籠城という選択 後編

「――っらあ!!」


 幹也が決断したのは奇襲という一手。

 これ以上状況が悪くなる前に、一つでも厄介事を減らすために。

 姿勢を低くし、声を張り上げ、勢いよく霊力が込められたその一歩によって、棒立ちのままの怪異との距離を一瞬で詰めると、怪異の目前でもう一度踏み込む。

 怪異の横を通り抜けるように、刃物を持っていない手の方に潜り込むと、瞬間的に込められる限界まで霊力を込めた拳を勢いよく怪異の腹部へと放った。

 その不意を突いた一撃を予測していなかったのか、怪異は抵抗らしい抵抗を見せず、痛みに顔を歪ませながら、廊下の奥へと吹き飛んでいく。

 姿が消えた後に何かがぶつかるような大きな音が廊下の奥から聞こえてきた。


「くそっ、手ごたえがねえ」


「は? え、今殴り飛ばして……ええぇ……」


 目の前で起きた出来事に恐怖が何処かに吹き飛んだのか、史郎はポカンとした表情で幹也を見つめる。

 史郎からしてみれば、親友が倒れて、化物が現れたと思ったら、一緒に来ていた友人が漫画みたいにその化物を殴り飛ばしていた。

 目まぐるしく動く状況に、俺は夢でも見ているのかと史郎が思わず現実逃避をしそうになるのも無理はないだろう。しかしこれで一安心というわけにはいかなかった。


「不味いな、また来やがった」


 史郎の元に戻って来た幹也が言う通り、再び廊下の奥から軋む音が聞こえてきた。

 それも先ほどの比ではない。

 幾つもの軋む音がまるで悲鳴のように至る所から響いてくる。

 その音を聞いた史郎は、先ほど見た化物が群を成して襲ってくるのを想像してしまい、恐怖からか、カチカチと歯を鳴らした。


「ほら、なにボサっとしてるんだ。早く逃げるぞ!」


「……あ、ああ」


 幹也の声で正気に戻った史郎は、未だ呻き声を上げ続ける恭を抱え上げると、正面玄関に向かおうとする。

 ――瞬間、彼らの持っていたライトが点滅するとともに、何かに引きずり込まれる感覚を覚え、世界は一変した。


(異界――いや、幽世に引きずり込みやがったっ!!)


 廊下の奥を警戒していた幹也は、脱出口の当てにしていた正面玄関を見て、内心で舌打ちを一つ。

 先ほどまで玄関の隙間から差していた幽かな光は漆黒に染まっており、玄関自体も色褪せたように変化してしまっている。

 今まで正しく認識していた色は何処かおかしく変わり、直視し続けると強烈な不快感が襲い掛かってくる。

 暗闇の中にいるおかげで、その変化をはっきりと直視せずに済んでいることは、彼らにとっては幸いなのだろう。

 何も知らない史郎は、突然息苦しさや耳鳴りを覚えるとともに、今いる場所の空気が変わったのをはっきりと感じ取っていた。


(――くそっ、やられた。あの複数の死骸の山の部屋。嫌な予感はしていたが、あれが穢れを貯め込んでいて俺たちを引きずり込んだのか)


 元凶の怪異が穢れを使って幽世へと生者である自分たちを引きずり込んだと、さっきまでいたはずの和泉を除いて三人しかいないことで確信を持った幹也は、幽世では外の方が危険だと脱出を諦め、籠城へと切り替える。

 あちこちから不安を駆り立てるように徐々に大きく響いてくる音に、焦る気持ちを抑えて素早く玄関が開かないことを確認すると、開けるフリをしながら何処に籠城すべきか考える。

 幹也たちが現在いるのは正面玄関。その玄関から続く廊下は、正面に真っ直ぐと左右の三方向に伸びており、残りは二階へと続く階段。


(怪異たちが迫ってきている正面の通路は使えない。右の廊下の先は死骸の山があった部屋しかない。ならば左か? いや、部屋のドアは引き戸で籠城には適さない。くそっ、まだマシなのは何処だ!?)


 どこに逃げても何らかの危険が伴う。それを理解している幹也は、何処がマシなのかと必死に頭を働かせる。


(もういっそのこと正面突破でも――あっ)


 迫りくる足音に時間がないと、焦りからか短絡的な思考に至りかけた幹也であったが、先ほどの台所での恭たちのやり取りが頭を過った。


(そういえば、偽者は二階の探索は止めようとしていたよな。なら二階は偽者のテリトリーということか? 異界はともかく幽世と現世は基本的に表裏一体。なら少なくとも二階の方が良いか? 籠城さえできれば、助けが来るまで持ち堪える気はする)


 二階に逃げるしかない。

 そう幹也は決断するしかなかった。

 結果的に二階に向かうという怪異の思惑通りに動いてしまっていることに幹也は歯噛みしながらも、後ろで今か今かと開くのを待っていた史郎に向き直った。


「駄目だ。玄関が開かない」


「はあっ!? ど、どうすんだよ!」


「落ち着け! 俺も焦ってるんだよ。史郎、正直言ってここで開くまで試すのは、あの化物が来たら終わりだから反対だ。だから化物の姿が見えない今のうちに何処かに隠れよう。そこで警察でもなんでも連絡して助けを呼ぶんだ」


