなっちゃって。知ってる?コンビニって全然儲からないのよ。これなら酒屋やっといた方がよかったかなぁ、なんて。後悔先に立たずって良く言ったもんだよねぇ。だからなんとなくスーパーには近づきたくなくて」


男性は青い制服を引っ張って、フッと笑った。


俊輔は男性にお礼を言ってコンビニを後にした。通りを歩き始めると、少し先の車道に何か大きなものが落ちているのが見えた。近づいて行くと、それはものではなかった。


男だ。

黒い服にジーンズを履いた男性が車道の中央線を跨ぐようにして仰向けになっている。


「ねぇ、今日一日こうしてたら車に轢かれると思います?」


男性が話しかけてきた。まだ若い青年だ。もしかしたら十代かもしれない。眼鏡をかけて髪を短く刈っている。


「さぁ……。ガソリンがリッター五百円を超えてからはほとんど車も走ってないみたいですけど」

「ですよね」

「車が来て欲しいんですか?」

「いやいや、そんな。車が来たら死んじゃうじゃないですか。それは嫌です」


青年は小さな笑い声を漏らして、地面が硬いから背中や腰が痛くてきついんですよねと言った。それ以上、特に言うことは無さそうだ。俊輔はじゃあ、とだけ言って再び歩き始めた。


さらに道を進むと大通りに出る。アスファルトに大きくヒビが入って、隙間から雑草が顔を出している。

片側二車線の道路をゆっくり横断する。

車はもうしばらく見ていない。最初の頃はガソリンスタンドにも長蛇の列ができていた。しかし、それもすぐに終わった。みんなガソリンを満タンにしてから気がつくのだ。地球が終わるのに、一体どこに行けばいいのか、と。


それで結局、誰も彼もがどこにも行けず、あの公園にいた人々のようにぼんやりと腑抜けた表情を浮かべて日々を過ごすようになった。


目当てのスーパーはもう目の前だ。駐車場の向こう、店の入り口の前には段ボールらしき立て看板が置いてある。


『最後の晩餐はこちら』


黒のマジックで書かれていた。ヤケクソのような勢いのある文字だ。


店の中に入る。目の前は青果コーナーだ。棚には大根や白菜と書かれたポップが並んでいる。商品は置かれていない。カサカサに乾いた正体不明の葉っぱや、玉ねぎの皮があるだけだ。

その先は肉や魚の生鮮食品コーナーだが、そこも綺麗さっぱり空っぽだった。微かに痛んだ肉の匂いが残っているだけで、何も置かれていない。そこを曲がると惣菜コーナー。その先は冷凍食品。どこもかしこも空っぽだ。


『最後の晩餐』はどこにあるのだろう。


店内に人の気配はなく、空調のカラカラいう音だけが響いている。

お菓子の置かれていた棚を抜け、即席麺が置かれていた棚の前を通る。その先はもうレジだ。


レジの前に大きなワゴンが置かれている。そこに段ボールの看板がかけてあった。店頭にあったのと同じ文字で、


『最後の晩餐!無料!現品限り!おひとり様一つまで!!』


と書かれている。


周囲を見回すが、人は誰もいない。

ボックスの中にはレトルトのパックが積んである。カレーに親子丼、中華丼、牛丼。


俊輔の腹が鳴る。


パッケージの裏を見ると、賞味期限が半年から数週間前に切れたものばかりだ。


俊輔はワゴンの商品をよく吟味して白いパッケージのバターチキンカレーを手に取った。以前から美味しくてよく食べていた商品だった。牛丼や親子丼にも惹かれるが、これで最後だと思うと、確実に美味しいものを食べたかった。


ただ、やはり最後の晩餐が無料というのはなんだか気が引ける。ズボンのポケットから財布を取り出す。中には千円札が二枚と十円玉が四枚、一円玉が一枚入っている。千円札を一枚取り出して、レジカウンターの上に置く。風に飛ばされるといけないので、十円玉四枚をその上に重ねた。


