分断された一と三 後編

「――恭たちと合流が得策だな。和泉! 恭たちを連れてくるから、先に俺たちが庭に入ったフェンスの所で待っててくれ! そこなら安全だ! ……俺を信じてくれ! 頼む!!」


 恭たちと合流する。それが幹也の選択であった。そして聞こえているのか不明な和泉にも、自身が結界を張っておいた安全な場所を伝える。

 幹也がこの行動を取ったのは、とある可能性に思い至ったからだ。

 それは家の中にいる者を怪異は優先しており、都合が悪いことを遮断している可能性。

 先ほどドアを破壊しようと正拳突きを放った時に生じた轟音。

 その音は発信源の部屋のみならず、周囲にも響き渡る程である。

 それはつまり、先に家の中に入ったはずの恭たちの耳にも届いているはずなのだ。しかし彼らは幹也の前に姿を見せない。無論、突然の轟音に驚いて隠れているだけの可能性はあった。

 だがあれほど肝試しに積極的だった恭がその音を耳にしたとして、様子を伺うこともしないというのは幹也にはおかしいとしか考えられなかった。


 幹也はハイドに分断されたことを簡潔に報告すると、スマホのライトを前方にかざして土足のまま家の中に足を踏み入れた。


「……あの部屋はなんか嫌な感じがするから多分こっちだな」


 幹也は持ち前の勘を頼りにして、入りたくない部屋を除外して恭たちを捜索する。

 恭たちの持っている懐中電灯の光などが見えない現状では、当てもなく一部屋ずつ探さなければいけない。それに加えて、庭で感じた瘴気や穢れの気配がなくなったことに嫌な予感を覚えずにはいられなかった。

 先ほどまでの行動から確実に目を付けられたと思っていた幹也だったが、特に怪異からの妨害を受けることもなかった。

 そのことにまた違和感を覚えていると、一つの部屋に立った時、そこから人の気配を感じた。


「……ここか?」


 恭たちかと思うも、油断せずに慎重にドアを開くと、そこにいる恭たちを見つけた。二人を見つけたことによる喜びも束の間、その目に捉えた恭たちの姿に幹也は目を見開いた。


「おっ、やっぱ幹也も来たんじゃないか。まあ俺は寛大だからな。ここまで来たんだからさっきのことは許してやるよ」


「……あ、いや。キョーが勝手に家に入ってたから幹也も心配追いかけてきたんだろ。お前ホント反省しろよ。なあ、ズミ・・もそう思うだろ?」


「まったくだね」


「……あー、さすがに放っておくのはな……」


 そこには恭と史郎だけでなく、外に分断されたはずの和泉の姿があった。

 目の前で分断されていたこともあり、和泉が偽者であると判断した幹也は咄嗟に三人に話を合わせると、こっそりと凪たちにハイドでメッセージを送った。


《偽者が出た》


 ◇


「何でこんなことに……」


 目の前で突然ドアが閉まったことに反応できず、固まっていた和泉は理解できないとばかりにそう呟いた。


 和泉にとってはいつもの三人に加えて幹也と一緒にただ肝試しという名の探検をするだけのつもりだった。

 元々怖いものが苦手な和泉であったが、恭から探検みたいなもので実況とかもするからそう怖くないからと言われていたため、今までの遊びの延長みたいなものだと気楽に考えていた。

 その時の恭の様子がいつもと少しだけ違う気がしたが、史郎も特に何も言わなかったために気のせいだと和泉は流してしまった。


 そんな風にやや気乗りしない肝試しであったが、実際に肝試しを行う古びた・・・空き家を目にしてその思いは綺麗に吹き飛んだ。

 この家を探索したいという好奇心とよく似た感情が沸き上がった和泉は、誰よりも早くこの家に入れる所を見つけようと躍起になって探した。

 そして入り口を見つけ、さあこれから空き家に入ろうとそれぞれが意気込んでいた時に冷や水を浴びせたのが、一人遅れてきた幹也の言葉であった。


 その必死の訴えは和泉の目を覚まさせるには十分であった。和泉の中で直前まであった熱は急速に冷めた。そしてそれによって生じた困惑と、先ほどまで感じられなかった不気味な家の雰囲気に恐怖を覚えた。

 こんなところにはいたくない。そう思ったからこそ、恭や史郎から反感を買うのは承知の上で幹也に同意したのだ。


 その結果、和泉は一人取り残されてしまった。

 今の異常現象を見た以上、家に入らなかったことに安堵するよりも、一人になることの方が怖い。すぐに我に返った和泉は外開きのドアであることも忘れ、ドンドンとドアを叩き、叫ぶ。


