第1話

 次の日。恭介は玄関先まで見送ってくれる過保護気味の母親を適当にあしらって、学校に向かうフリをして駅に向かい、恭介の住む街から電車で三駅の南巫みなみかんなぎ町を訪れた。

 駅を出たらまっすぐに伸びている通りの三番目の路地を右に曲がると直ぐに見える、両脇を廃ビルに固められた小さな建物が目的地だ。外壁は飾り気は無いが手入れが行き届いていて、ドアの両脇にしつらえられた観葉植物が、灰色の背景に映えて一層綺麗に見える。磨き上げられた窓には簡素なフォントの大文字で『相談所』と書かれている。

 不意にドアが開き、カラカラと小気味の良いベルの音が響いた。中から出てきた女性は怪訝な表情で恭介を一瞥すると、背中を丸めてこそこそと小走りに通りの方へ出て行った。

「近藤さんの客か……」

 なにかしら、巡り逢ってしまったのに違いはなかった。目の下や頬はこけ、とても健康体とは思えない。……まぁそれ以前に、恭介の目には彼女の肩に食い込む半透明の指が見えているのだが。

 とはいえ彼女は幸運だろう。近藤の相談所を見つけられたのだから。

「やぁ、恭介くん。また巻き込まれちまったのかい?」

 のっそりとドアを開いて出てきたのは、2mは優に越えようかという高身長の若い──と言ってももちろん恭介と比べてしまってはおじさんのような年齢だが──男で、柔和な笑顔をたたえていた。ボサボサの茶髪は後ろで一括りにしているが、地面に引き摺るほど長い。巨大なくまのアップリケが縫い付けられたTシャツにしても鼠色のチノパンにしても丈が足らず、くるぶしと腹回りがそれぞれ露出してしまっている。こんなのが往来を歩いていたら近所の交番は通報でてんてこ舞いになってしまうことは必至だ。

 彼がこの相談所の主、近藤である。下の名前を知るものはいないらしく、それなりの付き合いだが恭介も知らない。

 近藤に促されて、恭介は相談所に入った。鼻腔をくすぐる香りは緊張を和らげる香の匂いらしい。コンポが鳴らす軽快な音楽も相まって、小洒落たカフェのような雰囲気を醸し出しているのだが、その主が身長2mの妖怪のような不審人物とあれば、丁寧に積み上げた世界観も一息に崩れようというものだ。

 恭介はソファに腰掛け、出されたハーブティーに口をつけて一息つく。

「また、だよ。変なのに襲われちまってさ。帰すと面倒そうだし気絶させて持ってきちゃったんだけど」

「どれ、見てみようかな。その変なのは《ゲヘナ》に収納してるのかい」

「どっちでも良かったけど、最近整理して余裕あったし《アイテムボックス》に入れといた」

 恭介は虚空に手を突っ込むと、中から昏倒したままの男を取り出して、近藤に引き渡した。近藤は男を寝かせて丁寧に身包みを剥いでいく。

「ふむ…………どうも、身元がわかりそうなものはないね。どんな力を持ってる輩なんだい」

「人払いの結界っぽいのと、闇の能力だな。武器にしたり動物にして襲わせたり」

「それだけだとちょっと該当するものが多すぎるな。固有名詞とか聞いてないかい」

「あー、なんか、アゼツ? とか言ったかな。人払いの……」

「アゼツ……うーん、聞き覚えがないな」

 近藤が首を捻ったのを見て、少なからず恭介は驚かされた。近藤が何かを知らないということが今まで無かったからだ。近藤と知り合ってから巻き込まれた状況から生き残るハードルがぐんと下がったところもあり、今回の案件はちょっと面倒そうな予感が恭介の頭をよぎり始めた。

「とりあえず人口衛生トラバントの録画データは出しておいてもらいたいな。オレの方でも調べておくよ」

「あぁ、毎度サンキュな」

「気にしないでいいよ、趣味だから。子供を助けるのは大人の責任だしね」

 不審人物も引き渡し、話が思いのほか早く済んでしまったので恭介は雑談を仕掛けることにした。ちょっと長居すれば近藤は手製の茶菓子を出してくれ、その味がまた絶品だからだ。

「そういや、さっき女の人がここに来てたな。あの感じだと事故物件とか?」

「いや、心霊スポットに行ったみたいでね。テックなんたらというのの撮影らしいんだけど、恭介くんは知ってるかい」

「あぁ、なんか短い動画を投稿できるとかっていう……俺も詳しくは知らないけど、クラスでも流行ってるな」

 ダンスの動画とか、たしかに恭介も誘われて撮影させられたことはあった。一年前の異世界転移で貴族社会に溶け込むため社交ダンスを習わされていたし、それなりのものを見せつけられたと思ったのに、『踊りってそういうんじゃないよ……?』と困惑されてしまった。後から聞いた話だと、ちょっとバズったらしい。訳がわからない。

「まぁ、幽霊さんの機嫌を損ねちゃってね……心霊スポットって言っても、本当にいるかどうか、いたとしてどういう性格の幽霊がいるか、とかあるんだけど。今回はちょっと、気難しい幽霊さんだったから騒がしくして憑かれちゃったみたいでね」

