迷い箱と異変 後編
道中、春たちの戦闘の跡らしき土の壁や植物に絡まってもがき続ける怪異などがいたが、それらは無視した。
迷い箱を使ってから、怪異たちによる妨害を受けることはなく、空き家の玄関門前に到着したのはいいんだけど――
「え……どういうこと?」
目の前の光景に自然と言葉が漏れる。
到着した時は玄関門を飛び越えて庭に入ろうと思っていたのだが、その玄関門どころか、奥にある玄関までもが破壊されていた。
玄関門は斜めに力任せに切り裂かれていて、残骸と思わしき物が転がっている。その残骸の片方はそのまま倒れているけど、もう片方は切り裂いた後に吹き飛ばしたのか、家の玄関が巻き込まれて破壊されていた。
思わぬ光景に思考が停止してしまっていたが、直ぐに我に返ると、霊視の力を強めて、警戒を最大まで引き上げる。
何で玄関が破壊されている? 道中にハイドで確認した時には、既に春と佳奈は現世に戻っているから二人じゃない。
応援の対魔師も、この地区の幽世担当の一人である久代さんの手が空き次第で、久代さんなら必ず連絡してくるはずだからこれも違う。
なら他の怪異が現れた……?
霊視を更に強めて何か痕跡がないか視た方がいいか?
そう頭をフルに回転させ、原因を推測しながらも、何時までもここにいるわけにはいかず、玄関門を潜って庭を通る。
玄関に近づくにつれて、嫌な臭いが漂ってくる。
そして玄関に足を踏み入れた瞬間、ぐちゃりと何かを踏んだ感覚を覚えるとともに、濃厚な瘴気と凄惨な光景が僕を襲った。
「――っ!?」
――血、血、血。ペンキをぶちまけたかのように赤黒い血がでたらめに玄関を染め上げている。切り裂かれたと思わしき怪異たちの成れの果てが雑に転がっている。
背筋が凍り、咽かえるほどの血の臭いに思わず涙が出そうになる。咄嗟にお守りを握りしめて気持ちを落ち着かせようとするが、目の前の惨状に目が離せない。この時ばかりは自身のよく視える眼を呪った。
一体何が起きたのか。冷静な部分では一旦引くべきだと訴えてきているが、この先にいる幹也たちと合流しないといけない。
最後に幹也がハイドに送ってきた情報だと、二階の奥の部屋で籠城しているみたいだ。階段は傍にあるから、上ればすぐに幹也たちが居る所に合流できるだろう。
だけど問題はこの惨状を引き起こした存在が幹也たちを放っておくかだ。
気付いて脱出していてくれればまだいいんだけど。
多少落ち着きを取り戻せた僕は、泥沼の中を進むようにゆっくりと歩を進める。
目につく亡骸からは、今にも恨み辛みが聞こえてきそうだ。なるべく怪異の亡骸を避けてはいるが、血溜まりはどうしようもない。
亡骸から生じ始めている穢れは黒い靄として目に見える程濃く、恨みの瘴気と合わせて僕を蝕んでくる。現世ならまだ何とかなるが、正直幽世ではお守りがなければ、蝕まれて動けなくなってただろう。
ただ連日の負荷を考えると、お守りが二個ぐらいはダメになってるだろうなと思いつつ、少しでも消耗を抑えるために鞄から霊符を三枚取り出す。
「浮かびて燃えろ」
描かれているのは灯火と呼ばれる霊式。
照明系の霊式は複数あるが、灯火は込めた霊力を燃料にして火の玉のように自身の周囲を照らすもの。
この霊式の利点は、僕を追尾して周りを照らすので、手が塞がらないことだ。そして何より燃えているということが重要だ。
僕の周りを浮遊し始めた火の玉に、霊力を込めた浄化の霊符を投げ込む。
浄化の力を得たことによって赤く燃えていた火の玉は青白く燃え上がり、瘴気や穢れを優先的に吸収して燃やす。炎に浄化という相性の良い霊式の組み合わせだ。
僕がここにいるという目印になってしまっているけど仕方ない。警戒は怠らずに、不意打ちされても対応できるようにしておこう。
できれば怪異の亡骸も燃やして浄化しておきたいけど、死骸だけ燃やすなんて器用な真似はできない。絶対燃え移る。でも、玄関だけでこの惨状だからもうこの家ごと燃やした方が早い気もする。