最後の晩餐は千四十円のカレー。

うん、これでいい。


残念なのはご飯がないということだ。贅沢を言うつもりはないが、ルーだけだとやっぱり格好がつかない。起き抜けに食べたパンを残しておけばよかった。

まぁ、食べ物があるだけマシだと思わないといけないのだろう。

俊輔はレジの後ろを抜け、出口に向かう。


「ちょっと待って」


背後から男性の声がした。


「何を取られました?」


そこには白いシャツにスラックスを履いた男性が立っていた。右手には何か大きな紙袋を持っている。


「カレーですけど、ダメでしたか?」

「いやいや、もちろん持って行って構いません。そのために置いてますし。でも、持って行くのは一個だけ?一個でいいんですか?」

「一人一個までって書いてありましたよね?」

「えぇ、でも、誰も見てないですよ?もっと持っていけばいいじゃないですか?それにお金も置いてらいらっしゃいましたけど、なんでです?無料ですよ?」

「いや、一個で十分です。他の方も来られるかもしれないですし。あと無料というのも気がひけるので、お金を置いてみただけです。今更お金に意味があるとは思えませんけど」


男性は黙って俊輔の顔を見つめる。


「……うん、いいですね!あの、よかったらこれも差し上げます。受け取ってください」

男性は右手に持った紙袋から何かを取り出した。


ご飯パックだった。レンジで温めて食べるご飯だ。俊輔の口の中に一気に涎が噴き出した。


「カレー食べるならご飯もあった方がいいですよね」

「……いや、ありがたいですけど、なぜ?」

「いや、ほら、映画であるじゃないですか。世界が滅びそうになるとスーパーに人が押し寄せて食料やなんかを奪い合うやつ。あれが見たくて」


男は照れ臭そうに頭をかいた。


「だけど、なんか、ほら、みんなの反応が思ってたのと全然違うんで。大人しくて、全然暴徒みたいにならない。それがすごく残念で。それで最後の最後にばっと在庫を出したらどうなるかな、って。しかも無料で。それで『最後の晩餐』フェアをやってみたんです。でもここに来る人、皆やる事がしょぼいんですよ。商品を三つ持って行くとか、そのくらいしかしてくれない。そしたらあなたが来て。もちろん、思ってた反応とは違うんですけど、でもほら、なんか、主人公っぽいじゃないですか。レジにお金置いたり。一人一個って書いてあるのを当たり前に守ったり。いいもの見れたなと思って」

