第十三話 籠城という選択

「――ひっ」


 冷たく歪んだ笑みを浮かべる恭を見た時、思わず声を上げたのは誰だったのか。

 対魔師であり、家の中に入った時から常時警戒を続けていた幹也ではない。

 史郎も顔を青ざめさせてはいたが、すんでの所で声を抑えることができた。

 そうなると残っているのは、幹也が偽者と判断した和泉であった。


「おいおい、ズミ。急に声なんて上げてどうしたんだよ?」


「い、いや。気にしないで、ちょっとびっくりしただけだから……」


 幹也たちが目撃した表情は一瞬だったようで、瞬きした瞬間には訝し気な表情をしている恭の姿があった。見間違えたかと目を擦る史郎をよそに、和泉は挙動不審気味に答えた。


「……ふーん。って、おい幹也。こっちの顔にライト向けんなよ。眩しいだろ」


「あぁ、いや。悪い悪い」


 それにどうでもいいという風に返した恭は、先ほどから自分の顔にライトを当ててくる幹也を睨みつける。

 そんな恭に平謝りをする幹也であったが、この後どう行動するのがベストなのか頭をフル回転させていた。


(どうする? さっきの笑みで確信できたが、憑りつかれている恭の状態は今がギリギリのはずだ。これ以上悪化すると俺の力だけじゃあ後遺症が残る可能性がある。だけど今はまだ駄目だ)


 幹也はポケットに仕舞っている一枚の霊符を握りしめる。

 その霊符には『解放』と呼ばれる憑りついている怪異を追い出す霊式が込められていた。この霊式は対象者の負担を極限まで抑え、取り憑かれた者を助けるのに最も適している。しかし無条件で怪異を追い出すことができるわけではない。

 憑りつかれている期間が長ければ長いほど、怪異の浸食が深ければ深いほど、怪異を追い出すことは難しくなる。


(解放の霊符は一枚しかない……それに使った瞬間に恭は気絶する。どのタイミングで使うのが最善だ?)


 負担を掛けさせないために力なき者を強制的に気絶させるというデメリット。

 それが幹也が恭に霊符を使おうとしない一番の理由であった。

 幹也の見立てでは、今の恭の状態は後遺症が残らないギリギリの段階。人数分を持っていたのならば、庭で正気に戻りかけていた時に問答無用で三人に使っていた。

 憑りつかれているのが恭だけだとわかった時点で使う手もあったが、怪異が化けた偽者と判断している和泉がすぐ近くにいる現状で、恭を無防備にさせるわけにはいかなかった。


 一般人の保護とできる限りの秘匿の両立をしなければならず、今の今まで情報が全く入ってこなかったこと。その場の状況と手札から判断するしかなかったことが、ここまで幹也の判断を遅らせてきた。

 このまま何も情報がなかったのならば、恭の表情の変化に気づかなければ、嫌な予感を覚えつつも、そのまま幹也は二階へ向かっていただろう。

 だが幸運なことに幹也の手に待ち望んでいた情報が届いた。

 それまでバラバラだった断片を繋げるピース。

 それによって和泉の偽者の行動原理をおおよそであるが推測することができた。


(多分元凶が動くのは逃げ道がない二階に行くかその直前。なら、二階に行く前に恭から取り憑いているやつを引き剝がす。そして偽者と交渉して脱出。もし失敗するようなら、安全な場所を作って籠城。その後は自分の勘に従って……だな)