別にこっちで燃やしても現世の家が燃えるわけじゃないし、神様とかの神域や力の強い怪異の根城とかでなければ、数日で建物は復活する。
何より幽世側で瘴気や穢れが濃いのは、現世への干渉が無条件で起きやすくなるのが問題だけど――うん、幹也たちを助けたらこの家燃やそう。ついでに迷い箱も一緒に燃やそう。
でもまあ一人で燃やして消火までするのは骨が折れるから、何人か呼ばないといけないけどね。幹也たちを現世に戻したら援軍を呼んでおいて、来るまで先に作業進めるのがいいか。
そう決めた僕は、先ほどよりも多少マシになった足取りで、幹也たちと合流すべく二階へと向かった。
◇
狭く暗い通路を二つの影が走っていた。
走る。走る。狭く細い複雑に枝分かれした通路を走る。
ただひたすらに目の前で逃げ続ける餌を怪異は追いかけていた。
口元からは涎が滴り落ちながらも、血走った怪異の眼は逃げる餌をしっかりと捕らえている。
走る。曲がる。走る。曲がる。行き止まり。逃げ続けていた餌の目の前には壁があり、これ以上逃げ場などない。
もう少し、もう少しで手が届く。追い詰められた餌からは香ばしいほどの血の匂いがし、鼻孔を擽らせる。
追い詰められているはずの餌の表情が恐怖に歪んでいないことに残念に思いながらも、怪異はようやくだと餌に飛びついた。
「……ァ?……えエ……サ……お、オれ……の……ア、アア゛ア゛ア゛アアァァ!」
捕らえたはずだった。しかしその腕が餌に触れた瞬間、餌は不敵な笑みを浮かべると蜃気楼のように消え去った。
――嘲笑うかのように目の前から消えた餌。
確かに追い詰めたはずだった。幻を見ていたのか? 否、血の匂いはまだ残っている。だが目の前に餌はない。
――いないいないまたいないどうしてどうしてどうしていイいなあなないナイナイナイナイナイ!!
そのことに暫く怪異は茫然としていると、やがてわなわなと震えだし、その口から怨嗟の声が上がる。
その声は一つではない。この怪異が気づいていないだけで、至る所から同じような声は上がっている。
ここは迷い箱の中。凪を追いかけ続け、忠告を無視した怪異たちの末路。迷い箱に閉じ込められた怪異たちは分断され、気づいたら通路に立っていた。
拡張された空間を持つ箱の内部は、迷路のような複雑な作りとなっており、土気色をした壁は天井まで伸びている。
怪異たちの方向感覚は狂い、時折現れる旨そうな血の匂いをさせた凪の幻影を追いかけながら、孤独に彷徨い続けていた。
中には脱出をしようと壁を破壊しようとした怪異もいたが、不規則に迷路の構造は変化し、それとともに壁も修復され、無駄に体力を消耗するだけであった。
やがて匂いに抗っていた怪異たちも、欲に耐え切れずに幻影を追いかけ始めた。
何度も何度も同じように繰り返す。その度に怪異たちの呪詛が箱の内部に満ち、それを燃料に迷路はより複雑になる。
怨嗟の声を上げるほど、ここに閉じ込めた者を憎むほど、怪異たちにとってはより過酷な環境となる。
例え力尽きたとしても、肉体は他の怪異に食われないように箱を動かす燃料にされる。その魂も箱の中に閉じ込められ、延々と本能のままに追いかけ続ける。
それはまるで小さな地獄であった。
怪異たちが箱の中にどれくらい時間が経ったのか。欲に負け、幻影を追いかけ続けた多くの怪異たちは、もう目の前の餌を喰らうという本能しか残されていなかった。
僅かに理性が残っていた怪異たちも、どこで間違っていたのか、何時この地獄は終わるのかと自問自答しながら、自らの欲を満たすために決して届くことのない幻影を追いかけ続ける。
ただ救いがあるとするならば、脱出できない怪異たちにも明確な最期がある。
――それは凪がこの箱を焼却する時。
それまで怪異たちはこの何時終わるとも知れぬ地獄を彷徨い続ける。
燃え盛る炎によって全てが浄化されるその時まで。
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