春の陰陽結界 後編

 結局何も起こることもなく、私たちが幽世から戻ってきた場所まで戻ってきた。


「……本当に何もしてこなかったなぁ。――こほん、それじゃあさっきも言ったけど、今から佳奈先輩には陰陽結界を強化するための対の霊符を張ってきてもらうね。この結界は邪気や悪意を一切通さない、というか弾き飛ばす結界なんだけど、私だとその、えー……対の霊符がないと思ったような出力が出なくて……。だから、できれば向かい合う形で配置してもらえれば……より強くなるんで。えーと、ここから百歩くらい先にある木とかに張ってくれれば大丈夫なんで、お願いします」


 この陰陽結界は、神仏郷国の既存の結界の霊式よりも強力な私自身のオリジナルの結界だ。陰陽道に神道の祝詞の一部形式を組み合わせた結界で、準備に手間がかかる点に目を瞑れば、強度は姉さんの御墨付。

 本当は五行とか方陣を用いたものもあるけど、色々と目立ちすぎるから現世ではそうそう使えるような代物じゃない。

 ……陰陽結界でも十分目立つんだけどね、うん。


「わかったわ。それじゃあ行ってくるわね」


「うん。佳奈先輩が戻ってくるまでは簡易結界を張って準備しとく」


 佳奈先輩を見送って、自身の霊力の消費を抑えるために今回は霊符を使って結界を張る。地面に寝かせた鶴屋先輩と私が動く分のスペースだけを確保しておけばいいから、そこまで手間じゃない。

 それに準備も陰陽結界用の霊符はいつでも使える様に準備してあるので、あとは起動用の祝詞を詠えばいいだけ。

 手早くやることを終え、佳奈先輩が霊符を張ってくるのを待つ。そして佳奈先輩の方を見ると、まだ歩いているところだった。


「もう少し時間かかるかな」


 佳奈先輩が離れてから視線が無くなっていたけど、さっきまでいた怪異らしき影もいない。あからさま過ぎて、逆に罠なんじゃないかと疑ってしまうほど綺麗さっぱり無くなっている。

 間違いなく佳奈先輩に憑いていったんだろうけど、佳奈先輩なら大丈夫だろう。

 …………うーん、怪異が襲ってくると思ったけど、こっちには何もしてこないみたいだし、待ってる間にここからあの家を観察しとこうかな?


「……いや、ないない」


 藪蛇になるかもしれないからやっぱり止めとこ。

 それに保護対象がいる状況での勝手な行動は命取りになる。何か情報を掴めば褒められるかもと、一瞬芽生えた欲望を頭を振って振り払い、口に出して否定する。

 それから真面目に周囲の警戒をしていると、佳奈先輩が戻ってきた。ただ佳奈先輩は私の姿を確認すると、私を指差した後に何かを数える様に指を動かす。

 その姿にピンときた私は、霊力で聴力を補っているだろう佳奈先輩に小声で尋ねた。


「佳奈先輩、憑かれてる?」


 私の問いかけに佳奈先輩は指を動かす手を止めないまま小さく頷いた。

 ……なるほど。それならもう一つ聞いておかないと。


「それって足音の怪異? あってるなら頷いて、違ってたら何もしないで。もし複数いるなら首を横に振ってください」


 ……頷いた。ということは佳奈先輩に憑いているのは足音の怪異で確定。それで首を振らないということはその怪異だけ。

 これはどういうこと? 実は私たちの思い違いで複数の怪異はこっちじゃなくてあの家にいる? 何か間違ってた? なんか色々とごちゃごちゃしてきた。

 よくわからないことになってきているのに頭を悩ませていると、何時の間にか佳奈先輩は反対方向に霊符を設置しに行ってしまっていた。


 慌てて佳奈先輩の背中を霊視してみたけど、何かがいるとは思う。だけどその姿は捉えられなくて、正直よくわからない。

 もしかしたら実体がないか、憑かれた本人しか見えないのかもしれない。この怪異が、足音を立てる以外に何か行動を起こしてくれれば対処できるんだけど……。


「――あ、来た!」


 何もしてこない怪異に一人もどかしさを感じていると、ハイドを通して送った救助の連絡の返事が届いた。

 どうやら蒼波寺の数名と純君も一緒に車で迎えに来るようだ。

 佳奈先輩にも伝えておかないと。ここから幽かに見える佳奈先輩に聞こえる様に少しだけ声を強めて伝える。


「先輩、純君たちがここに向かってるって」


 私の声は無事佳奈先輩に届いたようで、その返事をもらった直後に二つの光が空を駆け巡った。

 よし、先輩のおかげで陰陽結界の準備は万端! それじゃあここからは私が頑張らないとね!


