第十六話 忍び寄る鎌

 二階に上がった僕を出迎えたのは、玄関で見たものよりも凄惨な光景だった。

 一番奥の部屋に向かって何かから逃げるように切り裂かれた怪異たちが折り重なっているように倒れていて、表情がわかる怪異の全てが恐怖や苦痛に顔を歪めている。


 ……怪異がこんなに集まってるなんて。

 魚類の化け物のような見た目をしている怪異もいれば、マネキン人形のような人型に近い怪異もいる。この中に元凶の怪異も混じっているのだろうか?


 足の踏み場がないので仕方なく怪異たちを踏み越えながら、結界が張られている奥の部屋を目指す。

 恐らくその部屋に幹也たちがいるのだろう。

 別の存在がいる可能性もなくはないけど……。


 途中、他の部屋のドアは破壊されていたので中を覗くと、怪異の亡骸がある他には、壁や床には怪異を倒した際にできたものだろうと思われる何かを突き刺したのか抉ったのかはわからないが、そういった痕跡があった。

 現に、廊下にも横や斜めに薙いだような跡や突き刺さった跡が至る所にある。この痕跡から見て、武器は室内では不向きな長物じゃないかと思う。

 ただ、この惨状を引き起こした存在の意図が読めない。奥の部屋以外全てを覗いてみたけど誰もいないみたいで、どうやら二階にはいないみたいだけど……気になる。


「詳しく視た方がいいかな……?」


 縁を視る霊視は、取得して間もないから対象を直接視ないことにはわからないけど、一応霊視の眼を切り替えれば、生きているモノの生命力がオーラみたいに色で視える。

 少し気になるからこの家に隠れているかどうかぐらいはしておいた方がいいかな?


 ……いや、見つけてどうするんだっていうのもあるし、デメリットの方が大きいか。別にこっちに接触してこないなら逆に好都合だし、今の間に幹也たちを現世に戻した方がいいよね。

 少し胸騒ぎを覚えながらも、当初の予定通りに奥の部屋へと進む。


「……幹也、いる?」


 ドアの前に辿り着いた僕は、コンコンと少し強めにノックする。

 ドアは怪異たちによる血に染まっていて、幹也が張ったらしき隠蓑の霊符は破れている。幹也たちを守っていた結界もボロボロであったが、悪意あるモノを弾く力はまだ残っているようだ。


『……凪か?』


 暫くの沈黙の後、ドア越しのためか少しくぐもった幹也の声が聞こえてきた。

 よかった、無事みたいだ。


「うん、助けに来た。このドア開けてもいい?」


『……入ってこれるなら、わざわざ聞く必要はないだろ。何か許可しないといけない理由があるのか?』


 ドア越しに幹也の霊力による圧迫感のような何かを感じ取る。

 うん、一応中にいる幹也が大丈夫なのか確認しないといけないから聞いてみたけど、はっきり意思疎通はできている。姿を見ないことには確実とは言えないけど、ほぼ本物だろう。