「はぁ」


俊輔は気恥ずかしいような、居た堪れない気分で視線を逸らした。


「あなたを見てたらなんだか少し満足しちゃって。それで、よければ私の気持ちとしてご飯をっていう……」


結局、男性は、こうする方がそれっぽいから、と言ってレトルトとパックご飯をいくつかまとめて渡してくれた。


「あなたなら正しく使ってくれると思うんで。……これも言いたかったんです」


俊輔は右手にパンパンに膨れたビニール袋を持ってスーパーを出た。


俊輔はどっと疲れを感じていた。あの店員の言っていたことは半分も理解できなかった。だが、とりあえず食料は確保できた。カレーとご飯。完璧な最後の晩餐だ。


スーパーを出て大通りを渡り、少し進むと、例の車道に横たわる青年がいた。相変わらず仰向けになって空を見上げている。


「まだ生きてますよ」


青年は笑う。


「あれ?そんなの持ってましたっけ?」


青年は俊輔の持つビニール袋を見ていた。

俊輔は袋からご飯とレトルトの牛丼を取り出して、青年のそばに置いた。


「なんです?」


青年は寝返りを打って俊輔の方を向く。


「え、牛丼じゃないですか!くれるんですか?」

「さっきそこのスーパーでもらったんですけど、どうせ僕一人では食べ切れないので、良ければどうぞ」

「うわ、嬉しいな。ありがとうございます!」

「あ、中華丼とか、親子丼もありますけど、牛丼よりそっちが良ければそれでもいいですよ?」

「いやいやいや、そんな、いただけるだけで十分……。でも、本当にいいんですか?」

「ええ、もちろん。絶対余りますから」

「明日また食べればいいじゃないですか」


青年は再び仰向けに戻った。


「僕はね、ここでこうやって世界の終わりと戦っているんです」


俊輔は、はぁ、と返事ともため息ともつかない声で答えるしかできなかった。


「こうして一日中寝転がって、僕が車に轢かれずにすんだら明日が来るんです。わかります?そう言う取り決めなんです。あなたはいい人みたいだから、教えてあげるんですよ。僕が成功すれば明日は来る。期待していいですよ。今日の午前零時からこうして寝転がってますけど、僕はまだ生きている。もう一日も後半に入ってます。このままいくと達成できそうです。だから食料は大事にした方がいい。明日から食べ物がないと困るでしょ?」


青年の話す意味がわからず、俊輔はあいまいに返事を返してその場を離れた。背後から、また明日!と声がした。


通りをしばらく歩いて、ふと目をやると、道の先で黒い煙が上がっている。家の方向だ。俊輔は足を早めた。右手のビニール袋がガサガサと音を立てる。


煙はコンビニから上がっていた。店の中に火の手が上がっている。派手な火ではなく、床をぼんやりと燃やすような低い火だ。

コンビニの駐車場前に、あの年配の店員が座り込んでいた。


「どうしたんですか?」


店員は照れ臭そうに振り返った。


「いやぁ、どうせ今日で終わりなら綺麗に片付けようと思ったんですけど……なかなかうまく行かんもんですねぇ」

「自分で火をつけたんですか?」

「えぇ、まぁ、そうですね。身辺整理ですよ。あ、心配しなくても大丈夫。隣近所とは距離があるし、万が一燃え移っても周りは空き家です。みんな数ヶ月前に出て行きました。どこに行ったかは知りませんけどね」


コンビニは床にチラチラと火が上がるだけで、ほとんど燃えていない。天井は煤で黒くなっているが、火はついていないようだ。


「最近の建物ってのはよくできてますね。酒屋の時の古い建物のままだったらすぐに綺麗さっぱり燃えただろうに。油と段ボール使ったんですけど……足りなかったみたいです。あの調子じゃしばらくしたら勝手に消えちまうでしょうね」


俊輔は店員の隣に座った。コンビニの中ではチロチロとした火が燃えている。


地面に置いたビニール袋が倒れて音を立てる。親子丼の箱が転がり出る。


「あ、特売やってたんですね」

「えぇ、『最後の晩餐』だそうです」

俊輔はご飯のパックと親子丼を男性に差し出す。

「いいんですか?食料は貴重ですよ」

「今日一日じゃ食べ切れないくらいもらってしまったんで」

「ありがとうございます。……なんだかあなた、サンタさんみたいですね」

「はい?」

「あれ?お気づきじゃないですか?今日は十二月二十四日。クリスマスイブですよ。ほら食料を運ぶサンタさんみたいでしょ?」

「そうか、そういえばそうですね。完全に忘れてました」


俊輔は店員と笑い合い、二人でしばらく店を眺めてから、無言で立ち上がった。店員は振り向かなかった。


家に向かって歩き出す。少しすると公園に差し掛かる。そこにはもう誰もいなくなっていた。みんな、どこかへ帰って行ったらしい。

ようやく家にたどり着いた。俊輔はリビングに入るとすぐに紙袋の中身を確認した。

ご飯のパックが三つとレトルトの中華丼が一つ、それからバターチキンカレーのパウチが一つ入っていた。カレーと中華丼を見比べる。やっぱり今日はカレーにしよう。中華丼とご飯パックを二つ、キッチンシンクの下に放り込む。


時計を見ると時刻は午後四時を回ったところだ。最後の晩餐には少し早い気もするが、しばらく歩き回ったせいか空腹を感じていた。

もういいか。別に早くても構わないだろう。


雪平鍋に水を張って、コンロにかける。お湯が沸騰したところでカレーのパウチを入れる。

ご飯のパックを電子レンジに突っ込む。沸騰したお湯でキッチンに湯気が満ちる。

レンジが鳴って、ご飯パックの温めが終わった。パックを取り出して、深底皿に盛り付ける。鍋からカレーのパウチを掬い、皿に開ける。カレーの香りが立ち上り、俊輔は思わず目を閉じる。こんなまともな食事はいつ以来だろう。少なくとも米を食うのはひと月ぶりくらいだ。