「……わりぃ。でも、何処に隠れるんだ」


 逃げられないということに喚く史郎を一喝すると、幹也は理由込みで二階に隠れることを提案する。


「あちこちから音が響いて何処から来るか分からないが、二階からは足音が聞こえてこないから二階に隠れるぞ。俺は結構耳が良くてな、俺ん家もそうなんだが、二階から聞こえる足音ってもっと重い音が聞こえるんだよ。それが聞こえてこないっていうことは二階にはいないはずなんだ」


 無論、幹也が語っていることは全くの出鱈目である。

 今もそこら中から聞こえてくる音を聞き分ける術など、常人には到底できることではない。

 それは霊力を纏って正しく音を認識することが可能な対魔師である幹也でもだ。

 しかし迫り来る恐怖から冷静さを失っている史郎には、その嘘を看破することは不可能。仮に嘘を看破したとしても、少しでも助かる術があるのならば、それに縋りたいのが人である。

 だからこそ史郎はその言葉を信じると、恭を背負うのを幹也に手伝ってもらい、二階へと向かった。先ほどまでいた和泉が居なくなってしまっていることに気付かずに。


「うおっ、マジで二階は静かだな」


「そうだな。けどまだ下から聞こえてくるし、さっさと隠れよう」


 先ほどまであれほど聞こえてきた音が多少マシになったことに驚く史郎をよそに、幹也は二階の廊下を見渡す。

 二階は改装したのか一階と造りが異なっており、ドアノブの付いた部屋が四部屋。ドアの間隔も広いことから、一つ一つの部屋も広いことが伺える。

 これなら籠城ができると内心ホッと息をついた幹也は、直感で一番奥の部屋を選ぶとドアが開くか試す。


「……開いたな」


 幸運にも鍵はかかっておらず、内開きのドアはギイィッと音を立てて開いた。

 部屋内をライトで照らすと、押入れのある部屋のようで、幾つかの家具が置いてあり、窓はしっかりと雨戸で閉じられている。

 その部屋から特に嫌な予感がしなかった幹也は、その部屋に史郎を先に通した。

 そして手早く他の部屋に誘引の霊符を張り付け、自分たちが隠れる部屋にはドアの外側に隠蓑を、内側に結界の霊符を張り付けると、自分も部屋の中に入った。


「あの化物が入ってこないようにドアを塞ぐぞ」


「任せとけ」


 部屋に入った二人は部屋の中央に恭を寝かせると、押し入られないようにするために部屋の中にあった本棚などを運び始める。

 その際に、運んでいた家具や壁の色がおかしいことにようやく気づいた史郎が騒ぎかけたが、今はそれどころじゃないという幹也の言葉に大人しく従い、手分けしてドアを塞ぎ始めた。

 部屋の外から聞こえてくる足音にビクビクしながらも、ある程度家具を運び終えた史郎はホッと息を吐く。


「……ふぅ、なんか押入れが開かなかったけど、一先ずはこれで大丈夫だろ――って、何やってるんだ?」


 一息吐いたことで多少落ち着いた史郎は、部屋の角でごそごそと何かをしている幹也に目を向けた。


「ん、ああ。盛り塩」


 そう簡潔に答えて幹也はまた別の角へと移動する。

 どういうことだと史郎は先ほどまで幹也がいた場所をペンライトで照らすと、確かに幹也が言った通り、そこには真っ白な塩の山が小さく存在していた。


「いや、それだけじゃわからんからな? 何で盛り塩してるんだよ。それにその塩はどうしたんだ?」


「あー……ほら、化物が入って来ないように盛り塩をするって常識だろ? 逆に閉じ込める場合もあるらしいけど何もいないから問題ない。塩は……あれだ。俺が入ってる同好会の後輩が持ってけって押し付けてきた」


 何処の常識だとか、塩押し付ける後輩ってなんだよとか、お前そんなキャラだったかとか色々言いたい史郎であったが、それよりも先に助けを呼ぼうとスマホを取り出し、画面を表示させる。


「……は?」


 これで助けを呼べると安心しきっていた史郎は、表示された画面に目を見開いた。いつも見慣れたはずの画面はおかしくなっており、操作はできるがまともにアプリが起動しない。

 スマホがおかしくなってしまったのかと再起動させるも、変わらない。文字化けしている中で唯一まともに表示されるのは“圏外”という絶望の二文字のみ。助けを呼ぶ手段が絶たれてしまっている。

 その事実を認めたくない史郎であったが、ここまで自分よりも冷静であった幹也ならば、何とかしてくれるんじゃないかという思いで、震える声で幹也に伝えた。


「……お、おい幹也。やばいぞ、圏外になってる」


「ああ、そうみたいだな」


「みたいだなって……」


 あまりにも軽い一言に、史郎は思わず絶句した。

 その言葉からは深刻さも感じられず、盛り塩を設置し終えて満足気な幹也からは、本当に今の状況を理解しているのかさえ怪しく感じられる。

 そんな幹也に思わず史郎はカッとなって怒鳴ろうとして――


「助けならもう呼んであるから安心しろ」


「は?」


「ここに来るまで結構時間がかかるみたいだからな。それまでこの扉を開けられなければ大丈夫だ。なーに、盛り塩もしてあるから壁をぶち破ってくる心配はないさ」


 だから安心しろと胸を叩いてそう宣言する幹也に、史郎がどういうことだと詰め寄るのも無理はなかった。

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