 幹也の言う通り、この悪意や敵意を持つ者を弾く結界は問題さえなければ素通りが可能だ。招く、許可するという行為をする必要はない。

 幹也がこう返してきた理由は、僕が偽物かもしれないと警戒しているからだろう。

 ……そういえば、この家の惨状に気を取られすぎて、着いたと報告するのがすっかり頭から抜け落ちていた。


「ただ確かめただけ。どうやら本物の幹也みたいだね。それじゃあ入るよ」


『――待て。開けるなら合言葉を言ってくれ。ハイドで送るから答えられるだろ?』


 最終確認だろうとハイドを確認すると、個別と全体に順番に幹也から合言葉が送られてきた。

 どうやら僕が脅されている可能性を考えて、二つに分けたようだ。

 僕宛には≪ある≫の一言、全体の方には≪合言葉は二つ。問題なければ反対の言葉も言え≫とある。


「合言葉は“ある”と“ない”」


『…………』


 返答はない。代わりにドアのすぐ傍から何かを動かす音が聞こえてきた。バリケード代わりに何かをドア前に設置していたのだろう。

 やがてその音も聞こえなくなったので、開けても問題ないと判断して血の手形がべったりと付いたドアノブを回す。


 ギイィッと耳に響くような音を立てながら開くドア。

 僅かに開いた隙間に体と火の玉を滑り込ませ、ドアを閉じた。

 壊れかけではあるが、結界内ということもあってか空気は軽い。


「やっと入れた。幹也、助けに来たよ。そっちも無事そうだね。えっと、クラスが違うから多分幹也から聞いてると思うけど、僕は先代凪。幹也と同じ対魔師だよ」


「本当に助けが来た……か、方蔵史郎だ。もう一人そこで寝てるのは頼瀬――」


 途中言葉が途切れ、何事かと方蔵君を見ると、僕の周囲に浮かぶ灯火を指さして口をパクパクとさせていた。

 ……あー、なるほど。そんな風に一人察した僕が口を開こうとする前に、満面の笑みで幹也が割り込んできた。


「サンキュー凪、本当に助かったぜ。あいつらの攻撃、結構激しかったんだが、轟音がして家が揺れた後に悲鳴やら叫びやら色々聞こえてきて、少しして静かになってな。どうしようかと思ってたんだが、そこでちょうど凪が来たんだ。あ、でもドアから入ってきたってことは、外にいたあいつら全部片づけ――なんか問題発生か?」


「そうだけどその話はまた後で。今は幽世からの脱出を急ぐよ。僕が扉を作るから、先に脱出して外にいる蒼波寺の人たちと合流して」


「わかった、後で話せよ。史郎喜べ、脱出できる――って、どうしたんだ?」


「……幹也、とりあえず説明お願いね。あと廊下の光景は精神衛生上悪影響だから方蔵君は見ない方がいいよ」


 あの惨状がなければ家の外で扉を作るつもりだったけど、それをしたら間違いなく方蔵君のトラウマになるだろう。

 とりあえず未だポカンとしている方蔵君への説明を幹也に放り投げると、現世への扉の作成を始める。


 流石にメモ用紙を使った即席の霊符だと不慮の事故が怖いので、今回は霊式は空中に描かないといけない。

 ただ霊式を描くその前に、付着した怪異の血を浄化するために灯火の一つの中に躊躇なく手を突っ込んだ。


「は!? え、な、何やってんだ!?」


「幹也ー、これも説明しといてねー」


「丸投げするな! ――ったく、あれは凪に纏わりついている穢れを浄化しているだけで、実際に燃えているわけだが火傷するとかそういうのはないから大丈夫だ。あれだ、バイキンが付いたから消毒するみたいなもんだ」


「火に手を突っ込む消毒なんて聞いたことねえよ!」


 相変わらずな幹也の例えだが、間違ってはいないのが何とも言えない。

 あと、あくまでも瘴気や穢れを優先して燃やしてるだけだから、ある程度で手を引かないと普通に火傷するからね。


 十数秒程で頃合いだと手を引っ込めると、ぱりぱりと血が剥がれ落ちて、熱によって少しだけ赤くなった皮膚が姿を現す。

 問題なく穢れは落とせたみたいだ。それじゃあ扉の生成を始めよう。


 部屋の中央は方蔵君たちがいるし、ドア前だと結界に干渉する可能性もあるから少し奥の方で生成かな。

 あ、あの押入れの前にしておこう。それに念のためにこの部屋内の霊視もしておいた方がいいか。

 ぐるりと部屋内を視ておき、おかしな霊力の流れがないか確認する。

 うん、部屋内は問題なし。四方に盛り塩もしてあるから幹也の結界はしっかりと機能しているね。


 押入れの手前まで移動し、赤くなった人差し指に霊力を込め、宙に指を踊らせる。

 基点となる二重の円。その間に式と言葉を組み合わせた一つの陣を描き終えたら霊力を流し込む。霊力が込められていくにつれて、陣は青白く発光しだす。そして内側の円は人が通れるほどの大きさとなると、まるで鏡のように僕の姿を映し出した。


 僕の現世と幽世を隔てる扉のイメージは鏡。

 常にその場を映し続ける鏡と現世と共にあり続ける幽世が何となく似ていると思ったらそうなっていた。

 それに鏡は真実を映し、魔を退け、封印する物にもなるが、それと同じく魔を招いたり、引きずり込む危険性を持っている。

 初めて生成した時は何で鏡になったんだろうと暫く疑問だったけどね。


「こっちは扉の生成できたけど、そっちは大丈夫?」


「おう。史郎たちにも通行の霊式は渡してあるし、俺も霊式を書き換えたから問題ないぜ」


「すっげぇ……」


 幹也は腕に着けている霊具を見せるようにしていて、方蔵君は頼瀬君を背負って僕が作った扉をまじまじと見ていた。

 普通の人だったらまず目にすることはないからね。この扉を見るのが、二度とないようにしてほしいよ。

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