 混ざり合って一つとなった光の玉を見て笑みを浮かべると、私は陰陽結界を起動させるための祝詞を詠った。


 ◇


 ――凪が幽世にて移動を開始した頃。


 蒼波寺に向かっている車内にて、凪が言っていた掲示板をまだ見ていなかったことを思い出した晃は、隣で普段からは考えられないほど大人しくしている祈里をちらりと見ると、スマホでオカルト掲示板を開く。

 凪からスレのタイトルを聞いていたので、晃は問題なく該当のスレを見つけた。そして殺人鬼の噂と肝試しを行うレスを探し始めたのだが、その手はすぐに止まることになった。

 その挙動に何をやっているのか純粋に気になった祈里は尋ねた。


「部長、何やってるんですか?」


「いやな、凪が言ってた掲示板の書き込みが見当たらないんだ。……開いたスレ間違えたか?」


 まいったなと頭を掻く晃に祈里は何やってるんだとジト目を向ける。

 それには今から大事なお祓いなのにという抗議も含まれていたようで、無言で見つめ続ける祈里の視線に耐え切れなくなった晃は誤魔化すように笑うと、そそくさとスマホをしまった。

 当然そんなことで祈里が誤魔化せるはずもなく、ちょっかいをかけ始める。そして晃もそれに反撃するという、何時ものオカ研でのやり取りを始める二人。


 そんな二人のやり取りを運転中の僧は、若いなーと呟きながらニコニコと聞いていた。同じように助手席でバックミラー越しに見ていたあかりも優し気な笑みを浮かべていたが、視線を自身の手元に落とした時には、その表情も真剣なものに切り替わっていた。


(清水先輩は書き込みが見当たらないって言ってた。でも、私のスマホにはちゃんと表示されている。そういえば純君も凪君との電話でうまく表示されないとか話してたけど、何か見落としてる?)


 あかりの手元のスマホには、恭が掲示板に書き込んだレスがしっかりと表示されていた。

 最初に肝試しを始めるという宣言の後からレスも進んでおり、真っ暗な空き家の中で四人が各部屋を順番に見て回っているようであった。

 報告している人物の口調がやや荒っぽくなってはいるが、今の所は怪奇現象らしき出来事は起こっていない。

 そして空き家の一階を見て回ったから次は二階に向かうというレス以降、彼らの書き込みは途絶えた。スレの住民からは、今は二階の何処にいるんだという書き込みもあったが、一切返事はない。

 それらを見たあかりは、今このスレに書き込みをしているモノたち全てに悪意しかないと読み取った。


(……凪君はこの掲示板そのものが嫌な感じがするって言ってた。私にも途中の書き込みの悪意は見えたからそれは同意見。……でも、本当に全部がそうなのかな? 頼瀬君が書き込みをするまでは、普通の書き込みもあった。でも、今は突然悪意が噴き出したみたいに普通の書き込みがない。……私が今開いているこの掲示板は普通じゃない?)


 そのことに気づいたあかりは私用のスマホを取り出すと、検索サイトでスレの名前を打ち込み検索を行う。

 そして検索結果が表示されると、一番上に表示された掲示板サイトを開き、スレ名が間違ってないことを確認して該当するレスを探し始めた。だが、そこには恭たちの書き込みどころか、それ以降の肝試しに関する書き込み全てが存在していなかった。


(――ない。それじゃあ、頼瀬君たちが書き込みをしているこの掲示板は何? どうやってこの掲示板に頼瀬君たちは辿り着いたの?)


 これまでの情報を組み立ててもその答えが出てくることはない。だが、あかりには確信できることがあった。

 今回の事件の発端はあの空き家に潜む怪異だが、元凶はこの掲示板に潜むモノであると。そしてもう一つ――


(もしかしたら、祈里ちゃんが思い出してしまった理由って――ううん、もしそうだとしても、祈里ちゃんを苦しめたんだから同情はできない。でも、このこともみんなに伝えておこう)


 ふと頭を過ったその考えが形になる前に振り払う。しかし確証はないとはいえ、何となく間違っていないような気がしたあかりは、流れゆく車外の風景に一度だけ目を向けた後にハイドを起動させた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る