「幹也、そこにいる!? 聞こえてたら返事して!!」


「これでも駄目か――なら、壊すことになるけど仕方ない! 和泉! 聞こえてるか!! ドアから離れてろ!」


 その声に応える様に、中から幹也の声が聞こてくる。一瞬、壊すという言葉に疑問符を浮かべる和泉であったが、すぐに幹也の言う通りにドアの正面から離れた。

 そして数秒後に何か重い物を勢いよくぶつけた時の様な物凄い音が周囲一帯に響き渡った。その衝撃音を至近距離で耳にしてしまった和泉は、驚いて尻餅をつく。


「うわっ!? 幹也のやつ、一体何をぶつけたんだ?」


 幹也が拳をぶつけたことにより生じた音とは思いもしない和泉は、耳を抑えながら思わず悪態を吐いた。

 だが、その衝撃音はドアが壊れたと思えるほどのもので、期待に目を輝かせた和泉はドアに目を向けるが、すぐにその期待は掻き消える。


「なんで……なんで開かないんだ……幹也! 聞こえてるだろ!? もう一回試して!!」


 先ほどまでと全く変わらないドアに、ぞわぞわとした得体の知れない気持ちの悪い感覚が背筋を駆け巡る。

 急に空気が淀んだような息苦しさを覚え、和泉は焦った様な表情を浮かべると、もう一度だと叫んだ。

 しかしその声に返事が返ってくることはなかった。それにますます焦りの色を募らせると、和泉はドアに駆け寄ってわき目も振らずにドアを叩く。


「そこにいるんだよね!? もしかしてさ、僕を驚かそうとしてるの? それならもう十分驚いたからさ、返事してよ!? キョー! シロ! 幹也! お願いだから返事をしろ!! 今なら許してあげるから……頼むから、何か言ってくれよぉ……」


 だんだんと声に力が無くなり、最後には懇願するように泣きそうな表情でずるずると座り込んでドアに縋りついた。

 スマホを使って連絡を取るという当たり前のことすら頭から抜け落ちており、只々、なんで、どうしてと呟き続ける。


 ――否、和泉には自分たちの身に何か恐ろしいことが起きているということに気づいていた。

 頭で理解していても、心は認めたくないからこそ、何故と口にする。そんなパニックに近い状態に陥ってしまっていた。


「――和泉! 恭たちを連れてくるから、先に俺たちが庭に入ったフェンスの所で待っててくれ! そこなら安全だ! ……俺を信じてくれ! 頼む!!」


「……えっ、幹也? ま、待って!!」


 パニック状態の和泉の耳にそんな絶望の声が届いた。

 それは和泉を正気に戻すには十分であったが、その内容は聞き捨てならないものであった。このままでは置いていかれる。慌てて立ち上がった和泉は再度ドアを叩くが、それ以降幹也の声が聞こえてくることはなかった。


「置いて行かれた……」


 これ以上呼びかけても無駄だ。既に幹也はいなくなっていると、理解していても呟かずにはいられない。

 ここにきてようやく和泉は、自分は本当に今一人になってしまったのだと理解する。しかしそれを理解したとして、和泉にはどうすることもできない。

 先ほどまで聞こえていたはずの鳥の声も風の音も何も聞こえてこない。

 何かが自分を見ているかもしれない。

 今の自身の状況に途方に暮れながらも、幹也たちを待とうとした和泉だったが、最後の幹也の言葉を思い出した。


「そういえば、僕たちが庭に入った所は安全って……」


 何故幹也はそんなことを言ったのか。

 普段なら疑問に思うところだったが、結局何処で待っていても変わらない。それならその言葉を信じてみようと思った和泉は、体に気怠さを覚えながらも、少しでもこの場所から離れたい一心で家から離れていった。


「幹也が言ってたこと、本当かもしれない……」


 重い体を引きずりながらもフェンスに近づいた時、先ほどまで重くのしかかっていた息苦しさが急になくなり、気が楽になる。

 それをはっきりと感じ取った和泉は驚きつつも、このまま幹也の言う通り大人しく待とうとした。

 何も見ないようにしゃがみ込み、みんなが早く戻ってくるようにと願いながら顔を伏せる。そうやって待とうとしたのだが――


「……助けを呼んだ方がいいんじゃないか? ……あ、そうだ。スマホ!」


 冷静になってくると、自分だけが安全なこの場にいてもいいのかという思いがふつふつと沸き上がる。

 本当に幹也が恭たちを連れて戻ってくるのか。自分しか外にいないのだから、自分が助けを呼ばないといけないのではないか。そんな使命感が急速に芽生え始める。

 そこでようやくスマホの存在を思い出した和泉は、ポケットからスマホを取り出すと、圏外になっていることに目を見開いた。


「え、なんで圏外……さっきまで電波は入ってたはずなのに……じゃあ、助けは呼びに行かないといけない……?」


 既に和泉の頭の中には、助けを呼びに行かないといけないという思考で埋め尽くされていた。先ほどまであれほど恐怖を感じていたはずなのにだ。

 それがおかしいことだと微塵も思いもしない和泉は空を見る。

 これが既に暗くなっていれば、和泉も躊躇しただろう。しかし空はまだ明るい。

 近くの家を総当たりすれば誰かは出てくるだろう。そう決めた和泉は、フェンスを潜り抜け――その時に何かを蹴り飛ばした。


「さっき入る時にこんなのあったっけ……?」


 それは幹也が設置していった結界の力を強める置物であった。

 蹴り飛ばしたことに気付いた和泉は、すぐ近くに転がっていた置物を手に取る。

 銀色の土台からは幾つもの透明な岩の様な水晶が生えており、その水晶の中でも一際大きなものに丸くカットされた小さな黒いオニキスが輝きを放っていた。

 その輝きに目を奪われた和泉は、助けを呼ぶことも忘れて眺めていると、一瞬ぐらりと気が遠くなった。


「え……?」


 気が付いたら仰向けに倒れ、和泉は呆然と空を見ていた。

 自身に何が起きたのかは分からない。だんだんと気が遠く、眠くなってくる。

 自身に異常が起きたはずなのに、不思議とその心は落ち着いていた。

 そして次に目が覚めたら、全てが終わっていると確信にも近い予感を抱きながら和泉は目を閉じる。その手に置物を握りしめて。

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