第十五話 迷い箱と異変

 幹也が籠城戦を始めた頃、既に住宅街を抜けていた凪は危険と知りながらも最短ルートを疾走していた……その背に複数の怪異を引き連れて。


「ああもう、やっぱり夜だから無駄に数が多い! 僕が招かれざる客なのはわかるけどさ。まだ追いかけてくるのなら、こっちも反撃するよ!」


 数体程度なら霊符で切り抜けるつもりの凪であったが、予想以上の数に追いかけられてたまらず叫ぶ。

 その声に含まれる殺気を感じ取ったのか、ただ面白半分や悪戯目的で追いかけてきていた一部の怪異は諦めるが、幽世に迷い込んだ人間を餌にする生きている怪異たちにとっては、ただ活きがいい餌が喚いている様にしか見えない。

 結果的にその怪異たちの足を速めさせるだけであった。

 ちらりと後ろを振り返った凪は、未だに追いかけてくる怪異たちの姿に深々とため息を吐く。


「……はぁ、もう一回言うよ。次に僕が振り返った時に追いかけてきていた奴は問答無用で排除する! 地獄を味わいたくないのなら、去るんだ!」


 足を止めることもなくそう宣言すると、凪は提げていた鞄から手の平サイズの小さな箱を取り出した。

 木の板を組み合わせて作られたその箱の一面には何かを入れる小さな丸い穴が一つだけ開いている。そしてその穴を中心に一つの巨大な迷路のように複雑な模様が前面に描かれていた。

 凪は指の表面を勢いよく嚙む。そして血が滲み出てきた指をその穴に押し当てた。


「起動しろ、迷い箱」


 一滴、二滴、ぽたぽたと指から滲み出てきた血が、重力に従って迷い箱と呼ばれた箱の中に落ちていく。

 その度に箱の模様が黒く発光し、箱の内部から何かが擦れ、組み合わさるような音が響き渡る。やがて箱の表面の模様が全てなくなると、凪は指を離した。


 模様がなくなった箱からは不気味な気配が漂ってきており、まるで生きているように小さく脈動している。

 凪は一度大きく前へ踏み込んで距離を取ると、くるりと振り返る。そして箱に空いた穴を追いかけてきていた怪異たちに向けた。


 向けられた箱から本能的に危険を感じ取った一部の怪異は、怯えたように逃げ出し始める。それらの怪異を対象から外した凪は、今だ襲い掛かろうとしてくる怪異たちをその眼でしっかりと補足する。


「――十五ね。それなら問題ない」


 その小さな呟きは、怪異たちの咆哮に搔き消える。

 しかし迷い箱を起動させるための言葉だけは、はっきりと怪異たちの耳に届いた。


「さあさあ、欲深い子はいらっしゃい。これより先は生きて踏み入れてはならない迷い箱。踏み込んだならば、欲は捨てろ。欲深ければ行きはよいよい、帰れはしない。箱の中で孤独に偽りの僕を永遠に追いかけろ」


 言葉を紡いだその瞬間、凪を襲おうとした怪異たちは何かに引き寄せられる感覚を覚えるとともに、視界が暗転する。

 そして抵抗する間もなく彼らの意識はそこで一度途絶えることになる。


 次に目を覚ました時、彼らが当たり前のように見ていた光景はもう二度と見ることは叶わない。

 凪を襲おうとした怪異たちは、最後まで何が起こったかもわからないまま、最初からそこにいなかったかのように跡形もなく消え去った。


「諦めれてくれればまだ生きてられたのに」


 姿を消した怪異たちはどこに行ったのか。その答えは凪の手の中にあった。

 凪の手の中で脈打ち暴れる箱。その小さな穴からは消えた怪異たちのものと思われる叫びが聞こえてくる。


「――っとと、残念だけど封をさせてもらうよ」


 迷い箱の穴を塞ぐように一枚の霊符を張り付けると、あれほど暴れ続けていた箱が静かになり、凪は慣れた手つきで更に二枚霊符を追加すると、その箱を鞄にしまった。


 その様子を離れた所で見ていた怪異たちは理解する。

 あの人間の持っている箱の中に吸い込まれたのだと。

 もしあのまま自分たちも襲い掛かっていたらどうなっていたか。

 僅かに聞こえてきた叫び声に、吸い込まれた怪異の末路を想像し、目の前の人間の所業に恐怖する。

 助かった怪異たちはその幸運に柄にもなく感謝をするが、それ故に目の前の危険人物がこの後どう動くのか、その一挙一動に戦々恐々としていた。


「それじゃあもう追ってこないでね。じゃないと――」


 凪はそんな怪異のことなど知ったことかとばかりに、迷い箱と同じサイズの真っ黒な木の箱を取り出すと、見ていた怪異たちへと向ける。

 周囲を脅すように、淡々と言葉を紡ぐ。

 その表情はどこかストレスを発散するかのように生き生きとしていた。


「今度は“キミたちの番”だからね?」


 言霊による宣言、そして木の箱が黒く発光した瞬間、周囲にいた怪異たちは恥も外聞もかなぐり捨てて逃げ出した。

 あっという間に周囲から怪異はいなくなり、隠れている怪異がいないか霊視を用いて確認をした凪は、一人悪戯が成功したかのように笑う。


「――なんてね。迷い箱を使っちゃったけど、上手くいってよかったよ。逆上してこられたら面倒だった」


 凪が手にしていたのは迷い箱とはまた別の力を持った箱。

 もしもの時にはこの箱の力を使って切り抜ける算段であった凪は、無駄に手持ちや霊力を消費せずに済んだことに安堵する。


 凪が主に使う霊具は“箱”

 何かを収める箱という代物は日常的に当たり前のように使われており、古くでは呪物などにも使われていた。

 収めるということから、箱には封印や浄化といった特定条件下において無類の強さを発揮するが、封じるモノによっては存在するだけで災厄となる危険性が伴なうこともある。


 過去に存在したとあるモノで満たされた箱は、一つの集落に運び込まれると、一晩で集落を壊滅させた事例もあるのだ。


 そんな箱を霊具として扱う凪もその危険性は重々と理解しており、様々な力を持たせた箱を実用段階まで持ってくるまでにかなりの時間を要してきた。


 なお、封印可能な許容量は箱の大きさで決まっているのだが、凪が作成した箱の多くは内部空間を拡張する霊式が組み込まれているため、数十体程の多少力のある怪異までならば問題なく封印は可能である。


 今回使用した迷い箱は、封印する怪異を“自身を追いかけてくる怪異”にのみ限定されているため、封印の強度が更に上昇しており、箱の内部に仕掛けられた幾つもの霊式によって簡単には脱出できなくなっていた。

 なお、何かを封印するという関係上、箱は基本的に使い捨てである。


「急ごう」


 無駄に時間を使ってしまったと、凪はポケットのお守りを握りしめて一度深呼吸をすると、空き家へ向けて移動を再開した。

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