もっとご飯とレトルトをもらっておいてもよかったかもしれない。


皿を持ってリビングのソファに腰掛ける。テレビを付けるが、やはり試験放送のカラーバーばかりだ。一つだけ、どこかの局がドラマの再放送をやっている。テレビの音量を上げる。


部屋全体にカレーの匂いが充満している。俊輔はスプーン掴んでカレーを頬張る。スパイスの香りとバターの甘味が口に広がる。鶏肉はほろほろと口で解けていく。ご飯は少し柔らかめだが、カレーとよく絡んでいる。美味い。空腹が最高のスパイスだとは、よく言ったものだ。まるまる一ヶ月以上粗食に耐えてきた俊輔に、カレーは麻薬に等しいような恍惚感を与えてくれる。


テレビの向こうでは男女の俳優が電話をしている。愛してるだとか、なんとか、歯の浮くようなやりとりをして、最後にまた明日、なんて言い合っている。若い女性がそんな約束を信じて無邪気に眠りこうとしている。


改めてあの道路に横になっていた青年が頭をよぎる。

もし、あの青年の言うように明日が来たらどうなるのだろう。


俊輔にはなぜ世界が滅びるのかはよくわかっていない。ただ、テレビの向こうで『専門家』や『コメンテーター』や『政治家』が地球が滅亡すると言っていたから、きっとそうなのだと思っていた。それに、真綿で首を絞めるようなこの状況。物は少しずつ減って、生活が制限されて、袋小路に追い詰められたようなこの状況になんとなく終末感を覚えていた。ぼんやりとした諦めと、無気力。それできっと世界は滅びるのだと信じていた。


だけど、本当はどうなのだろう?外はとてもいい天気だし、ご飯も美味しい。久しぶりにゆっくり太陽を浴びて、しっかり体を動かして。こんなに気持ちがいいのに、なんで今日、世界は滅びてしまうのだろう。


もし、明日があったら……。


もし明日があったら、またあのスーパーに行ってみよう。きっとあの店員もいるはずだ。多分、あの店員は苦笑いを浮かべているだろう。ここまで映画みたいに思うようにいかないもんなんですね、なんて言いながら。

コンビニはどうなっているだろう?あの年配の男性がモップを片手に煤だらけになった床を掃除しているかもしれない。きっと明日はそんな一日が始まるのだ。


だが、ちょっと待ってくれ。


明日があるなら、もしかして明後日もあるのではないだろうか?


明後日があればその次が。


俊輔は不意に恐怖に襲われた。


世界はいつまで続くのだろう?


自分はいつまで生きていればいいのだろう?


これまで二年間、今日を目指して生きてきた。世界の終わりを目指して。だけど、それが間違いだったら?もし世界が終わらなかったら?


明日があったら、もしかするとあのスーパーの店員が待ち望んでいたパニック映画の世界が見られるかもしれない。みんなぼんやりした諦めや無気力から目を覚まして、明後日を目指して生き始める。そうすればきっと、奪い合いが始まるだろう。


もし、明日があったとしても、それは今日までの世界とは全く違っているはずだ。


あぁ、そうか。だからあの人、あのコンビニの店員さんは店に火をつけたのだ。


明日は重い。とても抱えていられそうもない。


俊輔は俯いてわずかに残ったカレーを見つめる。


いや、大丈夫だ。もし万が一、億が一、明日がやってきたとしても、シンクの下にはまだ中華丼が残っている。それをゆっくり食べて、やり過ごせばいい。とりあえず明後日まで。


明後日が来たら?それはその時考えよう。


ただ今は目の前のカレーに集中するべきだ。

なんと言っても、これは『最後の晩餐』なのだから。

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最後の晩餐 ハクセキレイ @MalbaLinnaeus

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