「ふぅん。そりゃ面倒を持ち込まれたな」

 恭介は自分の経験から近藤に同情した。恭介も自分の部屋にいつの間にか記憶喪失の幽霊が住み着いていて、そいつを成仏させるために夏休みを使いきって東北行脚する羽目になったくらいの経験は当然あるので、幽霊の面倒さは身にしみている。

「ふふ。まぁ、彼女も反省はしてたみたいだからね。その反省が本当ならあと一週間くらいで元通りになるんじゃないかな」

「一週間あのままってのもまたしんどそうだな……」

「それくらいは、反省してもらわないとね。あんまり生者の肩を持ちすぎてもなんだし」

「……まぁ、自業自得だしな」

「そうとも。恭介くんみたいに、本当に本人に非がないのにいつの間にか何かに巻き込まれているような人間なら、いくらでも助けてあげるけどね」

 少し照れくさく、恭介は視線を横にそらした。恭介が巻き込まれるような異常現象はどれをとっても誰に話しても正気を疑われるようなことばかりだ。それを相談でき、あまつさえ助けようとしてくれる大人というのは、まだ中学生の恭介にとってどれだけの救いかしれない。

 少し話したところでクッキーが出てきたので、そのサクサクとした食感を楽しんでいると、相談所のドアが開いた。

「こ、こんにちは!」

 恭介は指を舐めながら一瞥する。元気の良い声でドアを開いたのは、昨日恭介と会った女の子だ。確か名前は──

「橘……だっけ」

「おや、恭介くんの知り合いかな」

「知り合いにもなってねーーよ。それの敵対組織だろ、多分。昨日そいつとやりやってた」

 恭介は実際見たわけではないにせよ、ほとんど間違いないだろう。

 近藤は彼女の頭の先から足のつま先までを隈なく観察し、ぽつりと呟く。

「へぇ、興味深いね」

「ごめん、近藤さん。尾けられてたのは気づいてたけど、まさか入ってこれると思わなくてさ」

「えっ、気づいて……?」

「恭介くんの眼を欺くのは流石に難しいだろう。身のこなしからして、まだほとんど一般人と変わりないようだし」

「それ以前の問題だって。こいつ、電車で同じ車両乗って俺の方チラチラ観てるんだぜ。寒くもないのに制服の上にコート着てるし、あれじゃ、俺じゃなくたって気づかないのが難しい」

「うぅ……ごめんなさい……」

 顔を伏せて露骨に落ち込む橘。明らかに尾行時の不手際に対して凹んでいるようである。謝るなら尾行したことを謝れよと恭介は少し思ったが、スルーした。尾行ももうされ慣れたものだからだ。

「それで? あんたは何で俺を尾けたんだ? 一応忠告しておくと、返答には気をつけた方がいいぜ」

「っ……!」

 恭介の威嚇に、橘は咄嗟に腰に手を構える……その腕を、いつの間にか橘の隣に佇んでいた近藤が掴んだ。

「えっ……? あれ、さっきまであっちに……」

やめたほうがいい・・・・・・・・。恭介くんも、俺の店でやり合うのはよしてくれ」

 恭介が立てた指を近藤が鋭い視線で戒める。苦笑いして、恭介は指を下ろした。

「……悪かったよ、近藤さん。ちょっと気が立ってたんだ。テスト前でさ」

 近藤が橘に座るよう促し、橘は恭介の正面のソファに浅く腰掛けた。

「それで、橘くんは何故、恭介くんを尾けていたのかな?」

「……め、命令で……場合によっては、《学園》にお連れするように、と……」

「場合ってどんな場合だよ」

「私たちの敵対組織に組せず、戦力と見込める場合です……」

「恭介くんは戦力には十分だろうね」

 緊張で浅くなっていた橘の息も、だんだんと落ち着いてきたようだった。近藤が出したハーブティーが助けたのもあり、ようやく一息つく。

「……ふぅ。それで、昨日持ち帰ったあの男をどうするのかと失礼ながら、尾行させていただきました」

「させていただきました。じゃねーけど」

「ご、ごめんなさい……でも命令で……ごにょごにょ」

「まぁまぁ、彼女もやりたくてやったわけじゃないようだし」

 宥める近藤に、恭介は大きくため息を吐く。

「…………今から巻き込まれると、一月は揉めるよなぁ……受験も近いってのによぉ……」

「諦めなよ、恭介くん。彼女が悪いわけでもないし、強いて言えば恭介くんの生まれ落ちた星が悪いってなもんなんだからさ」

 たしかに彼女に責任は無いのだろうが、このやりきれない気持ちばかりを大人しくおさめろというには恭介は子どもすぎた。

「わかったよ。とりあえず橘!」

「は、はい!」

 歳下とは思えない貫禄に思わず背筋を伸ばした橘。ヤケクソ気味に、恭介は直言した。

「俺を《学園》とやらに連れて行け。話はそれからだ」

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