「うし、誰も文句ないようだから二階に行くぞ」


 幹也の中でこれからの考えがまとまるのとほぼ同時に、探索が再開される。

 道中を探索した時と同様の並びで彼らは進む。

 ギシギシと彼らが歩くたびに足元の床は悲鳴のような音を上げ、廊下中を反響して闇に吸い込まれる。

 部屋を移動する度に聞こえてくるその音に、彼らの耳は嫌でも慣れてきていた。

 だからこそ気づかなかった。その音の数が増えていたことに。


「これから二階に行くけど準備はいいな?」


 二階へと続く階段はL字型のかね折れ階段となっており、ライトの光は途中の壁を照らすだけ。そしてその階段は大きな引き戸式の正面玄関のすぐ近くだった。

 裏口が使えず、雨戸によって窓も封鎖されている状態で唯一使えるかもしれない出口。今が好機だと直感した幹也は、これを逃すわけにはいかないと動いた。


「恭、一つ提案があるんだが……いいか?」


「なんだ?」


「暗い中で階段上るのって結構危ないだろ? そこの玄関開けて少しでも明るくしないか? もし踏み外してこけたら危ないからさ……な?」


 幹也が指差した先。

 もう間もなく太陽は完全に沈もうとしており、正面玄関のガラス越しに見える光は薄くなってきていた。

 そんな幽かな光ではあったが、幹也が言う通り玄関を開ければ、入ってくる光源が広がる分、明るくなるのは間違いない。

 帰る時に忘れずに閉めれば大丈夫だから。と、言っている本人も苦しいと分かりながらも、早く二階に上がりたいと渋る恭を何とか丸め込むことに成功する。


「じゃあ史郎、玄関に一番近いから悪いけど開けてくれないか? 俺は恭が一人先に行かないように和泉と見張ってるから」


「えぇー……はぁ、しゃーねえか」


 さりげなく恭よりも階段近くに移動していた幹也は、渋々玄関を開けに行く史郎に注意が向いているうちに恭の背後に回り込むと、そっと解放の霊符を張り付けた。

 予め霊力を流し込まれ、いつでも起動できるようになっていた霊符は、張り付けられた瞬間にその力を発揮し、恭の意識を強制的に刈り取ることに成功する。

 声を上げる間もなく意識を飛ばされ、前のめりに倒れそうになった恭を怪我をしないように幹也が支えた。

 それと同時に恭の手から零れ落ちた懐中電灯が、床に落ちて鈍い音を立てた。


「うおっ!? なんだよ今のお――っ、キョー!? どうしたんだよ!?」


 異音に気づき振り向いた史郎が目にしたのは、がっくりと力が抜けたように項垂れ、幹也に支えられている恭の姿。

 親友のその姿が信じられない史郎は、幹也を問いたださんとばかりに声を張り上げた。


「わ、わからない。急に目の前で倒れそうになったから支えたんだが……」


「何だよそれ……。ズミ、お前は何か見なかったか!?」


「え? え? 何が起きてるの? 何で倒れたの?」


 訳が分からないという風を装う幹也とは異なり、すぐ隣で起きた出来事に和泉は目を白黒させながら史郎と気を失っている恭との間を視線を行き来させる。

 そんな二人に埒が明かないと、混乱しながらもすぐさま駆け寄った史郎は、幹也に代わって恭を支えると呼びかけ始めた。


「おい、キョー! しっかりしろ! 起きろよ、おい!」


「……うっ……ぐっ…………あ……あぁ」


 気が付くように何度も何度も史郎は呼びかける。

 その声に反応したのか、その体に憑りついている怪異が抵抗をしているのか恭の口元から苦し気な呻き声が漏れた。

 それにますます焦りの表情を浮かべると、今度は揺さぶり始める。

 その明らかに冷静さを失った状態に、幹也は内心謝罪しながらも、混乱しているうちに和泉をその手を伸ばそうとした瞬間――


 ――ギシィィッ


 彼らの耳に聞きなれてしまった何かが軋む音が聞こえてきた。

 その音に幹也も和泉も、必死に恭を起こそうとしていた史郎も動きが止まる。

 彼らはこの音が何かを知っている。

 何度も何度も探索中に聞こえてきた音。彼らしか発してこなかったはずの音。

 それすなわち、足音。


 これが一度だけならば、木造住宅によくある家鳴りがたまたま発生しただけだと思えた。

 しかし音は鳴り止むことはなく、彼らが歩いてきた廊下の奥から何度も響いてくる。徐々に徐々にその音が大きくなっていき、彼らは自然と音の聞こえてきた方向に目を向けた。

 床に落ちて転がっていた懐中電灯の光が廊下の奥を照らし、彼らは近づいて来るモノを見た。


「――――」


 それは人らしきなにかの足であった。

 彼らがそう判断したのは、床に転がる懐中電灯から伸びた光によって、近づいて来るのが人の足のように見えたから。

 だが、その足はまるで裸足で何日も歩き回ったかのようにひどく汚れており、一目でまともに歩けるはずがないと判断できるほどに血が流れ続けてる。

 それは自身が照らされていることに気づいたのか、足を止め、その場に佇む。


(ああ、くそっ。そうだよな、和泉の偽者に実体があるんだから。元凶の怪異たちの方にも実体があるやつはいるよな)


 誰も動かない。否、ただ一人、幹也だけは史郎たちを庇うように前に出ると、持っていたペンライトでそこに佇むモノの正体を暴こうとする。

 ゆっくりと足元から上体へと光を向けるなどという、恐怖を煽るようなことはしない。幹也は光に目が眩めばいいと、顔があると思わしき部分に勢いよく光を向けた。


「な、なんだよあれ……?」


 幹也の後ろから覗き込んでいた史郎は、その正体に思わず言葉を漏らした。

 その姿は一言で表すならば、悪趣味なマネキン人形。

 服を着ておらず、生気を感じさせない肌を晒しており、その手には錆びついた包丁らしき刃物を持っている。

 それは服を着させて遠めに見れば人だと勘違いするほど精巧な物であった。

 しかし身体の部位が所々欠けており、その部位からはまるで生きているかのように血のような何かが滲み出ている。

 何より幹也が悪趣味だと感じたのは、バラバラに取り付けられた顔のパーツであった。

 本来口がある部分と頬に目、鼻は逆さまで額に口。両眉は目が付けられた頬とは逆にあり、瞬きと連動するようにぴくぴくと動いている。

 その歪な怪異は、ライトを照らされてもニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべるだけで近づいてはこない。


「――ちっ」


 それを見て、直感的に怪異としての性質が悪いと判断した幹也は、柄にもなく舌打ちをして――一歩、踏み込んだ。

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